壱矢にとっては弾みで、あの幻想的な空気と独特な雰囲気の中で手近に私という女がいたから、そんな気分になっただけなのかもしれない。
家族として、一個人として私の事が好きだと、言いたかったのだろう。
ならば、今回の事は忘れてなかったことにする他方法は無い。

まったく、とんでもないことをしてくれたものだ。
受け入れた私にも責任があるため、壱矢のせいにばかりできないけれど、それでもあんなふうに私からなにかを奪うなんてと恨みがましいことも言いたくなる。

こっちはドキドキして、何をしてもあの事がちらつくというのに…。

 「壱、浴衣の着付けもあるから勉強は早めに切り上げてね?」

昼食を済ませ、2階へ上がろうとしたところでリビングにいた母が声をかけてきた。
もっと時間をずらして降りてくればよかった。
やっぱりあの浴衣を押してくる。

 「あれは着れない。さすがに私には似合わないから着たくない」

あんなの着て外をうろつく自分を想像するだけでも吐き気がするのに、もし知り合いに出くわしたらと思うとゾッとした。

 「そんなこと無いわよ。案外着てみたらしっくりくるかもしれないじゃない」

 「こないし、それに着たくもないものを着て私になんのメリットがあるの?」

しっくりなんて来るはずがない。
タイプじゃないのだ。好きじゃないのだ。