「オリヴィア・リアーテル侯爵令嬢! 我が愛しのエリーピアを陰で虐めていたそうだな! 貴様のような性根の腐った女とは到底結婚などできない! よって貴様との婚約を破棄する!」
「——なにをおっしゃっておいでなのか、おわかりですの? セイドリック王子」
「無論だ! 衛兵! この毒婦を永劫の森へ捨ててこい!」
「な! セイドリック殿下!? わたくしの話も聞かずそのような! 我が家が黙っておりませんわよ!? 殿下——!」

 あらー。
 ……と、その時のわたくしは連れていかれるオリヴィア様を見ながら頰に手を当て、隣にいた婚約者のティオの腕に擦り寄った。
 彼も唖然としてその茶番を眺めており、王子の周りに上位貴族の令息たちが近づくのを困ったように見守る。

「マリアンジュ、知っていたか?」
「エリーピア様ですか? 最近噂にはなっておりましたけれど、まさかこんな大事になるとはさすがに思いましませんでしたわ」
「いったいセイドリック殿下はどうされてしまったのだ……」

 ね、と彼と共に、この事態が早く収拾することを祈り、その日はいつも通りに彼に送られて帰宅した。



 しかし、わたくしたちは無関係ではなかったのだ。
 後日、突如我が家に王宮から王家の御璽(ぎょじ)入り書簡を持って使者がやってきた。

「わたくしとティオの婚約を無効!? どういうことですか!?」
「マリアンジュ・ヒース伯爵令嬢、あなたと次期伯爵であるティオ・アルトニー様との身分が吊り合わないと判断されました。よって、正式に王家より婚約を取り消し。無効とする決定が下されたのです」
「馬鹿な! 確かにティオは公爵家の令息だが、学園卒業後は伯爵の爵位を賜り独立した伯爵家となる! それでなぜ、伯爵家である我が家のマリアンジュとの婚約が無効となるのだ!」

 これにはわたくしの父も珍しく声を荒らげた。
 当然だ。
 わたくしとティオが婚約して、もう十年になる。
 学園を卒業したら結婚して、我が家の領地に一緒に住む予定なのだ。
 そのためのお屋敷だって建設中。
 それなのに、今更婚約を無効!?
 どういうことなの!?

「その代わり、マリアンジュ嬢にはセイドリック殿下の側室として王宮に入っていただきます」
「なんだと!?」
「ヒース伯爵家にとっても悪い話ではありますまい? これは国王陛下からの命令でもあります」
「そんな! なにかの間違いです! いくらなんでも、そんな……意味がわかりません! なぜ!」
「これは決定です」

 ——なぜ。
 なぜ? なぜ?
 いくら聞いても、誰に聞いても答えてはもらえなかった。
 けれど、輿入れし、王宮に入ってからその答えはわかった。

「では頼んだぞ、マリアンジュ」
「よろしくお願いしまーす!」
「……っ」

 山積みの書類。セイドリック殿下が行うべき政務と、王妃が目を通すべき案件の山。
 学園卒業後、正式に結婚したセイドリック殿下とエリーピア様は、すべての責務をわたくしに押しつけた。
 唇がなにかを紡ごうとして、閉じる。全身が震えた。
 オリヴィア様を永劫の森に追放して、自分たちの仕事が片づかないと気づいたから慌ててオリヴィア様の次点であるわたくしを引き抜いたのだ。
 無理矢理婚約を無効にして、ティオと引き離してまで。
 こんなことが、こんな横暴が許されるなんて。

「……ティオ……ティオ……!」

 それからは地獄の日々だった。
 二人分の仕事をすべてわたくしが処理し、視察に行けばお二人は観光、わたくしは現地訪問。
 国王陛下が死去され、セイドリック殿下が王位を継ぎエリーピア様が正妃となるその横で、わたくしが正妃の仕事を淡々と、黙々とこなす日々。
 ティオは独立した伯爵となり、騎士に志願して時折遠くからわたくしに手を振ってくれた。
 彼はわたくしとの婚約破棄後、未だに妻を娶ってはいないらしい。
 あなたもわたくしと同じ気持ちということなのかしら?
 そうだと嬉しい。
 ティオ。わたくしの大好きなティオ。
 遠くからあなたの顔を見るだけでも心癒される。

「おい! マリアンジュ! どういうことだ! 隣国ジドリアスが我が国に宣戦布告してきたぞ!」

 結婚して五年後のある日、セイドリック陛下とエリーピア様が書簡を片手にわたくしの執務室に入ってきた。
 なにを言っているのだろう?
 そんなのは当たり前だ。

「どういうこともなにも……セイドリック陛下がオリヴィア様と婚約されたのは、オリヴィア様のお母様のご実家——ジドリアス王国との友好を示すためのものだったではありませんか」
「っ!」
「それを一方的に婚約破棄などして、国内の伯爵家出身のわたくしの言葉など、ジドリアス王国にどうやって届きましょう? セイドリック陛下には再三、ご自身でお手紙をお出しするか、ジドリアス王国へ足を運び外交をなさってくださいと申し上げたはずです」

