俺は数メートル下に広がる川の激流を見下ろした。
普段ならひやっとするほどの高さが、今は目の当たりにしてもなんとも思わない。
目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
肺に澄んだ空気が入ってくる。
その時。
『──榊くん』
俺の名前を呼ぶあの声が頭の中にこだました。
……ああ、くらむちゃうだぁは、どんな味なんだろう。
小坂が作るなら、きっとおいしいんだろうな。
じわっと、温度のあるなにかが目の奥を刺激した。
あとは宙に一歩踏み出すだけ。それだけ。
それなのに――最後の一歩が踏み出せない。
心残りになってしまった。小坂が。
未練になって、すべてを捨てる覚悟を鈍らせる。
綺麗な景色を、あったかいご飯を、だれかといる心地よさを知ってしまったから。
死ねない。
小坂と一緒にいたい。
小坂の作るくらむちゃうだぁを食べたい。
小坂のいる明日を迎えたい。
「……あ、ああっ……」
その場にしゃがみこんだ途端、慟哭のような嗚咽が漏れた。
どんなに価値がなくたって、どこにも居場所がなくたって、生きていたい。
そう縋りつくことは許されないのだろうか。


