わたしは筆を手に握った。

その瞬間、空気が変わった。

「瑞樹……」
「うん」

もうその時が来たのだということを、嫌でも全身に感じる。

乱れてしまいそうな呼吸を押さえるようにゆっくりと息をはいた。

「瑞樹、ありがとう……わたしの前に現れてくれて」
「僕も、出会えたのが真琴、君で本当に良かった。ありがとう」

瑞樹の笑顔を目に焼き付けると、パレットの中で3色の絵具を混ぜる。

絵具を筆先つけると、最後に残った小さな空白に色を載せていく。

あっという間に空白は埋まる。

筆を下すと目の前の絵は涙で歪む。

「瑞樹、完成したよ……」

──────。

冷たい空気が部屋に満ちていく。

それは、この部屋の主人がいなくなったことを知らせている。

部屋の真ん中にあるグランドピアノも、重厚なケースにしまわれたバイオリンも、大きな一人掛けソファーもベッドも主人を失った今、ただそこに佇んでいる。

深い静寂に包まれる。

やがてわたしの全身も冷やされていく。

悲しみが音を立てて押し寄せる。

大きな波に飲み込まれていく。

真空の中に閉じ込められたかのように息が苦しい。

わたしはしばらくの間、ここにある物達と密な静寂に身を浸していた。