「この通り、娘は内気なものでして…」

あの出会いから一ヶ月後、私はお見合いのため、タワマンの一室にいた。

通されたリビングには二人掛けのソファが二台、一人掛けのソファが一台。その三台が高そうなガラステーブルを囲んでいる。
見合い相手の両親は二人掛けのソファを使い、見合い相手本人である御曹司は一人掛けに座っていた。軽く挨拶を交わしーーとは言っても、私は黙って会釈をしただけだーー早速お見合いが始まった。

ここに来る前に「何もしゃべるな」と言われていたからずっと下を向いている。視界に入るのは自分の手。荒れ放題だったのがだいぶマシになっている。
手だけじゃない。髪も手入れされて、服もブランドもののワンピースだ。薄化粧もしてもらって、なんだか自分じゃないような錯覚を覚える。

でも勘違いしてるわけじゃない。私は魔法にかけられたシンデレラじゃなくて、繁殖用の家畜だ。隣で“御曹司様の写真を見て一目惚れした内気な娘”という設定で話す男に買われたようなものなんだ。
男がペラペラと語る与太話を、目の前の御曹司は不本意です、と言わんばかりの様子で聞いている。ちらっと盗み見たけど、ものすごい仏頂面だった。仏頂面の見本みたいな顔してた。
無愛想な雰囲気だったけど、それがまたこの人の魅力を引き出していた。背が高く、バランスの良い体型に、小さめの顔。横に直線を引いたような眉はいかにも意志が強そうだ。その下には切れ長で二重の目と、高すぎず低すぎない鼻、唇は真一文字に引き結ばれて隙がない。
スーツだってかなり上等な物だと私ですらわかった。成金と聞いていたから金ピカスーツとかだったらどうしよう、と思っていたけど心配のしすぎだった。

相手は成金だ、成金の笹ヶ谷だーーー実父はそう言っていた。だけど目の前の御曹司である笹ヶ谷 睦月さんも、その隣りに座るご両親も、全くそうは見えない。

父親である笹ヶ谷氏は背こそ低いものの柔和な顔付きで、人に威圧感を与えない。何より目もちゃんと笑っているので安心感がある。垂れ気味な眉と目のおかげだろうか、むしろゆるキャラ的な可愛らしさを感じる。

笹ヶ谷夫人だってそうだ。彼女は背が高くすらりとした美人で、八頭身はありそうなモデル体型だ。こう言ってしまうと迫力があってとっつきにくいような感じになるけど、愛想が良くて聞き上手な人だ。

そして二人とも温厚な所作でこちらの緊張を解してしまう。気を引き締めてないと、うっかり声をかけて会話に混ざりたくなってしまうような、不思議な魅力があった。

けど彼らは商人なのだ。穏やかな仕草や表情であっても、抜け目のない言動を心掛けているものだ。だからこそ、海外と取り引きを中心に何社も成功させ、支社が世界のあちこちにあるという。目の前にいる御曹司は、そのうちの一社を任されていると聞いた。…想像も出来ない世界だ。

そんな人たちをこの実父はどうして“成金の笹ヶ谷”なんて言うのだろう。そう言いながら私と結婚させて資金を提供してもらおう、だなんて。
…お金のためにここにいる私が言えた義理じゃないけど。

実父が経営している呉服屋の資金繰りが上手くいってない。せっかく若い後妻との間に念願の息子まで出来たというのに、このままでは先祖代々受け継いできたこの店が潰れるのは絶対に避けたい。それで、いつぞやの捨てた娘を思い出し、生け贄として差し出し資金を提供してもらおう、という計画に、私は遠い目をした。

本当にそれだけで済むと思っているのなら、おめでたい人だと思う。
私だったら、資金だけでなく自社から人員を派遣して、店を乗っ取ろうと考える。娘だけもらっておしまい、なんて甘い人たちではないだろう。

私は一ヶ月の間に叩き込まれた花嫁修行を思い出す。海外とも取り引きしていると聞いたから英語や中国語を学ぶのかと思っていたが、料理や掃除、花道や茶道、テーブルマナーくらいのものだった。
時代錯誤とまでは言わないけど、相手に合った勉強をすべきだと思った。思いながら何も言わずに取り組んだ。入院費や治療費の領収書を見せられたんだし、死物狂いで身に付けた。
家でよくやっていたから、家事はなんとでもなった。テーブルマナーも最低限のものだけは両親が教えてくれたし、接客業だったから姿勢だの笑顔だのもなんとかなった。
茶道だけは一からやるしかなかった。茶道だけで一ヶ月かかったようなものだ。

付け焼き刃でしかないそれを、この実父は嘲笑うでもなく、安心したように言った。一から十まで、全て教えることにならなくて良かった、と。

実父と夫妻の会話は弾んでいるように聞こえる。腹の中で何を考えているかはわからない。でも側から見て弾んでいる、と思われる状況こそが大切なのかもしれない。

「では、この後は若い人たちだけで…」

そう言って三人が立ったので、実父と目で会話した。

ーー後は私の設定通り、上手くやりなさい。
ーーはい、余計なことはしゃべりません。

準備を終えた私は顔を静かにあげて相手の顔を見る。頭の中で、開戦のコングが鳴った気がした。