プロローグその1
 ある日の事だった。
 その日はとても綺麗な晴れわたる日で、空の彼方から綺麗な光が溢れる、絵に描いたような良い日だった。
 その日、彼はこの世に生を受けた。
 望まれ、待たれ、焦がれて産まれたその子はとても綺麗でいてとても醜悪(しゅうあく)風貌(ふうぼう)をもち、これから疎まれる存在になる事がすぐにわかった。
 その日、彼女は産まれた。 
 とてもじゃないが美しいとはいえない日に生を受けた彼女はとてもじゃないが望まれて産まれた訳ではなかった。
 彼女の名は(ナツメ)と名づけられた。
 コレは全く反対で全く一緒な何人かの話しだ。

第一話 逃暇行(とうひこう)
 あぁ、暇だ。
 そんな言葉を彼女は飲み込んだ。
 何ともないことを嘆くのはきっと違う事なんだろうけど、暇は身体に毒だとかそんな他愛ないことを思った、何の変哲もない日の昼下がりだった。
 棗と言う彼女はこの辺りに移り住んだのはつい数年前の事で、たった今、余り足を向けた事の無い道に進む事を決めた。
 いつも通って居る図書館の裏を通り過ぎて、歩を進める。
 そんな中で棗はこの先にあると言う館の噂を思い出した。この先にあるらしい館には親に愛されなかった少年の幽霊が住みついているらしい……。
 バカらしい。それが棗の感想だ。親に愛されなかった、だって?
 それなら親に会う事も出来なかった私は、どうなんだって、それで私は苦しんだ時期もあった。
 ……そんな言葉も戯れ言だけれども。
 なんでもない。なんでもないと自分に言い訳をして、醜い気持ちを飲み込んだ。
 そうして無心に足を進めていたらふと、微かな猫の鳴き声が聞こえてきた。
 グルニァーォ……。
 なんだか弱々しい声に肝が冷える。
 「大丈夫!?」
 ばっと声のする方を覗き込むとそこには可愛らしいふわふわの猫が蒼色の眼をして棗を見上げていた。
 「ぇぇえ?」
 とても先ほどの鳴き声からは想像できないその姿に可愛いと言う感想と何故?と言う感想が同時に出てきた。戸惑う棗に猫はミュウ…と微かに鳴いた。
 その声に棗は本来の目的を思い出す。
 (そうだった!)
 よくよく観察すると猫はお腹をすかしているらしい。
 少しためらったが背に腹はかえられないと思い、棗はリュックを漁った。
 先ほどお昼ご飯用に買ったシーフードサラダを出し、棗はシーフードだけを出して猫に与えた。
 猫はすぐに匂いを嗅いで食べ始めた。
 余程腹が減っていたらしく、すぐに食べ終わりまだなにか催促するように鳴く。
 棗は少し悩んでサラダチキンを出して猫に与えた。
 食べ始めた猫のふわふわな毛並みが麗らかな光を反射してきらきらと光っている。
微笑ましくなり、棗は猫の毛並みに手をうずめてその温かさを感じつつ、可愛いらしくも珍しい見た目の猫を眺めた。    
 このタイプの猫はこの辺りでは珍しい。きっとこの猫の飼い主は金持ちなのだろう。
 猫を触っていると毛に埋もれて見えないが首輪が着いているらしい事が確認出来る。 首輪には住所が確認出来た。
 小漆市夢露羽町113番地 椏鳩鴉(あくつ)
 椏鳩鴉と言えば大変な名家だ。科学者や医者に免許証がいるこの時代の中でその半分が椏鳩鴉に組みすると言う。
  棗はこの巡り合わせになにか心惹かれるものを感じた。コレは必然なのだろうと。
 猫を抱え込み、その住所に向かう。
 まだなにか心惹かれるものを感じる、その事に胸踊りながら。

  「あれ……?」
 ココは例の館ではないか。
 着いた先はなんと噂の館だった。
 本当にココなのか分からない。しかもココはとても高い塀で囲まれているために中に入る術を棗はもっていなかった。
 腕の中の猫が身じろいだ。
