その日はちょうど買いたい本があったので、帰宅途中に横浜駅で途中下車し、駅ビルの7階にある《喜多國屋書店》に寄ることにした。

もちろん、昼間の高橋さんの妄想話に、何かを期待して来たわけじゃないから…と、心の中で自答する。

そもそも、仕事帰りに本屋に寄るのは、珍しいことではなく、むしろ寄らない回数の方が少ないくらい。

基本的に、昔から本が好きだった。

特に買いたい本が無くても、本屋なら、何時間でもいられるくらい。

最近の大きな書店は、通路の脇にいくつかの椅子が設けてあるところも多くて、自分のような“本難民”には、非常にありがたい。

買って読むほど欲しい本でなくても、お試しで障りだけでも落ち着いて読むことができる。

なんて素晴らしいシステムが出来たことか。

エレベーターで7階まで上がり、いつもの慣れ親しんだ店内に一歩足を踏み入れると、そこかしこから、あの、本の持つ独特な匂いに包まれ、何とも言えない幸福感に包まれる。

あぁ…やっぱり、落ち着く。

事前に目的の本の置いてある場所は調査済みであったのだけれど、結局のところ、本の誘惑に負けて、いつものように、新刊コーナーから各ジャンル別に分かれた書棚を順々に巡り、いつの間にか、本の世界に没頭してしまう。



いくつかの書棚を物色して、いつの間にか、ここに来てから一時間が経とうとしていた。

ちょうど、歴史小説の書棚の前で、目の高さにあったハードカバーの小説を手に取ろうとした時、ふと、同じ列の、5冊ほど左側にある本を取り出そうしている腕が、視界に入る。

あれ?この感じ、さっきも…。

なぜそう思ったのか、すぐに思い立つ。

目の前の書棚ばかり見ていたから、男性だか女性だかわからなかったけれど、この生成りの白いシャツと、その腕に揺れるすごく透明度の高い水晶のブレスレットには見覚えがあった。

今日ここに来てから何度かこんな風に、同じブースで同じ書棚に手を伸ばすこのシャツと、本を読むために最適な明るさに調節された照明の明かりで、瑠璃色に揺れる水晶が視界の端に映り込み、自然と印象に残っていたのだ。