「あ~ただいま~。今日も疲れたぁ~。」

築40年の古ぼけたマンションにエレベーターなどという便利な乗り物は存在しない。

コンクリートの階段を4階まで息を切らしながら昇り、鉄製の赤茶けた扉の鍵を開け、やっと我が家の玄関にたどり着いた。

1Kバストイレ付・賃料6万円の狭い部屋だけど、ここが私の東京でのお城だ。

私の住んでいるマンションは、中央線のサブカルチャーの聖地と呼ばれる複合ビルがみえる駅を降り、20分ほど歩いたところにある住宅街だ。

家の近所には広い公園があり、植物を愛でるための緑と散歩には困らない。

東京という街は便利なもので、3駅くらいなら余裕で歩けるし、コンビニも銀行のATMもヘアサロンも歯医者もいたるところにある。

それにお洒落な雑貨屋やカフェも、下北沢や吉祥寺に行けば沢山ある。

それだけでも東京に出て来て良かったと思える。



両親と4歳下の弟が住んでいる実家は埼玉にあり、東京と隣接している市だけれど、都会に出るにはかなり交通の便が悪いところだ。

駅前には大手デベロッパーが仕掛けた大型商業施設があり、ここで衣料・食料・インテリア・家電製品など生活に必要なモノが全て揃う。

けれどそこから10分も歩けば、見渡す限りの田んぼや畑の中に、ポツンポツンと一軒家が点在する地方の田舎町の風景が広がっている。

寒い冬が来ると女学生は制服のスカートの中に緑色のジャージを着用し、自転車に乗る男子学生の頭には、もれなく白いヘルメットが被られている。

私はその町の大きな団地の中で生まれ育った。

そこでののんびりとした生活も悪くはなかったけれど、ダメ元で受けた公務員試験に受かり、就職を機に東京での一人暮らしを始めた。

経済的にはあまり余裕があるとはいえないけれど、母が定期的に送ってくれる野菜や缶詰などの食料品を使って日々節約を心掛け、慎ましい生活を送る毎日だ。

生活費を節約する分とボーナスのほとんどを貯金して、通帳の数字は3ケタに達した。

利息はあまり期待できないけれど、そろそろこの貯金を定期に変更しようかと考えている。




私が玄関でパンプスを脱いでいると、部屋の奥から愛猫のマリモがのっそりと姿を現した。

「マリモちゃーん!今日もお出迎え、ありがとね!」

「にゃおーん」

マリモは猫の中でも一番人気だと言われているミックスのオス猫。

キジトラ柄のフサフサした毛に抱きつくも、マリモは私の腕からするりと抜けて、また部屋へ戻っていく。

まったく、マリモったらツンデレ猫ちゃんなんだから。

でもそんなところも可愛い。

一人暮らしを始めてまずやりたかったことは、インテリアを統一すること。

実家のインテリアは和室なのに母の少女趣味が炸裂していて、ニトリで購入した黄色い花柄のカーテンやクッションが幅を利かせるも、本棚の中には父コレクションの旅先で買った大小のこけしが飾られている。

これが結婚生活における妥協というヤツなのね、と私は早々に結婚の現実を悟った。

だから私の東京での部屋は、大好きな昭和レトロの雑貨で埋め尽くした。

新品は高いので、下北沢や西荻窪の中古を扱うアンティークショップを巡り、自分の気にいったモノだけをひとつひとつ買い揃えていった。

特に渋い焦げ茶色のシンプルチェストは大のお気に入り。

ただ・・・ベッドは部屋の広さ的に買えなかった。

だからわずかなフローリング床の中央に、実家から持ってきた布団をひいて夜は寝ている。

結婚し子供が出来たら、部屋を自分の趣味だけで飾ることなんてきっともう出来ない。

セピア色の写真立ての横にダンナの趣味のフィギュアが並び、部屋の隅には子供のレゴブロックが所狭しと置かれるに違いない。

だからせめて今は自分の好きな雑貨や家具で部屋を埋め尽くしたいのだ。