 慌てて抱え直し、棗は煉瓦塀を見上げた。
 ココを登ろうとするのはやはり無理なようだ。辺りを見回すと煉瓦塀の一角になにやら物置があるようだった。
 ココ、行けそうだな。
 なんでだかそう思い立ち、棗は物置に登れる物は無いかと周囲を見回し、漁り始めた。
 なんでそんなふうに思ったかは分からない、けどこの猫をこの向こうへ、自分をこの向こうへ行かせなきゃいけない気がして。この非日常な現象になにか心惹かれるものを感じた。この機会を逃したらもう自分にはこんなに心惹かれるものに出会えない気がして。
 ソレはきっと必然だったのだろう。
 とても醜悪でいてとても綺麗な、
 とても無関心ではいられないような、
 心を掴まれ
 心臓を引きずられ、
 思考も心もぐちゃぐちゃになるような、
 めくるめく悪夢。
 無関心ではいられないような偶然。
 避ける間もない突然。
 だからこの後に起きる悲しみにもこの後に起きる苦しみにも気付けなかったんだ。
 「あ!コレ使えないかな……」
 見つけたのは長い板だった。しっかりしていて分厚く何より劣化していない。
 猫をリュックに入れて物置に板を立て掛ける。
 「おっと………」
 慎重に板を登った。少し滑ってヒヤヒヤしつつ、慎重に登りきる。物置の上から見る景色は決して美しいとはいえないしリュックの中の猫が重い。
 だがしかし、物置から見える館の景色は棗の胸を踊らせた。
 美しく、可憐で、可愛らしい館が堂々とそびえ立っていた。
 そのとても広く圧巻の庭園は棗の知る草木や花々に棗の知らない花々に満ち溢れていた。
 よくよく見るとこの物置がある後ろに階段があるようだった。誰かが歩きやすいように置いたかのようなその位置に棗は首を傾げた。
 階段を降りて、館へと降り立つ。ココは館の裏側らしく、神々しい館はそっぽを向いて、棗の出入りを歓迎していないかのようだった。
 棗はリュックを下ろし、中にいる猫を眺めた。猫はぐっすりと眠っていてなんだか棗も眠たくなってきた。
 木陰に座り込みうとうととまどろむととても気持ちが良くてなんだかここの外の事を思い出す事もなく、ただただ心地よい穏やかな日差しを浴びて意識を手放した。

 そよそよとそよぐ何かに触れられて棗は目を覚ました。
 寝起きで揺らぐ視界にあの猫が映る。
 おはよう、と口だけでいって、猫を撫でる。
 日の登り具合いから眠ってから一時間くらいだと言う事を察する。ヒラヒラと舞う蝶が目の前を通り過ぎて、棗の間近くにある煉瓦塀(れんがべい)を越えていく。
 さぁっと風が緑になって吹き閉じる。
 帰らないとと棗は階段を登り始めた。大丈夫って、心に言う。この予感を手放さない。きっと。いいさ、またあした来れば。
 残された猫は階段を見上げてから眠り始めた。

第一話エピローグ
 「(えんじゅ)
 涼しげな少年の声が響いた。少年の後ろには金髪碧眼(きんぱつへきがん)の青年が立っている。この辺りでは見ない、外国人とのハーフのようだ。
 「ねぇ槐、ルシャがこんなところで眠ってる。」
 槐と呼ばれたその青年はフワッと笑った。その場が華やぐような笑だったが少年は笑わなかった。
 「そうだねぇ。誰か来てたのかもしれないよ?もしかしたら友達になれるかも。」
 歌うようなその声に少年はムスッとした表情で言い放った。
  「来る訳ないだろ。誰も……ー」

第二話 一会
 「棗ちゃん、もう行くのかい?」
 養母の茱萸(ぐみ)さんの声を聴きながら棗は階段を駆け下りた。早くあの館に行かないととただただ気が急いていた。
 「棗ちゃん、急ぎすぎて事故にあったりしないでね」
 茱萸さんがいつも通りの声をかけた。
 「はーい!」