 さすがにこればかりはわたくしの力ではどうすることもできない。
 だからセイドリック陛下には、何度も申し上げていた。
 随分適当に「あー」などとお返事されていたから、なにも手を打っていないな、とは思いましたけれども。
 一応戦争の準備は秘密裏に整えていた。
 迎撃は可能だが、国力に差がありすぎる。
 我が国は負けるだろう。
 そうなればセイドリック陛下とエリーピア様はよくて幽閉。
 わたくしもどうなることか。
 ああ、ティオ……あなたとともに、この国から逃げてしまえたら……。

「それをなんとかするのがお前の役目であろう!」
「信じられない! きっとマリアンジュ様はジドリアスと通じて我が国とセイドリック様を陥れようとしたんですよ!」
「なんという、悪女め! 衛兵! 衛兵! この売国奴を捕らえろ!」
「……はっ!」
「………………っ」

 一瞬、衛兵たちさえ困惑の表情を浮かべた。
 それもそのはず。彼らはずっとわたくしの仕事ぶりを見てきた。
 そしてきっと、今悟ったのだ。この国の終わりを。

「俺に忠誠を誓わぬ側室はいらん! ああ、そういえば貴様の元婚約者は騎士だったな。父上の弟の息子……俺からすれば従兄弟だが……奴には前線に行ってもらうとするか」
「な——!? ティ、ティオは関係ありません!」
「ははは! 側室とはいえ妻に手を出されたのだから当たり前だろう! この売女め! ティオが死んでから貴様も処刑してやるから、楽しみにしていろ!」
「や、やめて……いや! やめてええぇ!」

 手を伸ばす。
 ああ、どうして。

 ——どうしてこんなことに。

 硬い地下牢の地面に座り込み、手枷をつけられた手を眺める。
 まともな食事など出されることはなく、一日一食のパンと味のないスープだけ。
 救いだったのは地下牢の兵たちすら、わたくしのことを知っていて、外の近況を親切に教えてくれた。
 やはり我が国は圧倒的に不利。
 そして、開戦から一ヶ月後——ティオの戦死の報をセイドリック自ら伝えにきてくれた。

「次はお前の番だ。この裏切り者め」

 王とは思えない下品な笑みを浮かべ、わたくしを哀れむ兵士たちを従えて処刑台へと誘う。
 これがこの国の王?
 暇なことね。
 負けが決まっているような戦の最中に、わたくしの処刑をわざわざ自ら率先して行うなんて。

「さあ! 皆のもの! この女こそこの戦を引き起こした大罪人! マリアンジュ・ヒースだ!」

 民衆の前に跪かされ、兵たちの交差した槍に首を押しつけられる。
 民衆の罵倒の声は小さく、困惑の色が窺えた。
 わたくしの仕事ぶりを、民も見ていてくれたからだろうか。
 けれど、セイドリックの紛れ込ませた火付け役が「とんでもねぇ女だ!」「殺せ!」と叫び始めると、少しずつ罵倒の声は大きくなっていった。
 仕方ない。ここで声を上げなければ、わたくしの味方をしたことになる。それでいい。
 わたくしの味方はいなくていい。
 わたくしはティオさえいてくれれば、それでよかった。
 むしろ、あの処刑用の斧が早く振り下ろされることを祈っている。

「やれ!」

 ティオ、今あなたのところへ——……。


 ずるん。


 頭が転がる。
 ごろん、ごろん。
 ではなに? 今の、なにかがずる抜けたような音は。
 まさか……古の——?

「!」

 知っている天井。天蓋。
 飛び起きて手を首にあてがう。
 繋がってる?

「お嬢様? おはようございます?」
「え? あ、お、おはようステラ」
「おはようございます。今日はお早いですね。やっぱり今日から学園だから、ですか? ティオ様と毎日会えるって、昨日の夜からはしゃいでらっしゃいましたものね」
「え?」
「え?」

 今日から学園?
 部屋を見回すと、確かに学園の、わたくしの寮の部屋。
 ——時間が巻き戻っている?

「…………古の守護死天使ね」
「マリアンジュお嬢様?」
「いいえ、なんでもないわ。少し夢見が悪かったの。準備を手伝ってちょうだい」
「はい」

 そう、古の守護死天使がわたくしの魂は刈り取るに値すると言うのね。
 この国で時折王侯貴族に“やり直す”機会を与え、繁栄の機会を与えてきた死の使者。
 “やり直し”した者は、その対価に死天使へ魂を捧げなければならない。
 ええ、いいわ。
 あんな未来を——ティオを失うくらいなら、わたくしは死の使者に魂も売るわ。
 引き摺り下ろしてあげるから、覚悟なさい。

 わたくしはマリアンジュ・ヒース。
 占術でのし上がったヒース伯爵家の魔女なのだから!