「お前らって結構いい組み合わせなのな」

朝食での一悶着を何とか切り抜けた三人、主に私。
ひっつき魔人もとい質問攻め大魔王と進化した竜胆さまを何とかなだめつつ食器を片付け、なんとそのまま三人で炊事場を掃除することになった。

これに猛反対したのはもちろん私。だって住まわせていただいている恩で働こうとしているのに、それをあろう事か恩人(+α)に手伝わせるなんて普通に考えて言語道断だろう。
しかしそんな私の主張虚しく、何故か俄然とやる気を出してしまった二人はたすき掛けまでして形からもやる気を誇示してしまったのだ。

「笑ってないでどうにかしてください。あなたの兄弟ですよ」

「はは、むりむり。昔っからこいつ人の言うことなんかまるで聞かねぇもん」

「ああもう…。竜胆さま?せめてもう少し楽な体勢で掃除しましょう?流石にこんなにくっつかれたら私てんで身動きが取れないというか」

今現在、私が掃除を担当しているのは水場。つまりは流し台回りの磨き上げをしているのだが、あろう事かそんな私の背後に回って長い腕を伸ばしてくる竜胆さま。私の背中と彼のお腹はそれはもう強力磁石でもついてんのかってくらいにぴっちりくっついている。
何かもう果てしない羞恥を通り越して悟りの域だこんなの。

「やだ。今日はもうあすかから離れない」

「なぜ…一体私が何をしたと……」

「いやぜってぇ幼馴染とやらの話をしたからだろ?」

「ヒョッ。ちょ、蒸し返さないでくださいよ!!椿さんも口じゃなくて手を動かして!頑張って竜胆さま引っ張って!!おおきなかぶ理論です仲間を集めてきてください!!」

「ねー飛鳥ちゃん俺へのあたり雑ー。俺ももっとヨシヨシして欲しーんだけど。つか俺が声掛けたところで多分誰も来てくんないよ?」

「う、うわ。ボッチの傷を思わぬ所で抉ってしまった…」

「俺がボッチなら竜胆だってボッチだかんね!?」

「俺にはあすかが居る」

「うっわ果てしなくムカつく。初めてかもお前に殺意抱いたの」

ああん?なんて長身のふたりが私の背後でメンチを切りはじめてしまった。これはまずい、非常に。
私にも火の粉がふりかからまいとした現状に、私は慌てて打開策に打って出る。

「ストップストップ!掃除も一区切りつきましたしちょっと休憩にしましょ!お茶とお菓子用意しますから、喧嘩はおしまいです」

「…おかし?」

「はい。朝食の時ついでにプリン作って冷やしておいたんです。簡単なやつですけど、多分もう固まってると思うので。ね、椿さんも甘いの好きでしょう?」

「お、おう好き…」

「それじゃあ私準備するんで、二人は離れで大人しく待っててください!運んできますから」

グイグイと広い背中を押して渡り廊下に追い出す。二人とも何度かこちらを振り返ったり声を掛けたりしてきたけど、私が頑として態度を変えないことを理解して渋々ながらも歩いていった。

と、ここでようやくひと時の安寧。プリンを取り出してお湯を沸かしつつ、ひとつ大きなため息をつく。
正直よく分かっていないのだ。どうして竜胆さまがああも好意的に接してくれるのか。

椿さんの話から過去のことは何となく察することが出来た。嫁、と言うのもこちら側の勘違いだって分かったけど、それにしてはやけに竜胆さまがその言葉に固執している気がする。

過去に供物となった女性に対する竜胆さまの接し方は、どうにも私のそれとは当てはまらない。
それをただ純粋に気に入られているんだと喜べるほど、私の思考は楽観的ではなかった。
どうにも腑に落ちない一連に、私はううむと唸りをあげる。

「…ま、分からないことは取り敢えず置いておくか。まだ一年もあるんだし」

前言撤回。私は酷く楽天家であった。考えても分かんねーもんはしょうがねぇと掃除中に発掘したお盆片手に、特に何も考えることなく鼻歌まじりで離れを目指す。学習能力もまるで無かった。

「お待たせしましたー」

襖を開ければ縁側に腰かけて庭を眺めていた二人が揃って振り返る。色素の濃い黒髪は光の反射を受けてなお艶やかに揺れて、前髪の隙間から見える二対の双眸が待ってましたと言わんばかりにプリンを映した。

「洋菓子ってそんなに簡単に作れるもんなんだな」

「手の込んだものはやっぱり時間が掛かりますけどね。最近じゃどこも時短料理をうたってますから。あ、竜胆さまどうぞ」

「うん、ありがとう」

「椿さんも」

「んー、さんきゅ」

2人にプリンを手渡して、腰掛けた傍らに苦味を押えたミルクティーを置いておく。私はぼーっと庭先に咲いたツツジを見ながら、昼、そして晩御飯の献立を考えていた。

ー昨日は肉料理だったし、夜は魚にしようかな。それなら昼は和食を離れてパスタとかを試してもらうのもいいかも。…て言うか、椿さんは夜までいるのかな。それとも数日は腰を据えるとか…?