 返事をして手を振る茱萸さんを尻目に駆け出した。

 昨日ぶりの館はやはり綺麗だった。花びらが降り敷き、緑のカーペットを色とりどりの色で染め上げる。蝶が遊びたんぽぽやスミレが絵の具をぶちまけたかのような華やかさがあった。
 グルにゃーお……
 控えめな可愛いくない声が聞こえてきた。振り替えると昨日の猫がトテトテと歩み寄ってくるところだった。
 「昨日ぶりだね」
 声をかけてリュックからシーチキンを取り出す。猫は感謝するように鳴いてシーチキンをかきこみ始めた。
 あっという間に食べ終わり猫は小さなゲップをしてミャーと鳴いた。頭をすり付けて構ってとアピールする。棗は猫を抱き上げて館の庭園を散策する事に決めた。
 「お前のご主人様はどんな人なの?」
 猫を抱き上げ質問してみても当たり前、答えは帰って来ない。わしゃわしゃ猫を撫でると猫は気持ち良さそうに喉を鳴らした。
 館の前を通り過ぎて畑と思わしき場所を抜けてビオトープを渡る。美しく管理された庭園はどこかの博物館か公園を思い出した。ただただ、美しい。
 温室らしき建物が見えてきた辺りで猫がいきなり腕をすり抜けて走り出した。
 意表をつかれた棗は慌てて猫を追いかけた。
 桜の木の森をかけて行く猫がいきなり見えなくなった。だがしかし棗も急には止まれない。
 結果、なにかにけつまずいて派手に転んだ。
 桜の花びらと土をこすり、あちこちがズキズキ痛む。余りの痛みに棗は泣きかけそうになった。
 視界の端に起き上がる人影がある。桜吹雪に白く見えるその人影が認識できる前に棗はとっさに顔を伏せた。サクサクと草を踏む音が近づいてくる。その音が近くなる度に棗の心臓はバクバクとうるさかった。
 「ねえ、キミ。」
 何者か分からないが少年のようだ。棗は慌てて返事をしようとするが緊張から声が喉に張り付いて出てこない。
 「なんでココにいるの…?誰も入れないはずなのに」
 敵意がビシビシと伝わってきて、棗はいつの間にかカタカタと震えていた。相手はなにか言いかけて、やめた。
 「す…っすみませんっ。私は、猫をココに届けにきたんですけど」
 「けど……?けど、なに?」
 相手はなにか気に入らないようで聞き返してきた。棗は膝にできた傷が痛くなってくるのを感じた。
 相手はため息をついて、「立てるの?」と聴いてきた。
  (何なんだろう。この人は。)
 棗は顔を上げた。相手は慌てて顔を隠したけれど、間に合わない。棗は相手の顔を正面から見てしまった。
 「っつ………!」
 「あ……!?」
 その瞳は赤く、その髪は真っ白だった。
 彼は驚いた棗を見て顔をしかめた。棗は相手が嫌な顔をした事に気づき、慌てて弁解した。
 「あのっ!!」
 彼は非常に驚いた様子でこちらを凝視した。どことなく居心地悪く感じながら棗は言葉を紡いだ。
 「私は気にしません!と言うか綺麗……だと思います!」
 彼は言葉にならない声で「なっ……!?なんだソレッ……!?」っと顔を赤くした。こちらまで恥ずかしくなってくるその態度に棗は顔を赤くした。
 しばらく誰も何も言わない時間が続いた。どことなく気まずい二人は相手の顔色を伺うように言葉を探していた。
 「立てるの?」
 彼がブスッとして棗を気遣った。棗は相手が何を考えているか分からずに返事をした。
 「まだ痛くて」
 彼は棗に手を差し出した。たぶん立てという事なのだろう。なんとなく想像が付き、棗は彼の手を取った。
 彼は棗の傷のお構い無しに手を思いっきり引っ張った。
 「痛ッ……!」
 思わずうめいた棗の顔を覗き込み彼は「しょうがないから何も言わないでね」と、棗をお姫様抱っこした。
 私、知らない男の子にお姫様抱っこされている!?
