「おぉ!こんな所におったか!肉桂よ!」

二人の背後から突然声が掛かった。
気配が全く無かった。驚いて振り返るとそこにいたのはローズマリーの知らない人物。だが肉桂にとってはよく見知った人物だった。

「道士!」

そこには、肉桂の半分ほどの身長の老人がいた。
肉桂のものと似た、黒い礼服に丸い帽子姿。白髪を長い三つ編みにして垂らしている。
目元は優しげに瞑られ、主人と言うよりも“祖父”や”保護者”といった印象を受けた。

道士の背後に、身長が2倍以上もあるふたつの人影あり。
両者とも肉桂と同じような服装だ。背格好は肉桂よりも長身で、性別は男女。顔の前に“符”を貼り付けていることから、彼らは肉桂の仲間のキョンシーなのだろう。


「いやぁ、方々探したぞい。
仕事の合間にこの地方を再訪し、立ち寄った場所を虱潰しに。骨が折れたわい。」

白い顎髭を撫でながら、道士は穏やかに笑う。
ふと、肉桂の額の見覚えのない符に気づいた。

「…おや、わしの授けた符ではないのう?
ソレは、そこなお嬢ちゃんが作ったものかのう?」

お嬢ちゃん…ローズマリーのことだ。
道士は、ゾンビを見ても動じていない様子。ローズマリーはおずおずと前へ進み出て、コクリと会釈するだけに留めた。
道士は感じよく、にこやかに一礼を返した。


「道士、私を連れ戻しにいらしたのですか?」

久々の家族に再会できたというのに、肉桂は少し躊躇っている様子だ。
それは彼の額の符に関係があるようで。

「そういうことになるのう。
わしの英国での仕事は元々一年の予定じゃから、もう本国へ帰る時期じゃ。
…そら、肉桂。この符を授けよう。」

そう言い、道士は袖の中から新たな符を取り出す。
よく見るとその新たな符に書かれた字は、背後のキョンシー達の額にあるものと同じで、肉桂の額のものとは形が異なっていた。

