『夢の湯』はお休みにした。

パパとおねえちゃんとあたしは、お花をたくさん抱えて車に乗った。
おばあちゃんは和菓子屋さんの包みを持ってきた。

ほんのちょっと車に乗って、おじいちゃんのお墓にいく。そこにはママも眠っている。
お墓を洗って、水をかけるとおじいちゃんの声が聞こえてきそうだった。

「う~ひゃっこいねぇ」って。聞こえてこなかったけど。

 おばあちゃんは、おじいちゃんの好きだった和菓子屋さんのかりんとうをお供えした。

「ちょっとお前さん、早すぎたんじゃないかい?ひょっとして、番台にすわってやしないかねぇ?」
 あたしは、おかしくて笑ってしまった。

 よくおじいちゃんにかりんとう貰って食べたっけ。甘いもの大好きだったよね。
 カリリッ カリッ ボリッ ボリッ
 パパが袋から取り出して、かじっている。懐かしい音。

 おねえちゃんは、お花をたくさん飾ってお線香をあげると、ママとおじいちゃんにたくさん報告があるのだろう長い間手を合わせていた。

 あたしも心の中で「ママ、おじいちゃん。あたしがんばるからね」って手を合わせた。
 パパは、ふてくされた男の子みたいにかりんとうをかじっていた。


翌朝、朝練が終わったあと、校庭の端に夏香と腰をおろした。

空気は冷たかったけど日があたって白く光っているその場所は暖かかった。
「気持ち、いいよね~」
 夏香が大きく伸びをして、空を見上げる。白い雲が流れていく。春は近いな。
 春を感じたあたしの口から言葉がすべりだした。

「おねえちゃんがさ、結婚するって言い出して我が家は大変なんだ」
と、いっきにしゃべる。

 夏香は、「うん」と目を見張って身体をおこした。

 あたしは、心の中に渦巻いている気持ちや出来事を思いっきりしゃべっていた。

 おねえちゃんが結婚する事、そうしたらパパと二人っきりになる事、おねえちゃんの代わりができるかという不安。
田嶋あおいが来た事。本当はしゃべりたくてしかたなかったんだと思う。


 あたしが息を切らすたび、夏香は「うん」とうなずいた。
 遠くの方で始業ベルの音がしていた。でも、二人にはそんなこと関係なかった。

「まず、田嶋あおいの気持ちはわかるなぁ~。葉月のそっけないけどまっすぐ前を見ている感じ、好きだって思ったの一緒だもの」
 そう、いっきに吐き出すと夏香は う~んとうなって腕を組んだ。

「パパは、きっとショックを受けているんだと思うよ」
「どうしたら、いい?」
 もう一度夏香がうなった。

「まず、葉月がおねえちゃんの代わりが出来るくらいに成長したって思わせようよ」
「うん、がんばってみる」
「だいじょうぶ、葉月には夏香がついているって。応援してるよ、いつでも助けに行くからね!」
 たのもしい言葉。少しだけがんばれる自信がでてきた。

「それから、パパには何かショック療法が必要かも。うぅ~ん、どうしたらいいかなぁ~」
 
 その時遠くの方で、陸上部の顧問の先生が大声で怒鳴っているのが聞こえた。
「こらぁ~!授業始まるぞぉ~、なにしてる~!」
 あたしと夏香は、走り出した。

「きゃぁ~~、やばいよ~~」
「うわぁ~~、まずい~」
 校庭を走っていく途中、夏香があたしに抱きついた。

「はづき!だ~いすき!」
「ほら、急がないとまた走らされちゃうよ!」
 背中に太陽の光があたって、すごく暖かかった。心も暖かかった。



あたしは、考えた。

パパもおねえちゃんもあれから口をきかない。
パパはおねえちゃんと目を合わせないようにしている。
いい加減、子供みたいだ。

そんなパパのことがわかるから、おねえちゃんは何にも言えないのだろう。

今までだったら、あたしはそのまましらんふりだったと思う。

でもね、今日は春みたいに暖かいよ。ベランダのクロッカスも小さいけど、つぼみをつけている。
もうすぐ、春はそこまできている。

あたしが今まで後ろを向いていたように、みんなどこを向いているのだろう?
だけど、ちゃんと前を向けばきっと何かが見えてくるってあたし、わかったんだよ。
月の光がベランダに落ちる。

