書店を出ると、直ぐ近くのエスカレーターには乗らず、エレベーターの乗り場に向かう。

今思えば、どうしてそう思ったのか、なぜか彼はエスカレーターではなく、エレベーターを使うような気がしたから。

通路を右に進み、突き当りにある7階フロアのエレベーターホール。

やはり、その3台ある内の一番右側に、例の黒縁眼鏡さんの姿を見つけた。

ちょうど階下に降りるそのエレベーターの扉が開き、まさに今、乗り込もうとしていたところ。

よく考えたら名前もわからないので名を呼ぶこともできず、『すみませんっ』と声をかけるも、当然自分のことだと気付かず、そのまま乗り込もうとする。

『あの、ちょっと待ってくださいっ』

咄嗟に彼のダークグレーのベストの裾を引っ張ってしまった。

『…え?』

乗る直前で立ち止まる彼の目の前で、エレベーターの扉が静かに閉まる。

結局、ホールには私と黒縁眼鏡さんの二人だけが残り、改めて向き合う形になった。

彼は、キョトンとした顔で、私を見つめてる。

いきなり見ず知らずの女性に呼び止められたら、怪しいに違いない。

先ずは落ち着いて呼吸を整えてから

『突然ごめんなさい。実は私、さっき本屋で…』
『あ』
『え?』
『本、落とした人』

意外にも、先ほどの本屋のブースでの出来事を覚えていたようで、ますます緊張が高まってしまう。

『えっと、それとは全く関係ないんですけど、先程レジでこれを忘れて行かれたので…あの、お店の方に頼まれて…』

一気に伝えなければならないことを話し、渡すべきポイントカードを差し出した。

『…』

一瞬の間があり、当然次に『店員でもないのに、何故君が?』と問われることも予測し、その回答をフル回転で模索していると、男性は何故かそのことには触れず、

『…そう。わざわざ追いかけてくれたんだね』

そういうと、紙袋を持っていない方の手で受取り、

『ありがとう』

柔らかく微笑する。

思ったより低く落ち着いた声に、大人の色香を感じ、ドキリとする。