横浜山手の宝石魔術師






少しして冬子が戻って来たとき、朱音はテーブルにある食器を片付けようとしていたのだが笑顔で止められ、確かに高級そうなカップを割っては大変だと思い、お礼を言って一緒に洋館を出た。

朱音は振り返り、建物を見上げる。

もう二度とこの場所に来ることは無いだろうと思うと、この洋館を目に焼き付けておきたかった。

冬子の後ろに続き洋館の横へ行くとそこは二台ほど車が余裕で停められそうな広い駐車場で、エンジン音の聞こえる黒い車の横に、黒の細身のスーツに身を包んだ背の高い男が立っていた。

腰までありそうな長い黒髪を後ろで一つにまとめ、身長は約180センチ以上ある。

目鼻立ちはくっきりとして目の色も髪もオニキスを思い浮かばせるような漆黒。

無愛想、いや無表情にも思えるようなその男は近くに来た朱音に目を細く開けてちらりとだけ視線をよこし、すぐに冬子の方を向く。

嫌われてる、めっちゃ嫌われてる。

それ以外に感じようのない態度を取られ、朱音は内心凹んだ。


「彼女を自宅までお送りして。

絶対に家の前以外で下ろしては駄目よ?」


「かしこまりました」


深々とその男は右手を胸の前で曲げて頭を下げ、再度顔を上げると後部座席のドアを開けて、早く乗れ、と言わんばかりの視線を朱音に向けた。

朱音は悲しくなりながら車に向かう。

この無愛想な男は、おそらくこの家の執事のようなものなのだろう。

このご時世日本に執事なんているんだろうか、いや、この地域ならあり得るのかもしれない。

やはりとんでもないお宅にお邪魔してしまったのだ。

車に乗り込む前に、朱音は冬子の前で頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました」


「こちらこそ迷惑をおかけしてごめんなさい」


「迷惑なんて一つも!

私、冬子さんとお会いできて本当に嬉しかったです」


そう言いながら、花のように明るい笑顔を朱音は浮かべる。

こんな素敵な人に出会えた。そして話しが出来て褒めてくれた。

あのロンドンと同じくらい大切な思い出が出来たことが朱音は嬉しかった。

朱音のその心からの言葉と笑顔に、初めて冬子の瞳の中が揺れたことを朱音は気づかない。



「朱音さん」


後部座席に乗り込みシートベルトをしようとしていた朱音に、冬子はかがんで声をかける。


「あなたはもっと自分を大切に、そして素直に行動された方が良い運が回ってきます。

それに、あなたにふさわしいお相手にはきちんと巡り会えますから焦らなくて大丈夫ですよ」


「本当ですか?」


「えぇ、本当です。

ですからもっと自分に自信を持って、大切にしてあげて下さいね」


優しく冬子が言うと朱音はくしゃりと顔をさせたが、頑張って笑みを浮かべる。

自分に自信が無いのに、明るく頑張ることが普通になっていた朱音には、冬子は本当の女神のようだった。

弱い部分も見抜かれた上で自分を大切にとまで心から言ってくれた人は、母が亡くなってからはいなかったのでは無いだろうか。

そんな人がふさわしい相手に出会えるというのなら、どうしたって信じたくなる。

運命の人と出会って付き合うことが出来たなら、まだ見ぬその人と一緒にもう一度冬子さんに会いに行きたい。

冬子さんの言ったとおり、素敵な人と出会えました、と。

朱音はもっと話したい気持ちを必死に我慢して再度お礼を伝えた。


「お気をつけて」


「はい、ありがとうございました」


後部座席の窓が閉まり、車は静かに駐車場から道路に出る。

窓を開けて振り返ってみれば、冬子が歩道まで出てきて胸の前で手を振っていて、朱音は出来るだけ後ろを振り向きぶんぶんと手を振った。

遠ざかる冬子の姿を未だ後ろを向きながら見ていたら、運転席の男が家の住所を聞いてきたので素直に住所を伝えると、かしこまりましたとだけ言って前を向いたまま。

ナビも無いのに大丈夫だろうかと思ったが、地図が頭に入っているのだろう。

執事のような人を雇えるだけの女性だ、やはり冬子さんはとんでもないお嬢様だったのかもしれない。

朱音は、夢の世界から現実に戻されていくのを、段々とビル街になる外を眺めながら感じていた。