その時、クリストファーの脳裏に浮かんだのはアリアの屈託ない笑顔だった。

「……っ」
「公爵様?」

 目眩を伴う頭痛のあと、まるで黒いインクで塗り潰されるように、アリアの顔は頭から消えていく。

 同時に記憶に蘇ってきたのは、涙で瞳を濡らした幼少期の無力な自分の姿である。

「どこかご気分でも……」
 
 こめかみを強く押さえたクリストファーにジェイドが心配そうに尋ねる。

「なにもない。それより、さっさとこの書類を騎士団長へ渡してこい」
「あ、ちょっと、公爵様――」

 そうしてジェイドの問いもうやむやにしたまま、クリストファーは執務室から彼を追い出した。
 一人になったクリストファーは、静かに息をついて窓に目を向ける。

「…………」

 アリア・グランツフィル。
 5年前、実の姉が命を落としてまで産んだ、クリストファーにとっては姪にあたる子供。

 二人が実の親子ではないと知っているのは、補佐役のジェイドと、公爵邸に古くから仕える執事長のみ。

 ほかの者はアリアがクリストファーの子供だと思っているのだろう。


(…………気分が悪い)

 産声をあげるアリアを目にしたとき、何よりも先に忌々しい感情が湧き上がった。

 それから5年。
 アリアを公爵邸の別館に住まわせてはいたが、それだけだった。

 必要な手配はすべてジェイドに任せていたし、一度だって関わることはなかったというのに。