「っはー!美味かったー」

「お粗末さまです」

一応多めに用意していた朝食はものの見事に完食されて、食後のデザートにあんみつを要求した椿さんは満足のいく笑顔でお腹をさすっている。

「いやー飛鳥ちゃんめっちゃ料理上手だね。おれちょっと感動したわ」

「椿、俺名前で呼んで良いって言ってないよね」

「別にいいじゃねえか。竜胆の嫁ってことは回り回ってほぼ俺の嫁みたいなもんだろ。食い物も役割も時間も半分こ。なら嫁も半分こしたっていーじゃん」

「だめ。あすかは俺のお嫁さん」

「けち」

ダイニングテーブルを挟んで鏡合わせに緩い口論を続ける二人。遠目で見ると本当によく似ているけど、髪の長さとか服装とかを抜きにしても、やっぱりちょっとした仕草や表情なんかがまるで違う。
竜胆さまはなんと言うか、しっかりとした大人の男性なのにどこかあどけなくて、冷徹な見目と中身が随分乖離した印象だ。
対する椿さんは意識された色っぽさと言うか、自分の魅力を意識した上での仕草が何となくさまになって見えた。


「あの、私何も考えずに嫁いできたって言ってましたけど、実際はその、供物?って事なんですよね。嫁入り云々は村側が勝手に言ってるだけで」

「あー、竜胆やっぱりその辺詳しく話してねぇんだ?」

「だってあすかが俺のお嫁さんってことに変わりは無い」

「え、もしかして妖にとってお嫁さんって供物の隠語かなんかなんですか…?」

「いや違うよ?竜胆もだけど君も大概どっか抜けてんのね」

呆れたようにへらりと笑った椿さんが、説明しちゃるから座りな、と一辺の空いた椅子を指さす。私は黙ってそれに従った。

「まずは俺らと村との繋がりから話した方がいいかな?」

「お願いします」

「ん。俺らはもうずっと昔からこの神社に住み着いてんだけど、一時期、あー、何年くらい前だっけ?」

「250」

「あー、そうそう。そんぐらい前の頃にね、悪霊とか魔物とかって言われて恐れられてた時期があったんだよ」

「恐れ…」

「そう。そりゃもービビられちまって大変だったわ」

あっけらかんと笑う椿さん。化け物と恐れられたことに対する怒りや悲しみもそこにはなく、ただ淡々と事実を並べているだけのようだった。

「高波が来れば俺らの怒り、日照りが続けば見放された。作物が実った時ぐらいは神の恵みなんて言われたな」

「あの頃が一番うるさかった」

「あー、まあな。ほんでいい事も悪いことも全部俺らに責任擦り付け。ほんで何をどう考えたのか知らねぇけど、常に俺らの機嫌を取っとこうってことで毎年女の生贄を供物として捧げて来始めたんだよな」

「なるほど…。でもよくお二人、と言うか。その妖が男性だって分かりましたよね?女性の供物をわざわざ選んで生贄にするくらいですし」

「あーそれは、うん、まあ俺のせい。当時はしょっちゅう村に入り浸って遊んでたからさ」

「お前の女遊びのせいだからな。しかも俺の名前で」

「だって夜の街じゃ椿より竜胆って名前の方が受けよかったんだもん」

「ああ、だから村じゃ竜胆さまの名で通ってるんですね」

村が持ちえる唯一の情報であった彼の名前。それがまさか椿さんの偽名に選ばれたがための犠牲であったとは。
初耳ながらもなんとも哀れなその話に、思わず同情の眼差しを竜胆さまに送る。

「食ってもよし、閨に誘ってもよしって押し付けられたのは良いけど、この神社にほとんどいるのは竜胆の方だったからな。俺たち好んで人間なんか食わねえし、んじゃ夜伽かってなってもコイツ迫られたところで顔色ひとつ変えずに部屋から出ていっちまうんだと」

