そう、この人は自分が優れていると誇示したかっただけだ。凄い凄いと褒めてくれる家族にもっと認められるために、金を使っていただけ。哀れで愚かな人だ、と思う。社員にも横暴な態度を取り、自分は偉いんだと感じたかったんだろう。

 小さな人。自分の父親は、こんな人だっただろうか。

「京香!」

「あなたは一度自分をしっかり見つめなおす必要があると思う。一から働いて。こんな目に遭っても、なんていうけど、何が不満なの? ちゃんと正社員で働けるよう紹介してもらえるの、これ以上ない親切だよ。本当なら家族みんな路頭に迷うところを、理人さんは助けようとしてくれてる。頭を下げてありがとうございますって言ったら?」

 男は愕然とした顔で私を見上げた。その背後でまたしても金切り声を上げるのは、その妻だ。

「私は行きませんよ! 梨々子だって……今更そんなところに。この家で二人で住みます!」

 高らかに宣言したのを、男は悲しそうに見ていた。まさか別々に暮らす、なんていわれると思っていたのだろう。すかさず理人さんが言った。

「この家に、ですか。言っておきますが、この家の名義は京香さんのお母様だと知っていましたか?」

 理人さんの言葉に、母と梨々子は驚きでそちらを見る。彼は淡々と続ける。

「名義変更してなかったんですね。まあ、今現在は所有者が亡くなった後の名義変更は義務ではないし、期限もないですからね。つまり、あなた方二人は亡くなった京香さんのお母様の家に、全く無関係のくせして住むつもりですか」

 二人の顔がカッと赤くなった。母は言い返す。

「でも死んだんだから、誰が住もうか勝手でしょう! 私たちには住む権利がある! 私は出て行きませんよ!」

「まあ、僕が口を出せる権利はありませんけど……悔しくないのかなあって疑問だったんです」

 理人さんはどこかわざとらしく腕を組んで首を傾げる。不思議そうに口を開いた。

「亡くなるまでは結局は敵わず正妻になれなかった人間が、亡くなった後も負けを認めるわけじゃないですか。『すみません、住む家ないから住ませてください』ってわけでしょ?」

「なっ……!」

「普通プライドがあったらそんなことできませんよね。まあ、京香さんのお母様は優しいので、きっと天国から見守ってると思いますよ。『住む家も無くなって生きるのに困るぐらい哀れな人なんだからしょうがないわね』って」

 煽りが凄い。にっこり笑って言う理人さん。

 梨々子と母は、赤かった顔をさらに染め上げた。母は唾をまき散らして叫ぶ。

「ああそう! 分かったわよ、こんなぼろい家いらないわよ!」

「ママ、じゃあどうするの?」

「思えば、あの女が住んでた場所なんて気分悪かったのよ! せいせいするわ、あーよかった!」

 煽り耐性なさすぎじゃないか、と思ったが黙っておいた。出て行ってくれるなら嬉しいことだ、私は余計な口を挟まないでおこう。

 そもそも、県外の仕事を紹介しよう、と言い出した理由もこれが大きい。理人さんからの提案だったのだ。八神グループで見張ることもできる。本当にこのまま路頭に迷われては、何をしてくるか分からないからだ。だったら、目の届くところに置こう、というのが彼の考えだった。
 
 私は彼らが路頭に迷っても気にしないが、確かに八神に迷惑がかかるようなことがあれば困る。うちの社員たちもだ。だったら、監視下に置く方がいい。

 話はまとまりかけたかと思ったが、理人さんはさらに低い声で言った。

「それと、これは個人的な怒りですが……。
 京香さんを随分な扱いしてきた件について。人の大事なものを奪うなんて、母娘揃ってクズのようですね。クズのくせに僕に取り入れようとするなんて失笑でした。
 とりあえず、彼女から奪ったお母様の形見はすべてそのまま返しなさい、それで今は目を瞑っておきます。あえて壊したり隠したりしたら、仕事の紹介もなくします。三人仲良くアルバイトでもして食いつなげろ」

 威圧的な声だった。私すらびくっと反応してしまうほど。それは梨々子たちも同じだったようで、何も言い返さず黙り込んだ。父に至っては今だ呆然としている。理人さんは脅しなんかじゃなさそうだ、ということが伝わったらしい。

 二人は返事をしない。でもそれは拒否しているわけではなく、声も出せない、というのがふさわしい状況だったようだ。

 ようやく理人さんが立ち上がった。

「では、近日中に改めて仕事については情報をお渡しします。別にほかの転職先を探してみてもいいですよ、きっと無駄でしょうからね。この家からも早急に出ていってくださいね」

 そう言い残すと、彼は私をちらりと見た。小さく頷く。

 十分です。きっと父はもう、立ち上がれないだろう。

 私は三人を残し、理人さんとともに家から出た。静まり返った家は、ここ数年とはまるで姿を変えている。これ見よがしに仲のいい家族をやってきた三人は、一体これからどうするつもりだろう。