「・・・・・疲れた」
視察では終始、王女の世間知らずっぷりに振り回されてばかりだった。エルダの王太子を招いての視察なのに、これでは視察の目的も誰が主体なのかということさえ変わってしまった。
今日の夕食は王女も参加した。けれど、エルダの王太子が夕食の席についていることに驚き、剰え「敵国の王子と食事なんて取れない」だの「毒を入れるなどの卑怯な真似しても無駄だからね」とか言う始末。
夕食を一緒に摂っている叔母もエリックも顔を青ざめさせていた。
エリックは体を強ばらせただけだけど、叔母はあまりの恐怖に卒倒してしまった。
叔母の脳裏には私の母を亡くした時の恐怖が蘇ったのかもしれない。
あの王女は再び、戦争を起こす気なのだろうか。
「・・・・・夜風に当たって来ようかしら」
心配事が尽きないせいで全く眠れない。
まぁ、王女のことがなくても最近あまり寝れていないけど。
眠ると戦地でのことをいつも夢に見る。戦場で起きたこと、出会った仲間、自分が殺した名前も知らない誰かのことを夢に見るのだ。
戦争は終わったのに、私の心はまだ戦地にいる。戦地に取り残されたみたいだ。
「風が少し冷たいけど、気持ちがいいわね」
邸の裏門を抜けたところに少し行くと池がある。そこまで歩いて私は池に映る月を見つめる。
『みんなが幸せになれる国』にすると王女は言った。
私の仲間たちは、戦場に行った人たちはそんなもののために死んでいったわけではない。そんなものを望んだわけではない。
ただ、守りたかっただけだ。
ある者は家族を、ある者は恋人を、ある者は友人を、ある者は日常を、ある者はその全てを。
「みんなが幸せになれる国」

『その幸せを奪ったのは国なのに?』

池の中央に頭から血を流している人物が立っていた。かつての戦友だ。
これは幻覚だ。
分かっている。でも、目が離せない。

『どうして俺たちは死ななくてはいけなかった?』
戦友はそう私に問う。

『どうして俺たちは殺されなくてはいけなかった?』
いつか殺した敵国の騎士が私に問う。

『そんなもののために私たちの日常は壊されたの?返してっ!息子を返して。私たちの日常を返して』
守れなかった村人が泣きながら責める。

チャポン

私は池の中央にいた。
幻覚に気を取られている間に、無意識にここまできてしまったようだ。池の水は腰の高さまである。あと一歩踏み出せば足が届かずに溺れ死ぬだろう。
死ねるのだ。この一歩で。でも・・・・・・死ねない。
この一歩だけは踏み出せないのだ。
「死なないのか?」
池の淵にミラン王太子が立っていた。
「死ねません」
「なぜ?」
「たくさんの命を奪ってきたから、たくさんの命を失ってきたから。死んで楽にはなれません。自己満足でも、生きて償うべきです」
「誰もお前を責めない」
ミラン王太子の言葉はまるで甘い毒だ。その毒を飲み干して、死んでしまいたかった。
「そうかもしれません。でも、死ぬわけにはいかないんです。簡単に奪える命でも、簡単に数に置き換えられる命でも、軽くはないから。その命を守るために多くの犠牲を払ってきたから、生きて帰ってきた私たちは死んではいけないんです」
この一歩を踏み出せたらどんなに楽だろうか。踏みとどまることはとても難しい。だから歯を食いしばり、拳を握り締め、踏みとどまるのだ。