「だからもうつらくないので、大丈夫です」

 表情が曇ったままの理人さんに精いっぱいの笑顔で言うと、「それならいい」と納得してくれて胸を撫で下ろす。
 エレベーターを降りて玄関へと向かう中、繋いだままの手を彼はさらに強く握った。

「たとえ契約だとしても婚姻関係がある限り、俺は絶対に浮気はしないから安心してくれ」

「えっ?」

 思わず足を止めると、理人さんもまた足を止めて私と視線を合わせるように屈んだ。

「野々花を悲しませたり苦しませたりすることはしないと誓うよ」

「理人さん……」

 しばらく恋愛はこりごりだって思っていたのに、不意に優しくされると嫌でも胸がときめく。いや、きっとそれは私だけではない。こんな風に優しい言葉をかけられたら、誰だってドキドキしてしまうはず。

「そのためにも契約内容を詰めよう。おすすめのバーはすぐ近くなんだ。野々花も気に入るといいんだけど」

『野々花』と呼んで歩を進める彼に、私の胸は高鳴ったまま。チラッと隣を歩く理人さんの横顔を盗み見る。

 こんなにもドキドキしていることに、深い意味などないよね。ただ優しい言葉をかけてもらえたから嬉しかっただけ。

 そう自分に言い聞かせて向かった先の彼オススメのバーで、私たちは三年間の結婚生活に関する契約書を作成したのだった。