横浜山手の宝石魔術師





*********




ある日の夜のこと。


「講演、ですか?」


「えぇ」


珍しく何か紙を見ながら悩んでいる冬真を不思議に思った朱音に気が付き、冬真は講演の依頼が来まして、と答えた。


朱音もここに来て約一月。

休日や夜など、冬真は自室では無く広いこのリビングに居るのが好きなようで、最初朱音はそれを邪魔しないようにとしたが一瞬で見破られ、人の気配があるほうが落ち着くんですという冬真に誘われてからは、朱音も特に冬真がいるときはリビングで過ごしていた。

一人が楽なときもあるけれど、ここに来てからはこのリビングにいる時が何故か落ち着く。

そんなある日の夜、朱音は冬真が講演をすることを知り驚いていた。


「イギリス館はご存じですか?」


冬真の問いに朱音は、いいえ、と申し訳なさそうに答える。


「港の見える丘にほど近い場所にある『横浜山手西洋館』の一つで、英国総領事公邸として建てられました」


『横浜山手西洋館』とは、横浜山手にある、『外交官の家』、『ブラフ18番館』、『ベーリック・ホール』、『エリスマン邸』、『山手234番館』、『横浜市イギリス館』、『山手111番館』の七つの洋館を指し、全てが横浜市指定文化財や横浜市認定歴史的建造物などに指定され、横浜市が保存し無料で公開しており、一部の洋館は貸しスペースがあって有料で貸し出しをしている。


「広い敷地に白亜の壁のかなり大きな洋館で、そこの一階にあるホールで講演を時々頼まれているんです。

本来音楽利用しか出来ないのですが、今回のイベントでは時間によって音楽をしたり、こういう講演をしたりするんですよ」


「すみません、知りませんでした・・・・・・。

イベントって話しですが、そもそも冬真さんが何の講演をするんですか?」


冬真が仕事用の来客部屋や深夜に仕事に出かけているのは知っていたが、まさか講演をしているとは朱音は知らなかった。

さすがに魔術師とではないだろう。

むしろ魔術師とはなんなのかという講演なら行きたいし、凄い人が集まりそうで興味がわく。

目をキラキラとさせ、何を考えているのかわかりやすいほど顔に出る朱音に冬真はつい笑ってしまう。


「期待を裏切って申し訳ないのですが、一般的な宝石のお話しです。

講演は申し込み制なんですが、いつもすぐに一杯になるとかで。

回数を増やして欲しいなど要望もあるのですが、本来あまりこういうのは遠慮したいので頻繁にと言う点はお断りしています」


「まぁ地域活性だの、ご近所からの圧力もあるからな」


サンルームにある一人がけ用の大きなソファーに座りながらビールを飲んでいた健人が話しに入る。


「仕方がありません。ご近所付き合いは大切ですし。

でも問題は講演内容なんですよね。

また去年と同じで良いからなんて言われても」


「去年と同じで良いって言われたんですか?」


「主催者側からそのように。

僕としてはただ聞いてるだけなんてつまらないだろうし、もっと皆さんで話すとかの方が良いと思うんですが」


ソファーに座り腕を組んで眉間にしわを寄せて悩む冬真を見て、朱音はそっと健人の側に行く。


「主催者側の意図ってやっぱり」


「さすがだな、目当ては講演内容じゃ無い、あいつそのものだよ」


こそっと健人に朱音が言うと、にやっと健人は答えた。


「あのー、純粋な疑問なんですが」


もっと小声になって健人の側で朱音が言うと、健人が耳を近づける。


「冬真さんのあれって、天然ですか?養殖ですか?」


真顔の朱音に思わず健人はぶはっと笑い、慌てて口を塞ぐ。

二人で冬真を見れば、何かの資料を読んでいるようで気が付いていないようだ。


「天然だよ。あいつは変なとこで抜けてるんだ。

いや、俺も見抜けないあれだ、イミテーション?とかかもしれないな」


「そういえばダイヤモンドみたいに綺麗なイミテーションとかありますよね」


「そうそう、もの凄くダイヤモンドに似てるやつが作れるようになったってあいつが言ってたけど、なんて名前だったっけな」


「『モアッサナイト』、ですよ」


顔を近づけこそこそ話していた健人と朱音が思わず同時に声の方を向く。

そこには離れたところで書類を読んでいたはずの冬真が笑顔でこちらを見ていた。


「『モアッサナイト』とは、現在ダイヤモンドに非常に近い人工合成石です。

人造石で有名なのは、キュービック・ジルコニアでしょうか。

ちなみに、『ジルコン』という天然石がありまして、それと『キュービック・ジルコニア』を混同されている方もいるようですね。

『ジルコン』はかつてはダイヤモンドの代替え品として使われていました歴史ある宝石です。

さて『モアッサナイト』ですが、光の屈折率や熱伝導率もダイヤモンドに近いため昔は判別が難しかったのですが、電気を通す点で異なることや、輝きもダイヤモンドより強いため今では機械で容易に判別できます。

市場では『モアッサナイト ダイヤモンド』なんて名称で販売されているのでダイヤモンドだと勘違いされる方もいますが、美しさも素晴らしく見栄えもしますので、人造石とわかった上で今では流通するほど人気なんですよ。

あぁ、それと」


笑顔ですらすらと話していた冬真の言葉に、思わず健人と朱音はびくり、とする。


「僕はもちろん天然、ですよ」


ね?と笑顔で尋ねる冬真に、健人と朱音はこくこくと頷く。


「まぁそれは良いんですが、やはり僕は話すのに向いてないと」


「いやそんなことないぞ」「いえそんなことないです」


健人と朱音が真面目な顔で同時に言えば、冬真はきょとんとした表情になる。


「じゃぁ少しアレンジするくらいで前回のをベースに普通に話しても良いんでしょうか」


「「良いんです」」


どこかの男性芸能人が言いそうな感じで速攻二人が大きな声で返せば、冬真は首をかしげて再度書類を読み始めた。


「私には本物とか天然なんて、わかんないです・・・・・・」


「俺もやっぱ無理そうだわ」


サンルームで二人して肩を落としているのを冬真は視線の端に捉え、くすりと気づかれないほどの小さな笑みを浮かべた。