落ち着くくせに胸は騒がしい。
変な感覚はずっと止むことを知らず、日増しにひどくなっている。
この感覚の正体が早く知りたくて、いっそ恋だと結論付けてしまいたいほどだ。
でも私は、安倍さんのように壱矢を思ってあんな表情はできない。
甘いお菓子みたいな、ふわふわしたわたがしみたいな、頬を赤らめて誰かの事を想ったり出来ない。

なら、壱矢はどうなんだろうか。
誰かの事を想って頬を染めたり、あんなふうに全てを預けきったような表情をするのだろうか。
でも男女となればそれに差はあるかもしれない。
男の人が誰かに恋をしている表情など見たこともない私は、またそこで行き詰まってしまった。

ガタガタがたと網戸が踊って、風鈴が早い速度で音を奏でる。
髪が風にさらわれると、額が露になった。
どこかで虫の声がする。
耳の横に投げ出した手の先に、身じろぎした壱矢の指が触れた。
それだけなのに、ドクン、と一つ、大きく胸が弾んで、甘酸っぱい何かが身体中から込み上げてくる。
こんなの─────

 「先輩…、恋したこと、ありますか?」

自然と、呼吸と一緒に溢れ落ちる。

 「あるよ」

胸が痛むのはどうしてなんだろう。
私の知らない想いを誰かに寄せて焦がれていた事が、心のずっと奥の方を引っ掻いた。

 「いつしてましたか?」

 「今してる」

壱矢が私の方を見て、私の顎へ指を添わせた。
もう、吐息だけじゃなく、唇が触れてもおかしくない距離。
さっきまで鳴っていた鼓動が今は全く聞こえなくて、壱矢の声にだけ鼓膜が反応しているのが分かる。
伸ばされた親指の腹で、唇が撫でられる。

 「それ、どんな気持ちですか?」

私のなかにあるこのモヤモヤと、壱矢の事を考えるだけで痛くもなる心は、壱矢がしている恋と同じものなのかどうか。
触れられれば安堵してしまうこの感覚は、恋で間違いじゃないのか、教えて欲しい。