「昨晩はお楽しみでしたね♡って言ってやろうと思ってたのにお前らあっさりぬくぬく寝やがって。ちゃっかり混ざってお零れもらおうと思ってたのによ」

そう言って笑った椿さんが竜胆さまにぶん殴られたのも随分と記憶に新しい今日この頃。
彼ら二人と私を当事者に起きたすったもんだは表面上大人しくなりを潜め、あの日からも数週間と穏やかな時が過ぎている。
あの日を境に椿さんは南の離れを暫し定住先として使うそうで、そう宣言された時の竜胆さまの表情はまたとんでもなく酷いものだった。
それでもまあ小競り合いは有りつつもトントン拍子で日々は進み、気温もすっかりと暖かくなって春本番。私は今、庭の手入れにこれでもかと言うほど精を出している。

「やっぱり日当たりが良いぶん土壌も良いんだなぁ…お、ミミズ発見」

ぽふぽふと土と空気を混ぜるように柔らかく解して、指の第一関節位までの小ぶりな穴を幾つもあける。
今日蒔くのはひまわりの種を初めとした夏に向けた植物たちだ。縁側前にはプランターを置いて、朝顔や糸瓜なんかを植えて緑のカーテンも作る。

元々動植物は好きだったし、貧乏な我が家では価格が高騰しやすい野菜なんかをひっそりと自家製で育てたりもしていた。手馴れた仕草で土壌準備を終わらせて、滴る汗を手の甲で拭う。

「あすか!」

「…ん?竜胆さま」

ぱたぱたと駆け寄る音に振り返ってみれば、さっきまで朝食のおかず一品をめぐって椿さんと壮絶なじゃんけんバトルをしていたはずの竜胆さまがいて。
彼の片手にはお盆とコップ、もう片手にはどこから引っ張り出して来たのか大きな麦わら帽子を握っている。

「汗、いっぱいかいてるから。ちゃんと水分補給して。一声かけてくれたら俺も手伝えたのに…」

ぶすっと唇を尖らせながら、それでも丁寧な手つきで麦わら帽子を被せてくれる。
ほっぺたも熱くなってる、とひんやりした手が頬を包んで、その心地良さに私はうっとりと目を閉じた。

「すみません…兄弟水入らずで楽しそうにしてたので…」

「あれの何処が楽しそうに見えたって…?アイツ、折角あすかが俺に作ってくれた鮭の切り身奪って行こうとしたんだよ?」

「作ったって胸張れるようなもんじゃないですよそれ。焼いただけです」

「いいの。嬉しかったんだから」

かろんと手渡されたガラスにはいっぱいの結露が伝わって、竜胆さまの指先と遜色ないくらいに冷えた麦茶が注がれている。それを一息に喉奥まで流し込むよう嚥下すれば、内側から火照っていた熱もじんわりと冷温が染みて大人しくなった。

「それで今椿さんは」

「縁側で伸びてる。あと30分もすればまたうるさく騒ぎ出すと思うけど」

「ははっ、相変わらずですねぇ」

基本的に竜胆さまは兄弟喧嘩で手加減をしない、らしい。以前頭に大きなたんこぶをこしらえた椿さんが、ぶちぶちと保冷剤片手にそんな文句を垂れていた。

「あいつ、最近輪をかけて調子に乗ってるって言うか。あすかに関して遠慮しなくなってきたから、一回くらいきつく灸を据えないとって検討中」

「程々にしてあげてくださいね。後になって泣きつかれるの私なんですから」

「それもずるい」

不貞腐れた竜胆さまは私を隠すようにぎゅうっとその長い腕の中に抱いた。普通なら暑くてひっぺがしたくなる所だけど、竜胆さまは全身がひんやりしてるから正直気持ちいい。ガラスのコップにだけ気を配って暫しそのまま涼んだ後、今度は竜胆さまも参戦しながら庭いじりの続きをすることになった。

