私は顔だけあげて、相手の目は見ないようにして出方を待った。私は大人しい娘という設定なんだから、自分から声をかけてはいけない。そう思って待ちの姿勢を選んだ。

でもやっぱりこの沈黙は辛い。よく知らない相手と二人っきりにされて、お手伝いさんが数分前に淹れてきてくれたコーヒーさえ手をつけるのも怖かった。どこからボロが出るかわかったもんじゃないからだ。
でも相手はのん気にコーヒーをすすっている。いや“すする”というより“嗜んでいる”といったほうが合っている。音を立てない洗練された所作に、私は身の置き場がないような気持ちが強くなっていた。

水流井(つるい)さん、コーヒーは苦手でしたか?」

一瞬、反応が遅れた。今の私は園島ではなくあの実父の娘“水流井 菜乃花”なのだ。思わず冷や汗をかいて目を合わせれば、何の(てら)いもない視線とぶつかった。

「いえ…ただ少し、猫舌なんです…」

そう言ってちょっとだけ(うつむ)いてみた。いかにも、“緊張して固まってしまった引っ込み思案な感じ”がでるように演じてはみたが、騙されてくれるだろうか。ちらりと見れば、相手は納得したように頷いていた。

こちらを気遣ってくれるだなんて思いもしなかった。相変わらず仏頂面で何を考えているかわからないけれど、実はいい人なんだろうか。
そう思いかけたけど、心の中で首をふった。これはあくまでも、見合い相手に対する最低限の礼儀だ。見合いで最初から失礼な態度をとるほうがおかしい。それはドラマとか漫画の世界での話だ。

「一目惚れしたという話でしたが…私のどういうところを気に入ってくださったんですか?」
「…頼り甲斐のある方だと思ったんです。その…笹ヶ谷さんの凄さは前から聞いていましたから」
「見た目ではなく、中身ということでしょうか?」
「はい、あの…中身もそうなんですが、お見合いの写真を拝見して、お姿も凛々しいなぁって…」

そう言って私は微笑んだ。いくら設定通りの話をしているとは言え、我ながら鳥肌が立つレベルのカマトトぶりだ。出来るものなら、後ろから自分に飛び蹴りを食らわせたい。
羞恥に黙り込んでしまった私を、笹ヶ谷さんは無表情で見つめている。演技が通じているのかいないのか全くわからない。声だって淡々としていて、そこからは何の感情も読み取れない。
せめて愛想良くにこやかに接してほしいが、無理な話なんだろうか。それはそれで考えが読めなくて大変だろうけど、ここまで居心地が悪い思いはしないですむのに。

「それは、ありがとう」

思いがけずお礼を言われた。やっぱり愛想はない。…商人としては致命的じゃないだろうか、愛想がないのって。

「私も貴女に一目惚れしましたので、嬉しく思います」

ほら、こんなつまらない社交辞令まで言い始めた。これはもう演技がバレてーーー

い ま な ん て い っ た?

「は」
「見合い写真を見た時に、美しい方だと思ったんです」
「あの」

思わず私は演技も忘れ、笹ヶ谷さんの顔をマジマジと見つめてしまった。無表情、無感情、無愛想。そんな言葉がぴったりな顔で、私に“一目惚れ”と言い出した。

「あ、その…か、からかうのは、よしてください」

やっとそれだけ言いながら私は視線をあちこちに飛ばした。声も完全に上擦っている。完全に挙動不審だ。良家の娘にあるまじき振る舞いにも、笹ヶ谷さんは何も言わない。それどころか、

「とんでもない、本当です」

そうさらりと言った。
いや、あんな仏頂面しといて、好きな相手にとる態度じゃないだろう。ということは、やっぱりバレてる。その上でこんな冗談をかますってーーそうか、有頂天になる私を見て(わら)ってやろうってことか。
そうはいかない。
私は顔を背けて言った。

「その、こんな、夢みたいな…」
「確かに信じられないですよね。ですが、事実なんです」
「…私の、その、どういうところが…」
「見合い写真を見た時、力強い目に惹かれたんです。どういう方なんだろうと」
「…」
「実際に会ってみたら、ひどく奥ゆかしい方で…そこも可憐でますます好きになったんです」
「…」

よくもまぁポンポンと。この人はよほど質の悪い冗談が好きらしい。
私は負けじと、一番嫌だろうことを言ってみた。

「では、その…父に今すぐ伝えても良いですか? このお話、進めたいって」
「本当ですか」

ここで初めてこの御曹司の驚いた顔を見た。本当にちょっとだけ驚いている。目は少しだけ大きくなって、声も気持ち高めに聞こえる。

「ええ…、笹ヶ谷さんが良いのであれば、ぜひ」

どうだ、嫌だろう。好きでもない女と結婚なんて。
私は相手に見えないようほくそ笑み、次の言葉を待った。

「ではすぐに、私の両親も呼び戻しましょう」

…は?

見れば、お手伝いさんを呼び出して、三人に連絡するよう言いつけている。
…え? 本当に結婚するの? 私と?
呆気にとられている私を見て何を思ったのか、御曹司は無表情のまま私にお辞儀をして、言った。

「それでは、今日からよろしくお願いします」