「…それを貼れば、私はここには居られない。
あなたを護り、あなたのために在あらねばならなくなります。」

「当たり前じゃ。元々おぬしの主人はわしじゃからのう。」

道士の持つ符に書かれているのは「勅令陏身保命」。“主人のために尽くせ”という命令だ。


対して、肉桂の額の符に書かれている言葉は“真逆の意味”を持っていた。

「一度は私の我儘を聞き、この地に残ることをお許しくださいました。
…どうか、もうしばらく猶予をいただけないでしょうか。」

符を貼った影響か、肉桂の顔に焦りの色がありありと浮かんでいる。
見慣れた“頭に空っぽのアホ”状態とは違う彼の新たな一面を、ローズマリーも驚きながら見ていた。

「…それは、そこなお嬢さんの入れ知恵かのう?」

道士のにこやかな目が、不穏な光を宿す。

「いいえ。
ただ私が、ローズマリーさんとこれからも、楽しい毎日を過ごしたいからです。」

「エッ!?」

そう短く叫んだのはローズマリーだ。
さらに、

「「エェッ!?」」

意外にも大声で叫んだのは、道士の後ろに待機していた二人のキョンシー達だった。
背後からの突然のドデカハーモニーに、道士も思わず体がビクッと強張る。

静観を決め込むかと思いきや、キョンシー達は道士以上に事の重大さを理解し、反応せずにはいられなかった。

より大柄な初老キョンシーが、嬉し涙を浮かべながら、
「…肉桂、お前…あれだけ何にも無関心だったお前が…。」

細身で妙齢の美女キョンシーが、
「…肉桂ちゃん…、今夜は赤飯かしら…。」

それぞれの感情表現で、肉桂の主張を温かく受け入れた。キョンシーというのは意外にも、個性豊かなのかもしれない。

つい場の雰囲気に流されそうになりながらも、道士が慌てて話を遮る。

「……ちょちょ!おぬし達!勝手に納得するんじゃない!
わしは肉桂を迎えに来たんじゃ!本国に帰ったら皆で、英国土産のスコーンと紅茶を楽しむんじゃ!」

そう叫びながら、後ろ手に提げていたお土産の入った包みを振り回す。
まあまあ、とキョンシー達に宥められる道士。どちらの立場が上か分からなくなってしまう。

内輪揉めを始めてしまった道士一行をよそに、ローズマリーは気になったことを肉桂に訊ねる。

「…あの、肉桂さまは元々…望んで墓場へいらしたんですの…?」

自分の我儘でこの地に残った。肉桂は確かにそう言ったのだ。
何の変哲もないオカルトスポットの、一体何が気になったというのか。

肉桂はなんと、少し照れ臭そうに頬を染めて見せた。
これにはローズマリーの視線も釘付けにならざるを得ない。

「…ローズマリーさんと初めて会った日、実は私は、霊廟の周りのカカシの群れを見ていたのです。」

その頃のカカシは、まだ憎きオリバーを模った呪いの儀式用であった。
ずらりと乱立する人形の威圧感たるや、地元の人間達をいとも簡単に震え上がらせ、誰一人として近寄らせなかった。

しかし一体一体をよく観察すれば、作り手の相当な熱量を感じることができる。
どんな思いでこれらを作っていたのか。人形の随所にある、無理矢理作業を終わらせたような始末の痕跡を見れば、“作ることすら辛くてたまらないのに、新しいものを作らずにはいられない”。そんな作り手の苦悩が見て取れた。

これを作ったのが人間であれ、人外であれ、そんな熱量を持つ人物に一度、直接会ってみたい。そう思った肉桂は道士に頼み込み、しばし自由行動を許してもらったというわけだ。


「…初めは、ローズマリーさんと一言話せればそれで良かったんです。
よく雑木林に資材調達に出掛けることは知っていたので、不躾ながら後をつけてしまいました。」

「……そ、そんな時にわたくしときたら、あなたに襲いかかって…モゴモゴ…。」

語尾も濁ってしまう。
二人の何とも初々しい様子を、道士は複雑そうな表情を浮かべながら見守る。


「結果的に一年を一緒に過ごすことになりましたが、私にはとても楽しい、夢のような時間でした。少しの後悔もありません。
もう一度我儘を許していただけるなら、もう一年、もう十年…いえ、この先何年も、楽しげなローズマリーさんを傍で見ていたいのです。」

「……っ!」

ローズマリーは思考停止寸前だった。
だってその言葉はまるで、生涯を誓うプロポーズのよう。

肉桂の心意はもっと純粋なところにあるのかもしれないけれど、“この先何年も傍にいる”とは、つまりそう解釈できてしまう。

キョンシー達の黄色い声が上がる。二人に取り押さえられている道士は、一人険しい顔だ。
肉桂の恥ずかしがりながらも真剣な顔に、相手のゾンビ少女の…真っ赤に染まり(物理的に)とろけてしまいそうな表情。
実際に顔の輪郭が若干崩れて見えるが「老眼のせいか…」と道士は目を擦った。

ーーーわしの下で何年も世話をしてやったというのに…。

「おぬしは、そのゾンビのお嬢ちゃんが良いのじゃな。」

道士は納得いかない表情ではあったものの、一度しっかりと二人の姿を目に焼き付けてから、そっと目を伏せた。


「…好きにせい。
英国はおぬしが思っているほど生易しい国ではないぞ。わしとともに本国へ帰らなかったことを後悔すると良いわ。」

道士は手に持っていた服従の符を、袖の中へと戻した。

くるりと踵を返し、肉桂とローズマリーに背を向ける。
さっさと歩き出した小さな背中に、肉桂は別れの言葉を投げかけた。

「道士、紹興酒は一日一杯までですよ。」

「……ええい!やかましいわい!
おぬしは昔から細かいんじゃ!」

二人に向かって、仲間キョンシー達が手を振る。肉桂とローズマリーも、別れの合図にと手を振り返す。
道士だけは最後まで、二人のほうを振り返ることはしなかった。