サラリと言われたセリフに、父と梨々子は固まった。ちょうど父にお茶を持ってきた母も固まっていた。私は理人さんに振られたんだと聞き、みんなで散々笑ってたんだろうなあ。そして梨々子の方が似合ってる、だなんて言っていたに違いない。
ここだけ時間が止まったのかと錯覚しそうなほどの沈黙が流れた後、父の震えた声がそれを破った。
「そ、それはまた一体、どうしてそんなことに。昨日は京香と結婚する気はないときっぱりおっしゃっていたのに」
「実は僕は一度振られたんですけど、昨晩もう一度口説き落としました。京香さんも受け入れてくれたので」
梨々子が信じられない、という形相で私を見てくる。いや、それは梨々子だけではなく家族みんなだった。私はその視線に気づかないふりをする。ダメ押しとばかりに、理人さんは梨々子に言った。
「というわけで、昨日扉を閉めて追い出してごめんね。どうしても最後に京香さんを今一度口説いてみたくて」
「……は、はあ……はは、そうでしたか……な、何が気に入ったんですかね……?」
「自分を強く持ってるし、人への思いやりもある。真面目で強い、こんな人ほかにいませんよね」
梨々子は唇を震わせた。何か言いたげにしたが、父はそれを遮るように明るい声を出した。多分、私と八神が結婚することで得るメリットを瞬時に頭の中で計算したのだろう。
「そうでしたか! いやめでたい! それは喜ばしいことです。京香は大事に大事に育てた娘です、至らない点もあるかとは思いますが、幸せにしてもらえればと思います」
父はそう言って頭を下げた。私はその頭頂部を眺めながら、テーブルの下でぎゅっと履いているスカートのすそを握りしめた。
母が生きてた頃は普通のお父さんだったから、母が亡くならなければ、こうして父として吐くセリフを感動して聞いていたのかもしれない。
でも今は嫌悪感しかなかった。よくそんなセリフが吐けるなと思った。お母さんをずっと裏切ってきたくせに。私より新しい家族を可愛がっていたくせに。
悔しさで泣き出しそうなのを必死にこらえていると、そっと理人さんが私の手を握ってくれた。私の気持ちを半分受け取ってくれたような、そんなぬくもりを感じた。
すっと肩の力が抜ける。握っていた布を優しく離した。
「どうもありがとうございます。で、会社の方ですが、援助は続行させていただきます」
「いやあどうもありがとうございます! 早く軌道に乗りたいものですねえ。社員たちも必死に頑張っているんです、本当に頭が上がらないくらいで」
「大事な条件が一つあります。
あなたは経営から一切手を引いてください」
その場の空気が凍った。父は作り笑いを固め、完全に停止してしまっている。その隣では梨々子が、少し離れたところでお盆を持ったまま母が瞬きすら止めている。
父は頬を引きつらせて言った。
「な、何を、なんですって? 突然……」
「これは父も同意しています。この条件を飲まなければ話はなかったことに」
「そ、そんな無茶苦茶なことをなぜ急に!」
「五十嵐さん。あなた、僕たちに嘘をついていましたね?
亡くなった奥様が残した負債や部下の大きなミスで会社が痛手を負っていると。本当は奥さんが亡くなった後、自分ばかり利益を得るやり方で、社員や仕事相手が離れて行ったのが原因だ」
父は私を睨みつけた。私と理人さんが結婚するとなれば、こうして話が伝わることを想像しなかったのだろうか? それとも、会社のことを思って私は黙っていると確信していたんだろうか。多分、そうだろう。
黙っているわけがない。社員たちをあんな目に遭わせておいて、私が目をつぶると思ったのか。
ここだけ時間が止まったのかと錯覚しそうなほどの沈黙が流れた後、父の震えた声がそれを破った。
「そ、それはまた一体、どうしてそんなことに。昨日は京香と結婚する気はないときっぱりおっしゃっていたのに」
「実は僕は一度振られたんですけど、昨晩もう一度口説き落としました。京香さんも受け入れてくれたので」
梨々子が信じられない、という形相で私を見てくる。いや、それは梨々子だけではなく家族みんなだった。私はその視線に気づかないふりをする。ダメ押しとばかりに、理人さんは梨々子に言った。
「というわけで、昨日扉を閉めて追い出してごめんね。どうしても最後に京香さんを今一度口説いてみたくて」
「……は、はあ……はは、そうでしたか……な、何が気に入ったんですかね……?」
「自分を強く持ってるし、人への思いやりもある。真面目で強い、こんな人ほかにいませんよね」
梨々子は唇を震わせた。何か言いたげにしたが、父はそれを遮るように明るい声を出した。多分、私と八神が結婚することで得るメリットを瞬時に頭の中で計算したのだろう。
「そうでしたか! いやめでたい! それは喜ばしいことです。京香は大事に大事に育てた娘です、至らない点もあるかとは思いますが、幸せにしてもらえればと思います」
父はそう言って頭を下げた。私はその頭頂部を眺めながら、テーブルの下でぎゅっと履いているスカートのすそを握りしめた。
母が生きてた頃は普通のお父さんだったから、母が亡くならなければ、こうして父として吐くセリフを感動して聞いていたのかもしれない。
でも今は嫌悪感しかなかった。よくそんなセリフが吐けるなと思った。お母さんをずっと裏切ってきたくせに。私より新しい家族を可愛がっていたくせに。
悔しさで泣き出しそうなのを必死にこらえていると、そっと理人さんが私の手を握ってくれた。私の気持ちを半分受け取ってくれたような、そんなぬくもりを感じた。
すっと肩の力が抜ける。握っていた布を優しく離した。
「どうもありがとうございます。で、会社の方ですが、援助は続行させていただきます」
「いやあどうもありがとうございます! 早く軌道に乗りたいものですねえ。社員たちも必死に頑張っているんです、本当に頭が上がらないくらいで」
「大事な条件が一つあります。
あなたは経営から一切手を引いてください」
その場の空気が凍った。父は作り笑いを固め、完全に停止してしまっている。その隣では梨々子が、少し離れたところでお盆を持ったまま母が瞬きすら止めている。
父は頬を引きつらせて言った。
「な、何を、なんですって? 突然……」
「これは父も同意しています。この条件を飲まなければ話はなかったことに」
「そ、そんな無茶苦茶なことをなぜ急に!」
「五十嵐さん。あなた、僕たちに嘘をついていましたね?
亡くなった奥様が残した負債や部下の大きなミスで会社が痛手を負っていると。本当は奥さんが亡くなった後、自分ばかり利益を得るやり方で、社員や仕事相手が離れて行ったのが原因だ」
父は私を睨みつけた。私と理人さんが結婚するとなれば、こうして話が伝わることを想像しなかったのだろうか? それとも、会社のことを思って私は黙っていると確信していたんだろうか。多分、そうだろう。
黙っているわけがない。社員たちをあんな目に遭わせておいて、私が目をつぶると思ったのか。