「ここら一帯も随分綺麗にしてもらっちゃったな」

私が種を蒔いて、その上から竜胆さまが優しく土を被せる。黙々と作業を行う中で、ふと竜胆さまが嬉しそうにそんなことを言った。

「もともと綺麗な境内でしたけどね。まあ広い分作業はいっぱいありましたけど、お二人が手伝ってくれたので想像よりも随分早く進んでます」

「そう?」

「はい。雑草取りや小石拾いやらは一人だとどうしても時間が掛かる作業なので」

何かとつけて競争を始める彼ら双子には随分とピッタリな工程だった…、と過去を想起して思わず笑った。彼らが凄い妖様だと言うことは重々承知だが、そうして小さな競い事をしている姿なんかはまるで子供のようだと微笑ましくもなってしまう。

「そういえば母屋の近くにある中庭、今いい感じに藤の花が見頃ですよね。まさか境内にああも立派な藤棚があるとは思ってなかったので驚きましたけど」

「うん、あそこは俺たちも結構お気に入り。今年はあすかが手入れしてくれたから、今まで以上に綺麗に咲いた」

つい先日花をつけたばかりの藤は、王道な淡い紫や濃い紫の花弁の他に、黄色や白なんてちょっと珍しいものもある。一角の庭園ほぼ全てを覆うように設置された藤は圧巻で、時間がある時にふと訪れて池の橋から見上げるのが私のブームである。

「あ、それなら折角ですし、あの藤周りでみんな一緒にお花見しますか?椿さんのいる南の離れからだと縁側に座ったままでも見れますし」

名案、とばかりに目を輝かせた私に、竜胆さまはふわりと嬉しそうに綻んだあと、直ぐに顔を強ばらせた。ずいっと寄せられた顔面の暴力に、私はぱちくりと瞬きをして冷や汗を流す。

「お花見は賛成、大賛成だよ。でもあすか、どうして椿のいる離れから藤が綺麗に見えるって知ってるの?まさかそこで逢い引きなんかしたりしてないよね……」

「まって冤罪冤罪!掃除しに行った時に見えただけですから!」

「その時の椿の格好は?」

「えっ…、確か着流し…」

「そのまま何処で」

「布団の上で…」

「何言われた?」

「なあ、何もしねぇからさ。竜胆には内緒で俺と一緒に…あ、やべ」

「ちょっともう五六発行ってくる」

「いや未遂ですって逃げました!!」

がたん、と立ち上がった竜胆さまにしがみつく。ああ何て馬鹿なんでしょうね私は。自ら墓穴をしっかりとショベルカーで掘りに行きました。

「あすか、もう少しあの馬鹿に危機感持って。じゃないと俺本当に兄弟を手にかけることになるよ」

「すみません…。なんか冗談と本気のボーダーラインがよく分かんなくて…」

「君に関しちゃアイツの発言は九分九厘本気。ムカつくけど。だから絶対に油断しちゃだめ。椿の所に行くんだったら絶対に俺にも声かけてよ。一緒に行くから」

「気をつけます」

不機嫌に頬をふくらませた竜胆さまはぐりぐりと私に頭を押し付けて言った。それにコツンと自分の頭を寄せて、もう一度ごめんなさいと小さく告げる。両手が土で汚れてるから、俯く彼の頬を掬ってあげることが出来ないのが残念だ。

「お花見、したくなくなっちゃいましたか…?」

ぴくんと跳ねた竜胆さまの肩。ゆるゆると持ち上がったかんばせには、ずるい、と大きな文字で書かれている。

「あすかとする事俺が嫌がるわけないじゃん。お花見はするよ、ちゃんと三人で。でもムカつくものはムカつくから、これが終わったらあすかからぎゅってしてね」

「ははっ、お易い御用っすよ!」

わしゃわしゃとその綺麗な黒髪を撫で回したい欲求を抑え、ならばさっさと仕事を片してしまおうと二人で黙々と土を弄った。種を植えて水をやって、プランターには等間隔で支柱もぶっ刺す。
太陽がてっぺんをに登る頃には二人揃ってすっかり土まみれ。気持ち良くかいた汗をシャワーで流し、柑橘っぽい爽やかな香りを纏った竜胆さまを正面からぎゅっと抱きしめてからから笑う。

「お花見の日、お弁当はどんなのにしましょうかね」

おにぎりかサンドイッチか、和食でも洋食でもどっちでもいい。でもやっぱり藤の花を見るのなら、気分からでも和食にした方が盛り上がるだろうか。
どっちにしろ甘い卵焼きは用意しますね、と笑えば、竜胆さまも嬉しそうに笑って頷いた。