九条賢人side
「ハァ……。最悪だ」
重たい体を引きずって階段を上り自分の部屋に行くと、ベッドの上にあおむけに倒れ込み腕で顔を覆う。
部屋の中にはまだかすかに愛依のやわらかい香水の匂いがして胸がギュッと締め付けられた。
一緒に定期テストの勉強をしようと誘ったのは俺の方だったし、サッカー動画を観てばかりの俺に愛依が苛立つのも無理はない。
ただ、それには理由があった。
帰る前に顧問に呼び出されて俺は愛依とのことを聞かれた。
『ちょっと小耳に挟んだんだが、同じクラスの春野と付き合っているという話は本当か?』
正直驚いていた。顧問とはサッカー以外の話をすることはなかったし、愛依とのことを聞かれるなんて思ってもいなかった。
付き合っていると答えると顧問の顔はあからさまに曇って俺を非難するように険しくなった。
『付き合うなとは言わない。ただ、2年でレギュラーなのはお前だけだ。そんなお前が女にうつつを抜かしているとなると面白く思わない人間がでるのは分かるな?』
その一言で確信した。誰かが顧問に俺と愛依のことを密告したのだと。
『他の奴らも最近調子がいいからな。もし九条がずっとレギュラーでいられると思い上がっているならそれは間違いだ』
それは顧問からの最終警告のような気がした。
ここ最近、試合でなんの結果も残せていないことを自分でも分かっていたし、伸び悩んでいることを顧問も察していたようだ。
顧問の本音は今のお前は彼女なんて作っている場合ではない、というところだろう。
自覚があるからこそこの状況をなんとか変えなければならないと焦って余裕がなくなっていた。
その結果がこれだ。
ハァと盛大なため息を吐く。
今日のことは俺が100%悪いけど、元カノのことについては俺にも言い分があった。
『今日、賢人の元カノのいちかちゃんに酷いこと言われたんだけど』
愛依は今にも泣きだしてしまうんじゃないかと心配になるほど目を潤ませて言った。
『え……。なんで?』
『知らないよ。でもムカつくって言われた』
『……涼森が?いや、まさか……』
信じられなかった。涼森には今付き合っている男がいる。
先週、部活帰り翔太とラーメンを食いに行ったとき、たまたま涼森と出くわした。
何故か浮かない顔をしていた涼森に翔太が声をかけると、彼氏とデートだったけどすっぽかされたと突然泣き出した。
彼氏とうまくいっていないと話す涼森は明らかに情緒不安定になっていて痛々しいほどに弱り切っていた。
俺はどうすることもできず、翔太が涼森を励ますところをただ隣で眺めていただけだ。
『賢人のこと褒めてたよ?キスとかそれ以上のことが上手いんだって』
やめてくれ。もう俺達は終わってるし、愛依だって納得してくれたはずじゃなかったのか?
