自分も社員になってみて、改めて労働環境の悪さに絶句する。何度も父に経営について説得を試みるも、『お前にはまだ早い』と言われるだけだった。

 周りの社員の人たちは、いい人たちばかりだった。過酷な労働環境の中でもうちに残ってくれているのは、祖父や母にお世話になったから、という理由からのようだった。
 
 だから、娘である私にも親切にしてくれた。今は一社員だけれど、いずれは君がこの会社を継いでくれる。そのとき、前のような会社に戻してほしい。そう言われた言葉を胸に抱いて、雀の涙ほどの給料で働いていた。今は勉強する時期なんだ、と思い。

 でも会社はもうもたなかった。

 祖父の時代からずっと長く付き合ってくれた仕事相手も離れていった。取り返しのつかないところにまで来ていたのだ。

 そのとき幸運にも、うちを買収したい、という話が持ちかかったのだ。

 小さな会社だけれど、祖父の時代からコツコツとこなしてきた仕事の実績がある。人脈もある。それを買われてのことだろう。

 買収されれば父はもう勝手な経営ができなくなる。当然のことだった。

 父たちは焦り嘆いた。今まで思い通りに経営し、自分達の利益を優先させてきたのに、ここにきて自由が利かなくなれば、生活が困るのだ、と言って。

 私は、悲しむより安堵感が強かった。

 もちろん、母が守ってきた会社が買収されるのは寂しい気持ちもあった。でもそれより、残ってくれている社員たちにあまりに申し訳なかったから。

 父の無茶苦茶な経営を続けるぐらいなら、買収されて安定した仕事を提供したい。いつかは私が継ぎたいと思っていたけど、別にそんなこと重要ではないんだと。

 父も何ができるわけもなく、ただ買収に向けて話を進めていくしかなかった。

 そんなとき、うちの会社を立て直す手助けをしたいという話を、八神グループから受ける。

 知らない人はいない有名な八神グループ。さまざまな事業を手にかけ成功させている。うちの会社とは比べ物にならないほどの大きさだ。こっちを知ってさえいないだろうなという規模の八神グループが、会社を立て直すための援助を提案してきた。買収の話はなくし、もう一度父による立て直しをどうか、と。もちろん資金援助もしてくれるらしい。

 意味がわからない。

 父は単純にも大喜びでこの話に食いついた。買収の話は白紙に戻し、八神グループに媚びへつらった。私の予想だが、おそらく父は自分に都合のいいことをあちらに説明したんだろう。会社を立て直す案があるとか、こんなに経営が厳しくなったのは部下が大きなミスをしただとか。口がうまいのはあの男の唯一の特技だ。

 話に聞けば、八神グループの会長は、私の祖父が生きている頃大変世話になったのだとか。そこで、うちの会社の経営が危うく買収されるのを聞き、恩返しがしたいと考えたそう。

 あの八神グループの会長と繋がりがあったなんて、私も父も聞いたことがなかった。本当に祖父に恩などあるのだろうか?

 八神グループは、大きいと共にそのやり方も有名だ。やや強引な手法もとり、敵に回すと徹底的に潰されるとも。そんな相手の話を鵜呑みにするなんて、普通は考えられない。

 しかしもっと信じられない展開が待っていた。

 八神の会長は援助する代わりに、一つ条件を出した。

 それが、「未だ独身の息子と、そちらの娘を結婚させたい」というなんとも意味不明なものだった。

 話によると、息子にはそろそろ身を固めてもらいたいと常々思っており、見合いだのなんだの色々セッティングするも、なかなか息子は首を縦に振らない。そこで、あの祖父の孫ならきっと素晴らしい女性に違いない、息子の嫁にぜひ、ということだ。この条件がなくては、援助はしないと。

 こんな話を信じる愚か者は、多分私の家族だけだ。

 あの八神グループの御曹司なら、何もしなくても相手はいくらでも寄ってくる。私がクレオパトラ並みの美女ならともかく、どこにでもいるごく普通の女だ。祖父にどれだけ感謝しているか知らないが、こんな提案めちゃくちゃすぎる。

 そしてようやく、冒頭の会話に戻るのだ。突然こんな話を一気に聞かせられる私が激怒するのも、仕方のないことだと思う。