春野愛依side


三花の家を出て自宅に着くまでの間、賢人に放った言葉がひどかったと認識できるぐらいには冷静さを取り戻していた。

過去に付き合った人のことをとやかく言われても賢人にはどうしようもなかったに違いない。

だから、『ごめんね』と先手を打ってメッセージを入れておいたけど日付をまだいでも既読にならなかった。

あんなに真剣に動画を観ていた賢人がスマホを手放して何かをしているなんて考えられないし、もしかしたら相当怒ってるのかもしれない。

一方的に言いたいことだけ言って感情的になり家を飛び出してしまった自分を責める。

私は何度も連絡が来ていないかスマホをタップして確認をする。

それでもメッセージは返ってこなくて、夜中の2時を回ったとき『寝てる?返事が欲しいです』としつこいと分かっていたのに送った。

本当はテスト勉強をしなくちゃいけないのに、頭の中は賢人のことでいっぱいで何も手につかない。

賢人はメッセージを返してくれてるのに、アプリが壊れて私に通知が来ないんじゃないかってヤキモキして。

動画の観すぎでスマホがバグっちゃったか、オーバーヒートで壊れちゃって返信できないのかもとか自分に都合のいいように考えた。

一睡もできずにただ返信を待っていると、カーテンの外がうっすらと明るくなってきてしまった。

ここまで返信がこないってことは、もしかしてなにかあったんじゃないかって今度は心配でたまらなくなる。

考えがまとまらない。連絡を待っている間に心の中がカラカラに乾いていく。

結局、返信は登校する直前にきた。

『ごめん寝てた』

たった6文字で済まされてしまったことに私は失望する。

その『ごめん』は昨日のことに対してなのか、それとも寝ていたことに対してなのか分からない。

そのあと、学校で顔を合わせた時もいたって普通に挨拶してきたから私はひっくり返りそうなほど拍子抜けしてしまった。

学校にいる間中、昨日のことを何か言ってくるかなと待ったけど賢人は何もなかったかのような態度で私に接した。

休み時間も昼休みもしゃべるタイミングなんていくらでもあった。

でも、賢人はすぐにふわぁっとあくびをして机に伏せてしまう。

隣の席だから賢人の動きがすべてわかってそのたびに私は悶々としてしまう。

だけど、これでいいのかもしれない。

本当は言いたいこととか聞きたいこととかたくさんあるけど、私が我慢すれば昨日のことはなかったことになる。

私はその一件をキッカケに、そうやって我慢することを覚えるようになった。


三学期の終業式の翌日はクリスマスだった。

付き合ってから初めてのクリスマスということもあり、この日を心待ちにしていた。

17時に駅前に集合して、隣の市のイルミネーションを見に行くことに決まった。

予定が決まると久しぶりのデートに心を弾ませて、クリスマス仕様の洋服を買ったり髪型を考えたりした。

薄いベージュのコートとフワリとしたホワイトのタートルニット。寒いのを承知のチェックのスカートとブーツ。

普段はあまりしない甘めな女の子コーデだけど、賢人に可愛いと言ってもらいたい一心でこれに決めた。

「遅いなぁ……」

約束の時間を回っても賢人の姿はない。時計の針はもう17時半を回っている。

仕方なく賢人にメッセージを入れても既読にならない。

辺りが徐々に薄暗くなりはじめると不安が増してくる。このまま賢人は来ないんじゃないかという思いに駆られ、ブンブンっと首を横に振ってそんなことを考える自分を戒める。

賢人から連絡が入ったのは18時近くになってからだった。

『――愛依ごめん!今どこ?まだ駅にいる?』

慌てた声色の賢人に約束を覚えてくれていたことにホッと胸を撫で下ろす。

「まだ駅だよ。どうしたの?なにかあった?」

『実はさ―ー』

賢人が息をのんだのが分かった。

『今日、まだ練習が終わらなくて……。みんな自主練してるから帰れないんだ』

スマホを持つ手が震えた。言葉を紡ぎだそうとしてもうまく声にならない。

ただ頭の中がまとまらない。それは、ポケットの中で絡まり合ってぐちゃぐちゃになっているイヤホンに似ていた。

賢人!!早く来いよ!!って、電話口の後ろでサッカー部の誰かが賢人を呼ぶ。

『今行く』

その言葉に私の頭の中で何かが音を立てた。

私はまだいいとも悪いとも言っていないのに、賢人の中で答えは出ていた。

「……そっか」

怒る気にもならなかった。どうしてか分からないけどこうなる予感がしていたから。

こんなに楽しみにしているのは私だけ。どんなに期待していても賢人にとってはさほど大切ではないのかもしれない。

賢人にとっての優先順位は一位がサッカーで二位が私。

期待するだけバカを見るし、空回りするほどに虚しくなる。

賢人に喜んでもらいたくて精いっぱいのお洒落をしてきた自分が惨めすぎるし恥ずかしい。

『愛依、ほんとごめん』

「もういいよ。私帰るから」

『寒い中待たせて本当にごめんな。でも、明日は一日休みになったんだ。だから、明日ーー』

