理斗君はため息を含んだような口調で話した。

「偏狭な考えかもしれないだろ」
「もう決めたことだから」

莉子先生の返答はあまりにもすぐで、それでも理斗君はゆっくりと落ち着いた口調で言葉を返す。

「そんなに結婚急ぐ歳じゃないでしょ?もう少し待ってくれない?」
「なにを言っているの?」
「俺、来年の春から2年間アメリカに留学するから帰ってきたら一緒になろう」

突然耳に入ってきた理斗君の言葉に呼吸が止まった。

それはあまりにさらりとした告白だった。

先生と生徒が?そんな言葉が頭をよぎったけれど、一瞬にして消えた。

生徒とはいっても、理斗君と先生ならまるで違和感がなく思えた。

そのくらい理斗君は大人だから。

「ごめんなさい」

莉子先生はまるで動じていないかのようにまた、すぐに答えを返す。

それに対して理斗君もまた、変わらず落ち着いた口調で話した。

「どうして謝んの?」
「それを叶えてあげることができないから」
「随分と上から言ってくれるね」
「わたしは君よりも12歳も年上よ。もう十分でしょ屋上の鍵返してくれる?」

少しの沈黙のあと理斗君が話し始めた。

「だったらもっと幸せそうな顔しろよ。俺の前で泣いたあの日の先生と、今、俺の目の前にいる先生、涙が流れているか流れていないかの違いしかないんだよ」
「あの日のことはもう忘れてくれない?」

理斗君の声は変わらず静かで落ち着いているけれど、伝わって欲しいと願うような強さが含まれていた。

「なあ先生、俺は先生からしたらガキでなにもできないように見えるかもしれないけど、寂しかったらずっと傍にいるし、何時間だって話聞くし、泣いていたら慰めるよ。俺が先生の首より上に手を上げる時は、雨が降ってきた時だし、頭ぶつけそうになった時だし、その綺麗な髪の毛乾かしてやる時であって、暴力を振るう時ではない」

理斗君の言葉はあまりに胸を締め付けた。でも───先生はそれに答えることはなかった。

「鍵、返してくれる」

鍵が先生の手に渡ったような音が聞こえた。

「わたしは屋上を見回ってから帰るから」
「煙草の吸殻なんて落ちてないけど?」
「気を付けて帰るのよ」
「さよなら……莉子先生」

理斗君の足音がこっちに近づいてくる。

どうしよう……。

今から猛ダッシュで階段を駆け下りても間に合わなさそうで、わたしは壁に張り付いていた。