こんな壱矢は年に数回あるかどうか。
よほどの事が無い限りは声に怒気は含ませないのに、今日の壱矢は沸点が低かった。

 「だって、だってぇ…愛羅食べ、たいんだもん」

掠れた声と、肩に乗せられた指先の力で分かった。
あ、泣く。と。
これは確実に私の肩身が狭くなるやつだ。
自分の食べ物が狙われているので、私に非はないはずだが、こんな情況になっているのに譲らないとなると、譲らない側が悪く見えるのは自然の摂理。
どんな場面でも起こりうる理不尽である。
現に、二人の仲裁に入ることが出来ず、おろおろしている母の目は私に譲れと言っている。
こうなったら私が譲るか、愛羅のギャン泣きを宥めるかのどっちかで、しかし結果はうどんを譲る形になるので、より面倒が少ない方を選ぶのが得策だ。

 「いいよ、愛羅ちゃん。あげる」

 「やめろ壱、やんなくていい。それお前の昼飯だろ」

愛羅にどんぶりを譲り、一件落着としようとしたところで、即座に壱矢からのストップがかかる。
キッチンまで異動してきた壱矢が、どんぶりを持っていこうとする愛羅を阻止していた。
冗談じゃない。
さっきの言い争いが続けば、私が母に何を言われるか分からないわけがないだろう。
壱はけちだの、お姉さんなんだから譲れだの、妹を泣かせてまで意地悪するなだの、そんなことしか言われない。
私が昼御飯を食べていないことなど、どうせ母の頭にはないだろうし、食べていないと知っていたとしても、こんな時間に食べに来るからだだの言われるに決まってる。

 「いいんです。うどんもちょっと重そうなので、お茶漬けにします。それに先輩怖いですし」

どんぶりを持って阻止していた壱矢の手をやんわりほどき、愛羅の前へ差し出した。

 「愛羅のワガママが過ぎるから腹立って」

 「おにいちゃんがけちんぼなんだよーっだ!!べーっ」

派手なあっかんべーを披露した愛羅が、どんぶりを持って逃げるようにリビングへ移動していく。