暗くて寒い冬は、春が来るまでの楽しい期待の季節なのかもしれない。
このごろそう思えるから、あたしも進化したもんだ。

パパがお風呂に立った。

その時、あたしの頭の中で夏香が言った言葉が聞こえてきた
『 それから、パパには何かショック療法が必要かも。うぅ~んどうしたらいいかなぁ~』

 ああ、お風呂。小さいときは一緒に入っていたっけ。いつも、三人で泡だらけになって笑っていた大好きな時間だった。あたしの胸の中がぶくぶくと泡でいっぱいになってきた。
あたしは、急いでおねえちゃんの洗い物を手伝って耳打ちした。

「一緒に入っちゃおうよ!!」
「えぇ~~?」
 洗い物の手を止めて、おねえちゃんがあたしの顔を見ている。

 あたしは、そ知らぬふりをして手早くお皿を洗った。
「ほら!早くしないと出てきちゃうよ!」
家のマンションは、パパもママもお風呂が広いところが気に入って買った。

広いって言っても『夢の湯』みたいじゃないけど、普通の家のお風呂の中では大きめだと思う。
でも、おとな三人が入るには十分じゃない。

「やっほ~~!!」

するりと服をぬぐと、あたしはお風呂のドアを開けて飛び込んだ。

おねえちゃんも、笑いながら入ってきた。

「な、ななんだ。どうしたんだ!」

 湯船に入っていたパパが、あんぐりと口をあけて間抜けな顔。

「つい、この間まで三人で入ってたじゃん!」

 洗い場は、おねえちゃんとあたしでいっぱいっぱい。

 おねえちゃんもあたしもやせているしそんなに大きい方じゃないけど、さすがに湯船に入ったらお湯がジャブ~ってこぼれた。
 三人とも声をあげる。
「きゃぁ~~」
「うわぁ~~」
「いぇ~~い」
 そして笑い出した。三人して笑った。あたしは、おかしくて仕方がなかった。

 パパのとぼけた笑顔。おねえちゃんの恥ずかしそうな笑い顔。
 あたしは、きっと幸せそうな顔して笑っていると思う。

 おねえちゃんがパパの背中を流してあげた。たくさん泡をつけてぶくぶくにする。
 あたしは、湯船からおねえちゃんの背中を洗う。ぶくぶくと、三人とも泡だらけ。湯船まで気がついたら、泡のお風呂になっていた。
それから三人して泡の中に入って、蛇口いっぱいひねってお湯をつぎたした。

足がぶつかる度、泡が流れて落ちる。

ようやく普通のお湯になったところで、おねえちゃんが上をむいて呟いた。

「ごめんね~パパ、はづき。一人でいろんな事決めちゃって」
 あたしは声が消えないうちに
「ばっかじゃないの~、自分の幸せ考えなくっちゃだめだよ、今までたくさんあたしたちの事ばっか考えてたんだもんねおねえちゃんは!」
 久しぶりにパパがお父さんに戻った。

「そうさ、何言ってるんだ。沙友紀が、幸せにならなきゃパパが困るよ」

 パパの声は涙声だった。

「まだまだ、パパには葉月がいるじゃん!」

「そうよ、わたしはこれからパパや葉月の協力がなくちゃ、幸せになれないわ」

「パパは、沙友紀も葉月も一人前にしなくちゃ、天国のママに怒られちゃうからな!だから二人とも、パパの事は気にしないで自分の幸せの為に生きなさい」

 おねえちゃんが泣きながら、小さい声で
「わたし、パパの娘でよかったわ」
 あたしは大きな声で言った。

「パパなんか、嫌いだけどすっごくすっごく大切なんだからね~!」
 パパは、撃沈した。

「二人とも、まだまだ子供のくせに!」
パパは湯船にもぐった。もぐって出てこなかった。

あたしとおねえちゃんは、二人して目を合わせると笑い出した。
笑いながらあたしは、お風呂から飛び出した。おねえちゃんも出た来た。
お風呂は心もはだかにしちゃうんだね。心までほかほかだよ。

きっと、パパは今日はゆでだこだ。
たおれないでね、あたしの大切な大好きなパパ。

風は強くなってきた。

春が来る前はそんな事の繰り返しだね。そうして、若い木の芽は少しずつ少しずつ大きくなっていくんだ。



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