私が望んでいたのは明日じゃなくて、今日なんだよ。今日じゃなきゃダメなんだよ。

「約束はしないで。期待するとダメになったとき辛いから。サッカー頑張ってね」

電話を切ると、弾んだ気持ちで歩いて来た道を今度は暗い気持ちでトボトボと体を引きずるようにして歩く。

駅前はキラキラと輝くイルミネーション一色で、同い年ぐらいの幸せそうな恋人たちをあえて視界に入れないようにして歩いた。

そうしないと心がバラバラになってしまいそうだったから。

付き合っているはずなのに、どうしてこんなにも賢人との距離が遠いんだろう。

家に帰るとデートじゃなかったの?と無神経なことを聞く母を無視して階段を一歩一歩踏みしめるように昇って部屋に入った。

コートもニットもスカートも全部脱ぎ捨てて床に投げつけ、部屋着に着替えるとベッドにダイブして私は顔を枕に押しつけた。

「うぅ……う……」

声が漏れないように必死に枕に顔を埋めて涙を流す。

苦しくてどうしようもない。

三花はクリぼっちだって嘆いていたけど、彼氏のいる私は三花以上に寂しい女だし、なんなら今すぐ消えてしまいたいぐらいに落ち込んでる。

うっ、とか、うぅ……って嗚咽交じりの泣き声が漏れる。

枕とシーツの間に両腕を入れて、枕にぎゅっとしがみつく。

付き合う前、ボールを追いかける賢人が大好きだった。教室からグラウンドを見下ろして賢人の姿を探すのが日課になっていた。

サッカー推薦で入学して二年生なのに一人だけレギュラーで努力家な賢人はいつもキラキラと輝いていて、私は心から賢人を尊敬していた。

ミサンガをプレゼントしたのだって、サッカーを頑張ってほしいからだし賢人のサッカー人生がより良いものであってほしいと願ってた。

だけど、今は心の底から応援できない。

本音をいえばサッカーじゃなくて私を見て欲しい。

クリスマスイブぐらい彼女と約束してるから帰るよって練習を切り上げて欲しかったし、

休憩の合間に今日はいけなそうって早めに連絡をもらいたかった。

寒空の下で1時間待ったことが苦だったわけじゃない。来るはずもない人を待つのが辛かっただけ。

賢人が来てくれるなら1時間だって2時間だって待っていられた。

だけど、賢人は来てくれなかった。

付き合う前はあんなに頻繁にくれた連絡がどんどん遅くなって、既読すらつかなくなる。

知ってるよ。既読スルーするのは悪いと思って未読のままにしているって。

でも、そんな優しさはいらない。どうせなら既読スルーしてもらった方がよっぽどいい。

「……ううっ」

自分の泣き声は更に私を惨めにさせる。

いつの間にか自転車通学に戻して、部活が終わった後に電話をくれなくなったのにも気付いてる。

部活で疲れてて歩いて帰るのしんどくてさ、って申し訳なさそうに謝られたけど私は言いたい言葉をぐっと飲みこんで家に帰ってきてから泣いた。

彼氏の頑張りを応援してあげられない小さな女になりたくなかったから。

いちかちゃんに余裕がないって言われたのも悔しかったから。

私は心底負けず嫌いで意地っ張りで可愛くない女だ。

明日一日会えると言ってくれたんだから今日のことは水に流してあげればいいのに、可愛げのないことを言って賢人を突き放した。

いつのまにか涙と鼻水でびしょびしょになってしまった枕カバーが気持ち悪くて仰向けになる。

涙が目の縁から耳の横を通り流れ落ちていく。

私ばっかり賢人を好きになっちゃった。

最初は賢人からの私への想いを感じたのに、今はその輪郭がぼんやりとしてしまっている。

「好き」って言われたい。ギュって抱きしめて欲しい。「愛依が一番大切だから」って言葉が欲しい。

賢人と会いたい。声が聞きたい。隣で笑い合いたい。

付き合い始めた時みたいな賢人の笑顔が今は思い出せない。

それが悲しくて苦しくてたえられなくて私は涙を流し続ける。

こんな気持ちにさせるならどうして私と付き合ったりしたの?


真っ暗な部屋の中で私はいつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていた。

今何時だろうとスマホの画面をタップすると、23時を回ったところだった。

「賢人だ……」

一時間ほど前にメッセージが届いていた。

【賢人:今日は本当にごめん。明日は一日ずっと一緒にいられるから。愛依と一緒にいたい】

私はスマホをギュッと胸に抱きしめた。

「よかった……」

さっきまで悲しくて寂しくて泣いていたのに、それを洗い流すように今度は熱い嬉し涙がポロポロと頬に落ちた。

このまま何の連絡もないかもって不安だった。

でも、賢人もまだ私と同じ気持ちでいてくれることに心底ほっとしている。

【私も賢人と一緒にいたい】

送信しても既読にはならない。きっと疲れて寝てしまっているんだろう。

私は弾かれたように立ち上がると、部屋の電気をつけて床に投げ捨てた洋服を拾い上げて綺麗に畳んだ。

明日こそこの服を着て賢人とデートする。そのためにもまずお風呂に入ってドロドロのメイクを落とそう。

部屋を飛び出ると、勢いよく階段を駆け下りていった。