 「僕なんかが触ってごめん。」
 見上げた彼の顔色は伺えなかったが彼からは悲しみの匂いがした。棗自身も纏った事がある、他人がなんと言おうと癒す事ができない、悲しみの匂い。
 彼がどうして悲しみの匂いを纏っているか、ソレは想像に容易い。だがしかし、たった今出会ったばかりの彼に私ができる事は何も無い。
 悲しい事ではあるがコレが事実なのだ。
 (なんで、私、この人になんかしようと思ってるんだろう。)
 彼はとても白い肌色で真っ白い髪と相まって瞳の緋にとても映えていた。濡れたように光る白目と輝くような紅い瞳は美しく、とてもではないが同じ人には思えなかった。
 ただやりきれないのはその美しさは鋭く(とが)った三日月のような、研ぎ澄まされた刃のような美しさなところだ。きっとその鋭さは悲しみの賜物(たまもの)だ。
 棗はどうしようもなく泣きたくなった。
 
 第三話 ハプニング
 着いたのは温室らしき建物だった。少年は胸を抑えて息を切らしていた。大丈夫かと声をかけようとしたその時、誰かの声が響いた。
 「誰……!??」
 そこに居たのは天使と見間違えるかのような美しい青年だった。サラサラの金髪に碧眼。パッチリとした蒼い眼にスラッとした体躯(たいく)。大体二十代前半から十代後半ぐらいかもしれない。
 「え、んじゅ」
 少年がうめいた。槐と呼ばれた彼は慌てた様子で駆け寄ってくる。
 「その子、怪我、してて。塀の、向こう……から。手当てを。してあげて……。」
 「でも……!」
 槐は始めは渋ったが少年の真剣な表情を見て仕方ないと言うようにため息をついた。
 「えっと……こっち、来れる?」
 槐は棗を手招いた。棗は慌て槐の方へ行こうとしたが、足の傷が(うず)いた。思わずよろめいた棗を槐が抱きとめる。
 「大丈夫ですか!?」
 優しく棗を抱き起こして槐は慌てた。
 「僕とした事が。怪我(けが)が痛みますよね?……失礼します。」
 そう言うと槐は棗を抱き上げた。視界がグイッと上昇したつかの間、暖かさに包まれる。抱き上げられたと気づくのにそれほど時間は要らなかった。
 「きゃあっ……!!??」
 「こっちの方が早いですから」
 この人たち、距離が近くない?!
 棗は少しだけびっくりしたが、ここに来る時は塀を登って来た事を思い出して、この人たちはこんなところにずっといたのかもしれないと思い立った。ならばこんなに距離が近くてもしょうがないのかもしれない。
 槐は、温室に入ると棗を下ろしてくれた。
 「いくら緊急事態だからと言ってもすみませんねぇ。」
 柔和(にゅうわ)に笑う槐はとても親しみを感じた。始めは槐のその髪色や瞳の色に眼がいったが慣れてしまえばそれよりも槐の美しい顔立ちに眼がいった。
 「僕は椏鳩鴉 槐|(あくつエンジュ)と言います。貴女は、なんと言う名前でしょうか」
 槐が腰が低く挨拶したので棗は慌てた。こんな偉い人に腰を折って貰って良い身分じゃない。槐はそんな棗の心中を察したのかふわりと笑った。
 「僕は椏鳩鴉の中でも人一倍人に尽くすタイプで身分も関係ないと思ってる人なので」
 棗は考えを読まれた気がして少し居心地が悪くなった。
 そんな棗を槐はニコニコしながら見て居た。
 「あの……私は香山 棗(こうやま なつめ)です」
 「へぇー、棗ちゃんって言うんだね、良い名前。」
 他愛もない話をしつつも槐の手は忙しなく動いていた。時々、救急箱は、と言っているあたり探し物をしているようだ。
 なぁーお……
 ブサイクな鳴き声が聴こえてきた。後ろを見やると例の猫が机の上でふんぞり返っていた。
 「あれぇ棗ちゃん、ルシャと知り合いなの?」
 槐がさほどびっくりしていない声で笑った。とてもよく笑うこの人は感情がそれしかないかのようだ。なんて失礼な事を思ってしまう。
