「俺の名前、呼んでくれよ」
「名前?」
お互い目を合わせたままで、鹿島さんがそんなことを言う。
戸惑ってる私に彼は優しく微笑む。
「渉って呼んでみて」
初めて聞くような甘い声。
私だってずっとそう呼びたかった。
千世さんが鹿島さんをしたの名前で呼んでいるのが羨ましかった。
やっと、呼んで良いんだ。
「渉さん」
唇が震えた。
目の前の鹿島さんは愛おしさが伝わるように優しげな表情に変わる。
大きな手が私の頬を擦り、彼の顔が近づいてきた。
綺麗な目。
ううん、なんて愛おしそうな目で私を見てくるんだろう。
近づいてきた瞳が少し細まって私に合図を送っているように思えた。
私はその合図に答えるように目を閉じる。
「さようなら、知世。
大好きだよ」
私も、と言おうとした私の唇に、ゆっくりと唇が重なる。
ふわりと唇が押された感覚に、ビリビリと身体に電流が走ったかのような気持ちになった。
温かさは伝わらないはずが、優しさだけはしっかりと伝わって、涙が溢れてしまう。
唇が離れた気がして目を開けようとする。
だが目を開ければ、きっとそこに何が起きているかわかっている。
怖い。
凄く怖い。
だけど私は目を開けなければならないんだ、前に進む為に。
私は覚悟を決めてゆっくりと目を開けた。
やはりそこに、鹿島さんはいなかった。
意地悪をされているのかもなんて思って周囲を見ても、いない。
彼の本当の心残りは消えて、成仏出来たんだ。
喜ばなければいけないはずが、両思いになった途端に永遠の別れになるなんて。
初めてのキスの相手は幽霊で、そして初めて両思いになった相手で。
ただ泣き叫びそうになる気持ちを、歯を食いしばり拳を握りしめて堪える。
私はもの凄く恵まれていたんだ。
だってここまで恋した人に、願っていたものをもらえた。
いやそれ以上を彼は私に残してくれた。
恋に落ちるのに、相手も時間も関係無い。
濃密でドラマティックな出逢いと時間を過ごせたことに感謝しないと罰が当たる。
私はいつも通りの声を出せるように何度も深呼吸をした。
玄関のドアに手を掛け、開ける前に未練がましいと分かっていてもう一度振り向く。
やはり、鹿島さんはいない。
既に暗くなった空を見上げる。
月がないせいか星が綺麗に見えた。
キラキラと瞬く星は、美しいけれど遙か遠くにある。
彼は、私の手の届かない空へと旅だったのだ。
そしてずっとキラキラと眩しいままの存在で、私は見守られた気持ちになれるのだろう。
ふと鹿島さんが笑顔で早く家に入れと急かしているような気がして、私は彼を安心させるかのように一呼吸置くと、笑顔を作ってドアを開けた。



