一年後。わたしは小説家としてデビューした。ハルとの日々を書いた作品が文芸新人賞の大賞を取ったのだ。書籍化が前提の受賞だったから、現役の高校生の身分でプロの作家になった。とはいっても大学進学を諦めたわけじゃない。勉強しながらでも小説は書ける。自分の好きなジャンルならば自然にいくらでも書けた。悩んでいた頃のように頑張って書く必要はなかった。

 わたしの成功を見届けたハルは空に帰ってしまった。

「神さまとの約束なんだよ。一年だけ、この姿でメルと一緒にいられるという約束なんだよ」
「そんな…」

 そんな話は聞いていないぞ。ひどいじゃないか。

「ハルがいたから、きみがいてくれたから受賞できたんだよ。いてくれないと困る」
「受賞はメルの才能だよ。僕はなにもしていない」
「だめ。帰ったらだめだよ」

 メルがふわっと宙に浮いた。その手をつかもうとしたわたしの手が空を切った。

「泣かないで。ありがとう。さようならメル。大好きなメル」
「いかないで!」
「ありがとう」

 ありがとうを言うべきなのはわたしの方だ。高く高く昇って行ったハルの姿が次第に透けていく。小さくなったやがて見えなくなった。

 大学生になってから文壇の有名な賞を受賞した。受賞記念のインタビューを受けたわたしは、空から落ちてきた猫耳の男の子とハルの話をした。本当の出来事なのにインタビュアーの男性はなにかの比喩であると受け取ったようだ。

 男の子に転生したハルがいなくなってからも、わたしはしばしば空を見上げていた。もちろん、また猫耳の男の子が落ちてくるのを期待してだ。また会いたい、会わせてくださいと天に向かって何度も祈った。

 大学を卒業し、しばらくしてから同業の男性と結婚した。夫婦ともに売れっ子作家じゃないけれど仕事は順調だ。生活にも満足している。

 ある日の早朝、川べりの道を散歩していたら、にゃあと鳴く声が聞こえた。慌てて見回しても段ボール箱は落ちていない。子猫の声が聞こえたと思ったのに。きっと空耳なのだろう。

 家に戻ってコーヒーを淹れる。夫はまだ起きてこない。庭に続く、開け放った窓から、秋の匂いが入ってくる。

 目の端でなにか動いた。そちらに顔を向けると…

「にゃあ」

 まだ子どもの猫だ。真っ黒な子猫がわたしを見上げている。開いている窓から入ってきたようだ。思わず懐かしい名前で呼びかけた。すり寄ってきた子猫を抱き上げる。

 どうやら神さまは、やはり良い人らしい。