 「あ、あった。棗ちゃん、こっち来れるかな?」
 槐は棗を呼び寄せると手際よく手当てを始めた。
 棗はなぜかあの懐かしい記憶を思い出した。
 (棗、貴女はここ、孤児院を出て幸せにならなくちゃ)
 孤児院のシスターが怪我をした棗に手当てをしながら悲しく微笑んだ、夏の日が、棗の頭にフラッシュバックする。
 「棗ちゃん?大丈夫かな?」
 槐が柔らかく棗を呼ぶ。一気に現実に引き戻された棗は慌てて槐の顔を見直した。
 「ごめんね、棗ちゃん。」
 いきなり槐がそんなふうに謝るものだから棗は眼をみやった。
 「なんで謝るんですか?」
 悲しげに槐が笑った。嘲笑うかのような後悔かのような懺悔(ざんげ)かのようなただただ悲しげな槐の表情がとても気になって、放っておけなかった。
 「ほら、あの子、人を嫌ってるから。キツい事、言われたんじゃないかと思って。」
 ふにゃりと笑う槐が頼りなく揺らいで見棗えた。
 「でもっ……!」
 気がつけば棗は槐の袖を引いていた。驚いたような顔をされて少し怯んだが気にせず続ける。
 「あの人は、優しいと、思います!!」
 驚いて眼を見開いている槐の顔をしっかり見つめながら棗は、息を吸い込んで大きな声で言った。
 「私は、あの人がとても、とても綺麗だと思います!!それは悲しみで成り立っているとも感じましたが……。貴方がなんでそんなに悲しみでいっぱいになる理由を……聞かせてもらえますか……?」
 槐はしばらく呆然としてからぐしぐしと眼を擦った。
 「きいて貰ってもいいかな……?」
 少し眼を赤くして棗をうかがうその姿は見た目の完璧さや人間離れしたものを感じさせるものを裏切って歳相応かそれ以下の雰囲気を醸し出していた。
 「はい……!」

 「あの子は、椏鳩鴉の家で産まれた。産まれる前から椏鳩鴉の家ではあの子の誕生を祝う者で(あふ)れていた。だけど……。あの子の髪色や瞳の色を見たでしょう?」
 槐は瞳を動かして棗の傷を眺めた。人を慈しむことができるはずのその瞳は疲れきっていた。
 「あの子はあの髪色と瞳の色……。ただ髪と瞳の色が違うだけなのに、家族と一緒に暮らせなかった。椏鳩鴉の家の人たちはあの子を恐れて、あの子と一緒の僕にあの子を押し付けてここに閉じ込めている。」
 棗はどこかがキュッと縮んでズキズキと痛む気がした。どこが痛いんだろう。ああ、コレは、心だ。
 槐は瞳のあたりをおおって俯いた。その少しだけの仕草がとても綺麗で悲しく見えた。
 なにも言えずにただただ棗は槐を見詰めた。
 「槐さん………。」
 槐は骨ばった綺麗な手で顔を覆ったままで自嘲的(じちょうてき)に笑った。
 「僕もこんな見た目でしょう?この辺りでは、異国の人を見ないし……。とても怖がられたんだよ。僕の両親は異国の人で、父は僕を見る前に亡くなってしまって。その父が椏鳩鴉の人でね。母は僕を椏鳩鴉に僕を預けて、消えてしまったし。」
 何でもないように言っているのは、そうしないと受け入れられないからだろうか。それとももう諦めて何もできないと何を言っても変わらないと思っているのか。
 「だから僕はあの子とここで暮らせと言われた時に従ったんだ……。あの子と僕自身が重なって見えて。」
 クシャリと顔を歪めた槐は懺悔かのように呟いた。
 「だから、君がここに来ていたのを見て正直怖かった。あの子と僕の見た目を恐れるのではないかと、ここに住んでいるのがバレてしまったのだと。君のことを知りもしないのに恐れて悪者にしようとしていたんだ。ごめんね。棗ちゃん。」
 治療する手が止まっているのに槐が気づいたようで苦笑して彼は顔を覆っていた手を棗の膝に下ろした。