食材は適宜竜胆さまが必要なものを用意してくれると言う。こればっかりはお世話にならざるを得ないので、それならばせめて色んな料理を彼に味わって欲しいと私は人知れず奮起していた。

和洋中、イタリアンからフレンチ。もちろん貧乏人の私がそんな敷居の高い品物など作り上げることは出来ないだろうが、過去空腹を凌ぐために片っ端から学び舎にあった料理本を読破した経験を何とか活かしてみせる。

と、決意を漲らせていた私の唇に、ふにっと冷たい感触がした。

「う」

驚いて現実に意識を向ければ、随分と近いところに竜胆さまの影がある。彼はおもむろに差し伸ばしたスプーンを私の唇に押付けて、ふんわりと楽しそうな笑みを浮かべていた。

「あすか、ひとくち」

あーん。と形のいい唇がそっと紡いだその言葉に、私はたまらず目を白黒とさせる。

「えっ、いやそんな小っ恥ずかしいこと…むぐァっ!」

「だめ。ね、美味しいから一緒に食べたい」

「ちょっ、第二じんブグッ…!」

「…りんどー。さすがの俺もムリヤリ趣味はちょっと引くぅ」

抗議のまもなく詰め込まれたプリン。二回にわたって口いっぱいに広がった甘味を楽しむ暇もなく、なんだか不名誉な発言をする椿さんを竜胆さまと二人揃って睨みつけた。
いや、でもこの場合被害者はどっちかと言うと竜胆さまな訳なんだけども。

「ごめん分かった。二人揃って冷めた目を向けられるとさすがの俺も耐えられない。お願いだからその目やめて!」

「最初っからお前が余計なこと言わなければいいんだろ」

「いやぁ、だって嫌がってる飛鳥見てるお前の目がちょっと光悦としてたもんだから…っていってぇ!」

「お前はどグソ野郎だ椿」

椿さんの言葉を遮るように、竜胆さまの容赦ない張り手が彼の頬を引っぱたいた。驚くほど響き渡ったいい音に、まじでほっぺた飛んでったんじゃないかなんて現実離れした不安さえ抱く。

「叩いたな今!!ちょ、見た飛鳥コイツの蛮行!こんな暴力野郎やめとけ!」

「あすかに触るな猥褻物」

「いって!おまっ、二発目!?」

「あすか、嫌だった?ごめんね、作ってくれたプリン美味しかったから一緒に食べたかっただけなんだ。もう無理やり食べさせたりしないから、こっち、俺の膝の上きて。こうたいばんこで食べよ?」

「待って待ってまず俺に謝ろうか兄弟。俺の完璧フェイス真っ赤になってっから。俺達も文明を得た妖なんだし、まずは対話で解決すべきだろうがボケナス」

「おいしいね。俺、君の味すっごくすき」

「…上手くいって良かったです」

「え、俺の声ってもしかして通信阻害されてんの…?」

手招きされた竜胆さまの傍らに腰かければ、そのままくるっと体を覆い込むように抱きしめられて。
ぽそぽそと耳元で呟き落とされる低い声に、正直椿さんの話を聞いてる余裕なんかない。

「んー…。あすか、プリン食べてるからか、甘くていい匂いする」

「ちょ、あんまり嗅がないで…」

「んー?ふふ、やだ」

すんすんと首筋に顔を埋めた竜胆さまに慌てて身をよじるが、がっしりと抱きしめられている現状抜け出す手だては無い。
肌を撫でる彼の吐息にゆるゆると抵抗する力も抜けて、カリッ、と引っ掻くように竜胆さまの腕に爪を立てても鼻先でクスリと笑われてしまう始末だ。

「恥ずかしいの?顔真っ赤だよ」

「そりゃ竜胆さまの顔がこんなに近くにあるんですから恥ずかしいに決まってるでしょ!?」

「…へえ?俺の顔が近くにあると照れちゃうんだ。可愛いね、あすか。じゃ、もっと近くで俺のこと見て」

「ヒョエッあげあし…!!」

いやもう無理まってほんとにこれ限界。
誰が助けてくれ、死んでしまう。死因が圧倒的顔面力による圧死とか…お父さん悲しむ…。

もう藁にもすがる思い。霞んで見えた外の世界に震える手を伸ばせば、他称猥褻物どグソ野郎なんてもうなんか悪口の集合体みたいな彼が私の手を掴んだ。

「ちょいちょい竜胆いったんストップ。お前の圧で飛鳥瀕死だから。もう魂4分の3くらい飛び出してたぜ」

「…あすかに触んなって言ってる」

「分かったからとりあえず落ち着けって。お前のそんな激重一気に流し込んだらガラスコップの器あっという間に砕けちまう」

「あすかの許容量は25メートルプールくらいあるし」

「お前のソレはマリアナ海溝くらいの深さがあったって足んねえよ」

取り敢えず落ち着けって、なんて竜胆さまにデコピンをかました椿さんが私の中ではもう一気に救世主になった。だって命の恩人だもの!!

