「まあ、周りの人は僕に思ってるでしょうけどね、このくそって。八神の人間だからと言って、まだ若造の僕に何かを命令されるのは癪でしょうから」

「まあ、それはしょうがないんじゃないですか」

「そう、しょうがないんです。甘いところを見せてもよくない。社員に必要なのは舐められる上司ではなく、確かな給与と環境ですから」

 そう語る理人さんの声に、ひどく懐かしさを感じた。母や祖父の言っていたことと、よく似ているからだ。胸の奥にある何か温かいものが、じんわりと溢れて心を満たす。父もこんな考えをちゃんと受け継いでいたら、こうはなってなかっただろう。理人さんの抱く、上に立つ人間としての志が、眩しい。

(……この人と、違う形で会いたかったな)

 そんなことをぼんやり思った。

 そしたら、うちの会社についても愚痴を言って、アドバイスとかもらって、私では思い浮かばなかったやり方があったかもしれない。

 でも、もう無理だ。

 うちの会社は引き戻せないところに来ている。早く父を引きずり降ろさなくてはいけないんだ。

(せっかくこんな真面目な人と会えたのに、失礼なことばかりするのが心苦しい)

 こっちの都合でお金も気も遣わせて、理人さんに申し訳ない。

「京香さん? どうしました」

 はっとする。理人さんが不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。黙り込んでしまった私を不審に思ったらしい。私は苦笑した。

「すみません。経営とか、そういう難しいお話は分からなくて」

「分からない?」

「ええ、私には全然。あまり深く考えたことなかったので」

 そう言い切ると、彼は分かりやすいほど表情を真顔に変えた。それを見て、ずきりと心が痛む。そういえば、理人さんが唯一笑顔を失くすのは、やっぱり仕事を軽視している発言をしているときだと気がついた。彼のように意識を高く持っている人には、信じられない返答なのだろう。

 私はいたたまれなくなり、立ち上がる。

「昼にたくさん食べたので、お腹がすいていません。夕飯は結構です、おやすみなさい」

 そう一息に言うと、私は背を向けた。理人さんが何かを言いかけたけれど、聞こえないふりをしてリビングから出た。