 「ごめんね。」
 ぎゅううと心が締め付けられて痛い。でもこの人達はもっと苦しいのだと思うと自分が泣いたり悲しんだりする余裕なんて無い。それが更に哀しい。
 「大丈夫ですよ………。」
 手を伸ばして、治療のために屈んで無防備に(さら)された頭を撫でる。柔らかな金糸(きんし)が手の中でサラサラと逃げていく。   
 お日様のような色の金糸は驚いて顔をあげた彼の顔にサラサラかかった。それを優しい手つきで払いながら棗は微笑んだ。
 哀しいこの人の内に、凍えた心に届くように、言葉を(つむ)ぐ。
 「貴方は何も悪くないでしょう……?ただただ髪と眼の色が違っただけで、なのにそれを悪だと決めつけたのは周囲でしょう?(さげす)みとか、そんな目で見られたら怖くもなります。」
 金糸の髪を見る。深海の瞳を見る。それはどれも綺麗で美しく、ただただそこにあった。そこにあるだけで否定され、拒絶される。それがどんなに辛くて苦しいことなのかを棗は知っている。
 「否定され続けると、本当に自分がそれだけの人間に思えて、他の人が全員敵に思えて、苦しくて信じたり認めたりすることが難しくなるのに、貴方は私にそれを悪いと謝って、それを良しとしないでしょう?」
 槐はクシャリと顔を歪めた。自分の声が言葉が心に届いているのだろう。でも、その言葉を受け止めていいのかと、本当に自分はそんな人間なのかと葛藤(かっとう)しているのだろう。
 孤児院にいた棗は、孤児院にいた、それだけでよく思われずに前に行っていた学校も(ふさ)ぎがちになりやめた。
 人の蔑む眼とはとても恐ろしいものだ。その眼で見られる、ただそれだけで抵抗とか、嫌だとか、全部飛んで行ってしまう。後に残るのは空っぽの自分とか、それを悲しく思う自分だけなんだ。苦しくて信じたり認めたりすることが難しくて。
 なのに自分に優しく接してくれるこの人はとても性根(しょうね)が優しくて人を好きなんだろう。
 こうやって自分に接するだけにどれだけの葛藤をしたのだろうか。
 「だから、そんなに謝らないで。貴方は悪くないんです。貴方のせいではない。あの人だって貴方がそんな哀しい顔をすることを望まないでしょう、きっと。貴方には張り詰めたものが揺らいでる気がする…………。」
 槐は泣き出しそうに瞳を揺らして棗を見た。きっと、自分を肯定されなかったんだ。肯定して貰っても言葉にして貰えなかったんじゃないのかな、だなんて思ってしまって。
 優しく光が降り注ぐ温室の中という事も相まって槐はまるで傷ついた天使が羽を休めているようだった。
 槐は片膝を抱えて顔を埋めた。天使のようだけれど丸くなって肩を震わせる彼は天使でも何でもなく、ただの彼だった。
 「っっ……。くっ………。」
 時折聞こえてくる小さな嗚咽に心がズクズクと疼く。思わず、椅子から(くずお)れるようにして槐を抱きしめた。
 すがりつくように骨ばった手が棗の背を掴む。服をきつく握りしめて静かに嗚咽する彼は何時も強情に気を張って弱音なんて言わなかったであろう事が容易に想像できた。
 「今だけ、今だけ、ごめんね。棗ちゃん。」
 子供のようにしがみつきながらそれでもしっかり前を向こうとする彼は綺麗だった。
 そこから十分間。彼は泣き続け、きまりわるそうに顔を赤らめながら棗から離れた。涙で潤んだ深海の瞳はキラキラと太陽光を吸って輝いていて、やはり彼は綺麗だった。
 
 「──これでよし。」
 棗の手当を終えて温室を出ると白髪の彼がルシャと遊んでいた。柔らかな白髪が薄らと光を反射している。
 ルシャがふと此方に向かって来て彼は自分達に気がついた。こちらを振り向いた彼の顔には眼鏡がかかっていてそれが少し残念だった。綺麗な瞳が隠れてしまう。