『どうしてあの子は私にそんなこと言ってくるの?賢人に未練があるの?』
そんなこと俺に聞かれても分からない。
もし本当に涼森に嫌なことを言われたんだとしたら、どうしてすぐ言ってくれなかったんだ。
こんな険悪な雰囲気の時にダメ押しのように涼森の話を出さないで欲しい。
『いや、涼森には今彼氏がいるし俺に未練なんてないよ。最近うまくいかないっていってたし、それで情緒不安定になってるのかもしれない』
ただ、涼森は俺になんてもうなんの未練もないと伝えて安心させたかっただけなのに、愛依の顔がみるみるうちに歪んでいく。
『どうしてそんなことを賢人が知ってるの?私の知らないところでしゃべったの?それとも今も連絡取り合ってるの?』
『違うって』
『違くないでしょ!?』
今にも泣きだしそうに声を震わせて感情を露にしたのはこの時が初めてだった。
『落ち着けよ、愛依』
ベッドを降り、感情的になっている愛依の背中をさする。
ダメ押しのように浴衣の話をされたときは言葉に詰まった。
確かにあれは去年涼森と一緒に買いに行ったけど、ただそれだけで浴衣には何の思い入れもなかったから。
頼むから冷静になってくれよ。いつもの愛依に戻ってくれと俺は心の中で願っていた。
顧問の言葉で自分自身も精神的に余裕がなくなっている中、愛依のことを気遣う余裕が俺には残っていなかった。
愛依は怒っているのか顔を赤らめて興奮したように肩を上下させていた。
『なんでそんな興奮してんの?』
『それを聞くの……?私がなんで怒ってるか賢人は分かんないの?』
絞り出すような声で愛依が尋ねた時、スマホから大きな歓声がして俺はそちらに気を取られた。
その瞬間、『もし九条がずっとレギュラーでいられると思い上がっているならそれは間違いだ』という顧問の声が脳内に蘇った。
『……そんなにサッカーが大事?』
愛依の瞳からポロリと涙がこぼれたことに気付いていたのに、俺の頭の中では顧問の言葉が繰り返されていた。
もしもレギュラーを外されれば、大学のスポーツ推薦の道も断たれることになる。
そうなったらもう、俺だけの問題じゃなくなってしまう。
『ーーもう帰る』
愛依が部屋を出て行こうとするのを俺は止めなかった。
これ以上話をしていても今の俺には愛依を慰めることも励ますこともできないと思ったからだ。
今はお互い冷静に話ができる状況にはない。
だったら、少し時間を置くのも手だと考え、俺は愛依を見送った。
ベッドの上のスマホを手に取り画面をタップする。
待ち受け画面には笑顔の愛依が映っていてそっと指でなぞる。
「ごめんな……」
あとで今日のことを謝ろうと決めて、俺はスマホ片手に立ち上がり翔太に電話をかけた。
「あ、俺。今から自主練すんだけど、一緒にやらない?」
翔太は二つ返事で了承した。俺は荷物を用意して階段を駆け下りると、玄関を飛び出した。
「ハァ……。最悪だ」
重たい体を引きずって階段を上り自分の部屋に行くと、ベッドの上にあおむけに倒れ込み腕で顔を覆う。
部屋の中にはまだかすかに愛依のやわらかい香水の匂いがして胸がギュッと締め付けられた。
一緒に定期テストの勉強をしようと誘ったのは俺の方だったし、サッカー動画を観てばかりの俺に愛依が苛立つのも無理はない。
ただ、それには理由があった。
帰る前に顧問に呼び出されて俺は愛依とのことを聞かれた。
『ちょっと小耳に挟んだんだが、同じクラスの春野と付き合っているという話は本当か?』
正直驚いていた。顧問とはサッカー以外の話をすることはなかったし、愛依とのことを聞かれるなんて思ってもいなかった。
付き合っていると答えると顧問の顔はあからさまに曇って俺を非難するように険しくなった。
『付き合うなとは言わない。ただ、2年でレギュラーなのはお前だけだ。そんなお前が女にうつつを抜かしているとなると面白く思わない人間がでるのは分かるな?』
その一言で確信した。誰かが顧問に俺と愛依のことを密告したのだと。
『他の奴らも最近調子がいいからな。もし九条がずっとレギュラーでいられると思い上がっているならそれは間違いだ』
それは顧問からの最終警告のような気がした。
ここ最近、試合でなんの結果も残せていないことを自分でも分かっていたし、伸び悩んでいることを顧問も察していたようだ。
顧問の本音は今のお前は彼女なんて作っている場合ではない、というところだろう。
自覚があるからこそこの状況をなんとか変えなければならないと焦って余裕がなくなっていた。
その結果がこれだ。
ハァと盛大なため息を吐く。
今日のことは俺が100%悪いけど、元カノのことについては俺にも言い分があった。
『今日、賢人の元カノのいちかちゃんに酷いこと言われたんだけど』
愛依は今にも泣きだしてしまうんじゃないかと心配になるほど目を潤ませて言った。
『え……。なんで?』
『知らないよ。でもムカつくって言われた』
『……涼森が?いや、まさか……』
信じられなかった。涼森には今付き合っている男がいる。
先週、部活帰り翔太とラーメンを食いに行ったとき、たまたま涼森と出くわした。
何故か浮かない顔をしていた涼森に翔太が声をかけると、彼氏とデートだったけどすっぽかされたと突然泣き出した。
彼氏とうまくいっていないと話す涼森は明らかに情緒不安定になっていて痛々しいほどに弱り切っていた。
俺はどうすることもできず、翔太が涼森を励ますところをただ隣で眺めていただけだ。
『賢人のこと褒めてたよ?キスとかそれ以上のことが上手いんだって』
やめてくれ。もう俺達は終わってるし、愛依だって納得してくれたはずじゃなかったのか?