「大丈夫か飛鳥」

「助かりました椿さん。それと私は貴方への態度をもう少し改めることをここに誓います」

「え、急に??」

「今までは竜胆さまのご兄弟と認めるのもなんだか癪というか、竜胆さまが可哀想だなぁと思っていた次第なんですけども。貴方にも良いところあったんですね!」

「驚くほどに辛辣で椿さんびっくりしてるんだけど。飛鳥もしかして俺の事嫌ってるのかなこれ」

「あすか、おでこ痛い。ちゅうして?ちゅうしてくれたらすぐ治るって聞いた」

「ほんでおめぇはここぞとばかりに甘えてんじゃねぇよ竜胆!なんだちゅうってぶりっ子か!お前真顔で「接吻…」とか言うキャラだろ絶対!」

ちゅうちゅう、とネズミの鳴き声見たく頬を擦り寄せて来る竜胆さまの頭を撫でて、若干引き気味にこちらを見ている椿さんに肩を竦めてみせる。

この人元からこんな感じじゃないんですか、と言う私の無言の訴えに、椿さんはしっぶい顔で首を振った。
そして暫し何かを考え込むように口を閉ざすと、またろくでもないことを思いついたかのようにニヤリとニヒルな笑みを浮かべる。

「…なあ竜胆。俺はしばらく南の離れに身を置こうと思ってる。問題はねえか?」

「まあ、嫌だけど。でもここお前の住処でもあるし、俺の是非なんて関係ないじゃん」

椿さん突然のカムアウトに、竜胆さまは訝しむように眉間に皺を寄せた。なんでわざわざ宣言するんだとでも言いたげに、不機嫌さを隠さず睨みつけている。
しかし相対する椿さんはさして気にした風でもなく、それじゃあ承諾は得たとでも言うようにからりと笑って瞳を細めた。

「んじゃお前、ちょっと村におりて買い出ししてきてくれや。食材の備蓄も追加しといた方がいいだろ」

「椿が自分で行けばいい」

「へえ、まあ別にそれでもいいけど。そうなったら俺はまたお前を名乗って村の娘片っ端から手を出し…」

「俺が行く」

「はは、そりゃ重畳」

はあ、これはまた。トントン拍子に進んだ会話に思わずぱちくりと目を瞬いた。さすが兄弟と言うべきか、椿さんの性格が悪いと言うべきか。上手く言いくるめられた竜胆さまが、不満を顕に私を抱きすくめた両腕に力を入れる。

ー竜胆さまが嫌がりそうなところを的確に突いていったなぁ。

したり顔の椿さんに、溜飲の下がらない渋面の竜胆さま。板挟みになってしまった私はそのどちらからもの圧を受け取って正直もうお腹いっぱいだ。プリンもたらふく突っ込まれたし。

「あすかに何かしたら、椿相手でも俺手加減できないよ」

「なんもしねぇよ人聞き悪い。こんなに澄んだ目をした俺がそんな下衆なまねするはず…」

「するよね?」

「…まあ時と場合にもよるけど。でも今回は流石にねえよ!状況がいつもと違ぇだろ!」

「俺の信用失うような真似すんなよ」

「分かってるよこの過保護。ったく、かわいー子にはちょいと旅して楽しみを覚えさせるくらいが丁度…」

「椿」

「イッテラッシャイ、オニーチャン。僕イイコでお留守番してるカラ!」

生き物全てを黙殺できるんじゃないかってくらいの鋭い眼光で睨みつけられた椿さんは、それはもうマニュアル通りの完璧な笑顔でひらひらと四拍子で手を振った。メトロノームみたいと言うか、何かもうそういう置物みたいだこの人は。

対する竜胆さまは椿さんに依然としてあからさまな敵意を向けたまま、ふっと力を抜いた眼差しで私を正面から見つめてくる。

「ほんとは一日中くっついてたいんだけど、我慢する。その代わり帰ってきたらあすかから俺の事ぎゅってしてね?あとちゅうも…」

「ちゅうは無理です」

「…じゃあぎゅーだけで我慢するけど。でも約束だから。あと絶対椿に触られないで。口説かれたら取り敢えず金的6回くらいしとけば威勢もなくすはずだから」

「おまえなんて恐ろしいこと考えるんだよ…。世の女が咽び泣くぞ。俺も泣くけど」

「お前のそれは無い方が多分世の中よくなる。残念だったな」

「いや待ってくださいしませんからね?出来ませんからねそんな事」

あすかならできるよ…、なんて耳元で甘く囁かれたっていや内容が残念すぎるんだが。なんで竜胆さまは兄弟のブツを潰すことにそこまで心血を注いでいるの…?

かっこん、と庭先から聞こえる風情ある鹿威しの音も今やなんだかギャグ調に聞こえる。こんなにも顔のいい、数百年の時を生きた妖の二人がまさか金的について真剣に口論しているなんて、一体誰が予想出来ただろうか。少なくとも私は呆気に取られています。

ああ、思ったよりも妖の世界は平和なのかも知れない。今日日この兄弟の話を聞いていると、やっぱり人も妖もさしたる違いはないんだなあと、私はどこか現実逃避のようにそんな事を考えていた。