 「槐。遅いよ。何してたの??」
 人形のように白い肌が少し日向で紅く染まっている。彼は棗を見るとふいと顔を背けた。肩が少し震えているところを見ると自分の顔を棗から少しでも背けようとしているのだと分かった。
 「手当……。出来たなら早く帰って。僕達のことをほっておいて。君からしたら気味悪いでしょ?ここは化け物の館だ。帰りな。言いふらしたりしないでね。」
 組んで見せた手が小刻みに震えている。槐が何かを言おうとしたが、やめた。悲しげに笑って何も言おうとしない槐を見て棗は思わず湧き上がって来た言葉を口にした。
 「私は明日もここに来るよ。晴れてる限り、ここに遊びに来る。」
 白髪の彼はギョッと目を剥いて棗を見た。その真紅の瞳が揺れている。深紅の瞳は今、しっかりと棗を見ていた。
 「私は貴方を恐れたりしない。貴方達はとても綺麗だよ。私は貴方達に惹かれてる。だからここに来るよ。ダメなの?」
 彼は棗を見てまるで理解出来ないかのように眼を瞬かせた。真紅の瞳を覆う白いまつ毛が影を落とす。グッと手を握りしめると彼はキッと棗を睨みつけた。
 「良い訳ないでしょ?僕は、僕は認めない。知り合いでも何でもない君がなんで僕達に興味なんて持つの?同情でもする気なの?」
 あぁ。これは昔の私だ。棗は彼を通して昔の自分を垣間見た。
 孤児院にいた頃に、自分を引き取りたいと行ってくれた養母の茱萸さんに向かって、何故かと問いかけた。
 『私の事知らないのに、私の友達でも無いのになんでお母さんになりたいなんて言うの?可哀想だから?なんで?』
 思えばその頃はとにかく自分を取り巻く環境が許せなくて、自分が悪いのか、それとも誰が悪いのか。とにかく誰かに当たり散らしたくて、自分は悪くないと反発する心がやっぱり自分が悪いんじゃあないかとじゅくじゅく疼いてどうしようもなくて。
 茱萸さんはそのしわくちゃの顔ににっこり笑みを刻んで優しくおっとりと言ったのだ。
 『私と今から家族になりましょう?棗ちゃんが嫌なら私とお友達になりましょう。私が棗ちゃんを見て笑わせたいって思ったの。あなたは可哀想なの?なら、今から私が可哀想じゃないように一緒に暮らすわ。よろしく。棗ちゃん。』
 じゅくじゅく腐った自分の嫌な気持ちに静かに光が瞬いて、眩しくて目を瞑ったらそこはもう新しい世界だった。この人にも、私が新しい世界を見たように世界を見て欲しい。
 「じゃあ今から知り合いになろう?私は香山棗。あなたの名前は?」
 まろやかな蜂蜜のような午後の昼下がりの光の中で彼は放り出された子供のような顔を見せた。
 どうしていいのかわからずにただただ呆然と、それでも答えようと口を動かすも何も言葉が出てこずに、けれど答えようとしている自分がわからなくて。
 まるで迷子になったかのようなそんな子供。
 困ったように彼はその名を口にした。
 「椏鳩鴉、椏鳩鴉朱寿。僕の名前は、朱寿(しゅじゅ)
 まるで子供のように拙く口にした名前を棗は言葉に出して口の中で転がした。
 「朱寿………。」
 名前を呼ばれて戸惑うように瞳をくるっと輝かせた彼はハッと棗を睨みつけた。
 (長らく僕以外の人に名前を呼ばれなかったあの子だ。呼ばれて嬉しい反面、名前を教える程心を許してしまったことを悔いているかも知れない………。)
 槐が優しく微笑む。ずっと飛べなかった鳥がやっとその翼の意味を知ったような。そんな微笑ましくてめでたいような場面を目にした気がして。
 「僕は、まだ認めた訳じゃない。信じられない。でも、君がここのことを誰にも言わない限りはここに来ても……来てもいい。じゃないと確認出来ないからね。」
 不貞腐れたように彼は紅い眼を細めた。ほんのりと色付いた白い耳たぶとほんのり桃色を散らした頬が少しは嬉しく思っていることを証明している。