「ベタベタ触られたって気持ち悪いだけだろ」

「ははっ、まあそっちの方は俺が美味しく頂いといたから、竜胆は女たちが一年間寝食困らない程度に面倒見つつ、適当に願いを叶えて大人しくさせてたって訳だ」

「じゃあ帰ってきた女性たちの記憶が無かったのは」

「俺らに関する記憶が残ってると不都合ってのが第一。あとは贅沢三昧するためにこれ以上女が押しかけてくんのも厄介だったからなー。戻ってこられても困るんだよ」

「なるほど…」

「俺もこいつもいい加減痺れ切らしてもう人間はいらねぇって突っぱねた筈なんだけど…」

ー飛鳥に至っちゃ竜胆の独断、私欲だろうなこりゃ。この女の前までは数十年と贄は無かったし。何より新しく来る供物のことを俺が全く知らされて無かった。飛鳥が初めっから俺に警戒心持ってたのも竜胆の入れ知恵らしいし…。

じ、と椿さんから向けられた視線を竜胆さまはなんとも言えない顔でスルーしている。居心地悪そうに口元をまごつかせて、それでも決して目を合わせようとはしていない。
イタズラがばれた子供みたいな、必死に隠し事を押し通そうとしている姿に椿さんは呆れたため息をついて笑った。

「ま、数十年ぶりの供物に選ばれちまったのは災難だろうが、なにも俺たちが飛鳥を取って食おうって訳じゃねえ。一年も経ちゃ問題なく帰れるよ」

ー多分な。

含みを持たせるような笑顔に一抹の不安を覚えたが、こちらとて手足の一本や二本捧げる覚悟でここまで来てる。命が保証されているうちはせめてでも奉仕で貢献しようと今一度覚悟を固めた私に、つんと竜胆さまが手を伸ばす。

「…あの、幻滅、した?供物とか生贄とか、やっぱり化け物だって、あすかも思う?」

ふるり、と彼の長い睫毛が震えている。緊張から伏せられたその眼差しはところなさげにゆるゆると揺れて、不意に向けられた黒い瞳は、じっとりと濡れているようにも見えた。

何をそんなに怯えているのだろう、と。私はおもむろに腕を伸ばし、彼の頬を包み込むように両手を広げる。
顔を向き合わせるように固定したまま、頼りなく下がる彼の瞳を縫いとめるように真剣に見つめた。

「私が知ってる竜胆さま…、と言っても。ほんの少しだけの事ですけど。竜胆さまは甘えん坊で、怖がりで、カッコイイ見た目に反してちょっと子供っぽい喋り方をする事とか。椿さんと一緒で卵焼きは少し甘めの味が好き、本当は苦いのも得意じゃなくて、でも私が作った料理は美味しいって食べてくれること。あとは笑った顔が、すっごく優しいこと。他にも沢山ありますけど、これは全部、私がこの目で見た、私が感じ取った竜胆さまです」

彼はただ、瞬きひとつなく私の話に耳を傾けていた。

「昔の事とか、それこそ妖がどうのって言われても正直私にはピンと来ません。だって当時の振る舞いも見てませんし、妖って大雑把な括りもよくわかってませんから。人間だって一纏めには出来ないくらいに沢山の人がいるんです。貴方たち妖って生き物を、たったそれだけの括りで一纏めに考えたくは無い。だから私は、自分の目で見た竜胆さまだけを信じます。寝坊助でわがままで、それでも私を気にかけてくれた優しい貴方の事を、もっと沢山知りたいと思った」

「あ、すか…」

「どうでもいいじゃないですか、過去なんて。だってこの先竜胆さまは私と生きてくれるんでしょう?」

一年間という確かな期限。きっと過ごす日々全てを忘れてしまったとしても、その毎日は私にとってかけがえのない思い出になる。

だから


「竜胆さまも私の過去は忘れてください。特に幼馴染の存在を」

「それは無理。絶対に詳細を聞き出すから」

「がっでむ!!!」