『どうしてあの子は私にそんなこと言ってくるの?賢人に未練があるの?』
そんなこと俺に聞かれても分からない。
もし本当に涼森に嫌なことを言われたんだとしたら、どうしてすぐ言ってくれなかったんだ。
こんな険悪な雰囲気の時にダメ押しのように涼森の話を出さないで欲しい。
『いや、涼森には今彼氏がいるし俺に未練なんてないよ。最近うまくいかないっていってたし、それで情緒不安定になってるのかもしれない』
ただ、涼森は俺になんてもうなんの未練もないと伝えて安心させたかっただけなのに、愛依の顔がみるみるうちに歪んでいく。
『どうしてそんなことを賢人が知ってるの?私の知らないところでしゃべったの?それとも今も連絡取り合ってるの?』
『違うって』
『違くないでしょ!?』
今にも泣きだしそうに声を震わせて感情を露にしたのはこの時が初めてだった。
『落ち着けよ、愛依』
ベッドを降り、感情的になっている愛依の背中をさする。
ダメ押しのように浴衣の話をされたときは言葉に詰まった。
確かにあれは去年涼森と一緒に買いに行ったけど、ただそれだけで浴衣には何の思い入れもなかったから。
頼むから冷静になってくれよ。いつもの愛依に戻ってくれと俺は心の中で願っていた。
顧問の言葉で自分自身も精神的に余裕がなくなっている中、愛依のことを気遣う余裕が俺には残っていなかった。
愛依は怒っているのか顔を赤らめて興奮したように肩を上下させていた。
『なんでそんな興奮してんの?』
『それを聞くの……?私がなんで怒ってるか賢人は分かんないの?』
絞り出すような声で愛依が尋ねた時、スマホから大きな歓声がして俺はそちらに気を取られた。
その瞬間、『もし九条がずっとレギュラーでいられると思い上がっているならそれは間違いだ』という顧問の声が脳内に蘇った。
『……そんなにサッカーが大事?』
愛依の瞳からポロリと涙がこぼれたことに気付いていたのに、俺の頭の中では顧問の言葉が繰り返されていた。
もしもレギュラーを外されれば、大学のスポーツ推薦の道も断たれることになる。
そうなったらもう、俺だけの問題じゃなくなってしまう。
『ーーもう帰る』
愛依が部屋を出て行こうとするのを俺は止めなかった。
これ以上話をしていても今の俺には愛依を慰めることも励ますこともできないと思ったからだ。
今はお互い冷静に話ができる状況にはない。
だったら、少し時間を置くのも手だと考え、俺は愛依を見送った。
ベッドの上のスマホを手に取り画面をタップする。
待ち受け画面には笑顔の愛依が映っていてそっと指でなぞる。
「ごめんな……」
あとで今日のことを謝ろうと決めて、俺はスマホ片手に立ち上がり翔太に電話をかけた。
「あ、俺。今から自主練すんだけど、一緒にやらない?」
翔太は二つ返事で了承した。俺は荷物を用意して階段を駆け下りると、玄関を飛び出した。