わたしは持ってきていた折り畳み傘をバックから取り出した。

「傘があるから平気だよ。岬さんの演奏が終わるまでここにいよう」
「真琴」
「ん?」
「明日の夜、僕の部屋に来てくれる?去年のコンクールで演奏したバイオリンの録画があるから、良かったら」
「観たい!けど瑞樹の部屋に入るのちひろから禁止されている……」
「それは僕がいいよって言っても駄目なのかな」
「あっ」
「はははっ入る時に誰にも見られないように注意して。出る時は僕が確認するから」
「わかった!」

わたし達は笑顔で顔を会わせると岬さんに目線を移した。

わたしは瑞樹を見た。

その横顔は今日も綺麗でその目は今日も穏やかだ。

雨が降っても髪の毛がさらさらなことも、触れても体温や皮膚や制服の生地の感触は伝わらないことも、今はもうなんとも思わなくなった。

これが瑞樹なのだから。

わたしにとっては存在している人。わたしだけには見えるしこうして一緒にいられる。

瑞樹が誰よりも特別な存在になってきていた。

「ねぇ瑞樹」
「なに?」

名前を呼んで肩に触れてみた。手には瑞樹の感触が伝わってくる。

なんとなくぼんやりと、空気を固くしたような弾力のある感触。
「今、岬さんが弾いている曲なんていうの?」
「トロイメライ」
「素敵な曲だね」
「そうだね」

わたしはしばらくその手に瑞樹を感じていた。