「こんにちは」
「あ、こんにちは」
 
 前と同じように、佑の向かい側に座る。彼はパソコンを閉じるとわたしと目を合わせる。
 
「……あの、待ち合わせする場所、違うところにしません?」
「え?」
「冷やかされるんですよ、あの人たちに」
 
 カウンターの方に視線を送ると、あろうことか立石さんはこっちをじっと見ていた。慌てて逸らす。
 
「あ、ああ! すみません、配慮足らずで」
「いえ、そんな……」
 
 佑は足をぴっちり閉じると膝に手を当ててへこへこ頭を下げ始めた。わたしはそんな佑を止めようと手を振る。お互いによくわからなくて、ペコペコしてしまう。

「……じゃあ、話しましょう」
「ですね」
 
 なんだろう、この微妙な距離感は。この間の方が、距離が近かったと思う。
 
 話そうとは言ったものの、何を話せばいいのかわからなくて無言になってしまう。ごまかすようにカフェラテを飲むと、佑もコーヒーを飲み始めた。今日はブラックだった。
 
「……なんか、距離遠くないですか」
「え」
 
 佑は目をしばたたいた。
 
「わたしは歳下なので敬語ですけど、その……松永さん、は、タメでいいんじゃないかなぁって」
 
 松永さんなんて、なんだその呼び方。
 わたしは普段から佑と呼び捨てだけど、さすがに会ってすぐの人間に下の名前で呼び捨てなんてされると、気味が悪いだろう。それに、あまり好ましい感じはしない。
 
「ああ、そっか。……でも、吉岡さんも全然いいんですよ。普段俺のこと、なんて呼んでます?」
「たすく、です」
「じゃあそれで。ってことは、俺も巴音って呼んだ方がいいですよね」
 
 ーーうわ。
 巴音と、そう呼ばれた瞬間、ふわっとからだが浮いたみたいな気持ちになった。
 佑に、名前を呼ばれた。あの、佑に……!
 
「や、その……キツイ」
「えっ、キツイってどういう」
「だって、なんか、むり……」
 
 思わず目を逸らし、顔を手で覆った。
 どうしよう。どんな顔をすれば。
 
「……でも、普通はそうですよね」
 
 その言葉に動きが止まった。
 ……そうだ。そうだった。
 わたし、なんて馬鹿なんだろうか。
 
 忘れてはいけない。これは、佑が透明人間になりたい計画。わたしの意思なんてどうだっていい。
 佑がやりたいようにやる。
 
「……わかった。巴音で大丈夫です。あと、タメで」
「うん」
 
 佑はにこりと笑った。左右対称の綺麗な顔立ちは、やっぱりかっこいい。カメラも加工も通さない佑の顔をこんなに近くで見たのははじめてだ。
 かっこよくて、息が詰まりそう。
 
「……それで、佑はどんなことがしたいの?」
「この間も言ったけど、人混みに行ってみたいな」
「人混み……」
「夏だしお祭りとか花火大会とか、なんにも気にせず楽しみたい。あとは、バイトもしてみたいなぁ」
 
 やりたいことを語る佑の表情はキラキラしていた。その姿を見て、また胸がチリと痛んだ。
 わたしにとってそれは、ほとんどがごく普通のことだ。でも佑はそういう普通のこと全てを犠牲にして、今までステージに立ってきた。本人の希望でもあるにしても、わたしたちファンはそれを奪ってきている。
 
「普通に学校生活も送りたかったし、学園祭とか出てみたかったな。制服デートとかさ」
 
 わかってはいた。
 雑誌とか動画で、学園祭や体育祭に出られなかった話は何度か聞いたことがある。それはわたしたちファンのために、彼らがたくさん青春を我慢してくれたということ。
 
 でも改めて、本人から真っ向から言われるといたたまれなくなる。
 ファンというのは、なんて傲慢なのだろうか。
 
「……全部やろうよ」
「いいの?」
「あ、制服デートはちょっと無理かもしれないけど、それ以外なら、佑がしたいことは全部やろう。お祭りも花火大会も、学園祭も」
 
 そこまで言って、わたしははたと気がついた。佑が通っている大学を知らないことに。
 
「ていうか、佑ってどこの大学通ってるの?」 
「そういえば言ったことなかったね。明成大学だよ」
「ーーは?」
「だから、明成」

 明成?
 わたしと、同じ大学だった。

「わ、わたしも明成」
「え!? ほんとに!?」
「嘘つかいないよ……」
 
 信じられない。今まで同じ大学に通っていたなんて。
 みんな知ってることだったのかな。真衣も、知ってた? でもそんな話が出たことは今までに一度もない。
 
「でも俺全然行ってないからなぁ。レポートで単位もらってたし」
「そっ、か……」
 
 ほんとになにもかも犠牲にして活動来てきたことを、強く実感させられる。コンサートもドラマも雑誌も、たくさんのことを犠牲の上にできあがっていた。
 
「じゃあ、学校生活も」
「うん。友達いないし」
 
 切なくなる。この話をやめてしまいたいと思う。
 そう思っていると、佑は「あ」と呟いた。
 
「ん? なに?」
「俺さ、いちばんしてみたいことあった」
 
 わたしはカフェラテを飲みながら、首を傾げて続きを促す。
 
「なに?」
「恋愛」
 
 咳き込んだ。
 
「え……大丈夫?」
「だ、大丈夫! で、なんて?」
「恋愛。俺、彼女いたことなくって」

 彼女がいたことがない。
 ……それはそれで、アイドルとして鏡だな。
 佑のことを推していて良かった。ふいに思う。 

「俺の彼女になってくれない?」
「はぁ!?」
 
 思わず出た大きな声に、店内の視線が集まった。咳払いをひとつして、佑の顔をじっと見る。心なしか、輝いた顔をしている。
 わけがわからない。やりたいことはやる。そう言ったけれど、まさかこうなるとは。
 
「いやいや、彼女なんてさすがに……。それに、佑なら彼女くらいすぐできるよ」
「今まで学校ほぼ行ってないから無理だよ。それに、彼女の方が色々と都合が良いと思わない?」
「うっ……」
 
 たしかにそれは一理あるかもしれない。2人で歩いているところを学校の友達に見られたとしても、彼氏だと誤魔化せるような気もする。
 
 それに、佑の彼女だ。
 世界中でただひとりしかなれなくて、たくさんの女の子たちの憧れの場所。けれどとてもじゃないけどあり得ないし、たどり着けることのない場所が、いま、手を伸ばせば簡単に手に入りそうなところにある。
 
 いいのかな、それって。
 ズルしてるような。
 
「お願い、巴音」
 
 でも、決めたじゃないか。
 佑のやりたいようにやってもらう。今まで色んなものをもらってきた恩返しをするって、決めた。
 だったら、答えはひとつしかない。
 
「わかった」
 
 わたしは、佑の彼女になる。
 
「よろしく。佑」