 桜が吹雪いて棗は目を閉じた。俯かせて吹雪から背けた顔をあげると彼は困ったように微笑んでいるように見えた。
 よく見ると彼は先程のようにムッスリした顔をしており、棗は見間違えだったのかと肩を落とした。
 (朱寿。私は槐さんとあなたの見た目を倦厭(けんえん)したりしないよ。あなた達はこんなにも美しく、儚い見た目をしてるでしょう?心も同じように儚くて傷ついている。私はそれを癒したい。)
 言葉は上手く出てこない。紡ぐ言ノ葉がこの人達を癒すと良いと思う。でもそんな立派な言葉出てこない。
 初めは多分、認めたくないけれど興味本位だったのだと思う。冷たくて(もろ)いこの人の空気がなんでその様になったのか。野次馬と一緒だ。
 でも、槐の話を聞いて心が疼いた。
 "救いたい"のだと。
 傲慢(ごうまん)だが、特別にそう感じた。

 三時の鐘が聞こえた。棗の帰る時間だ。残念に思えて、それでも明日も来ると約束したのを思い出した。
 「私、帰らないと。じゃあ、また明日。槐さん、朱寿。」
 ヒラリ、手を振ると槐はにこやかに笑って手を振り返し、朱寿はと言うと何も無かったようにそっぽを向いていた。
 少し寂しく思いながらも館を通り越し階段を登ろうと階段に足をかけた時だった。
 ザクザクと芝を踏む足音が耳に届き、振り向いた。
 「………朱寿??」
 彼が、息をきらしてそこに立っていた。真白な頬は紅く蒸気して、汗の珠が一つ転げて草むらで割れた。
 傾きかかったまろい蜜色の光の中で、彼は心配そうに叫んだ。
 「また明日、来るんだよな!?」
 見捨てられた仔犬のような困った顔をして、彼が息を整えている。上げ下げする薄い肩がはだけて見えているが彼が気にする様子はない。
 「必ず、来てよ?!来るって言ったのはお前なんだから、僕に期待させておいて来ないなんて、許さないからね!!」
 荒い呼吸で言った彼は眉根をよせて棗の服の裾を掴んだ。細かく震えたその手を取って棗は微笑んだ。
 「来るよ。明日も来る。明後日も明明後日も来る。あなた達を二人こんなところに閉じ込めておけないよ。私が外の世界を連れて来るよ。」
 陶磁器のように白い肌をした細い指に自分の小指を絡める。キュッと握りしめると彼は頼りなく、だが力強く握り返して来た。
 「約束。」
 そこで、驚いた顔の槐が来て、彼はバツが悪そうに顔を歪めて下を向いてしまった。槐は離れていく二人の手を見て、優しく微笑んだ。
 「朱寿。そろそろ棗ちゃんを帰らせないと。親御さんに怒られてここに来れなくなってしまうよ。」
 わしゃわしゃと朱寿の頭を撫で、槐は棗に微笑んで見せた。
 「また明日。」
 ヒラリ、花びらが舞った。

 エピローグその1
 「ねぇ、朱寿。貴方があんなに必死になってたのを僕は久しぶり、いや、初めて見た気がしますねぇ。」
 くつくつと堪えるように笑った槐を朱寿はキッと睨みつけた。抜けるように白い髪からは紅が透けて見えて。
 「うるさいよ。だって……。」
 …………僕を、真正面から見て受け止めてくれたんだ。
 僕に会いに来てくれるって言ったんだ。
 槐以外で、初めて言ってくれたんだ。
 でも、僕は上手く気持ちを伝えられないから………。
 「だって?」
 槐がキョトンと首を傾げた。サラサラと金糸の髪が滑り落ちる。朱寿はグッと言葉を呑むと拳をきつく握りしめた。
 「なんでもないよ。放っておいて。」
 きつく言い返すと彼はころころ笑って嬉しそうに笑った。
 「友達なれたじゃないか。」
 朱寿は大きく眼を見開くと、顔をほころばせた。
 「………うん。友達出来たね。」
 
 この笑顔を守るために僕に何が出来るのか。
 槐は大きく微笑み返した。