帰り道を奪われて

紫乃が顔を上げた時、男性はまるで最初からいなかったかのように目の前から消えてしまっていた。



不思議な気持ちを覚えながら紫乃が外にある井戸水で顔を洗い終わると、それを見ていたかのように男性が現れる。

「ちょうどご飯もできたところだよ。さあ、早く食べよう。紫乃はこんな薄い格好で山の中を歩いて倒れたんだ。きちんと栄養を取らないとね」

「どうしてあたしの名前を……?」

目の前にいる男性の名前を紫乃は知らない。自分の名前はもちろん教えていないし、名前がわかるようなものは持ち歩いていない。それなのに何故、男性は名前を知っているのだろうか。だが、それに男性が答えてくれることはなかった。

「ほら、おいで」

男性に手を取られ、紫乃は御社殿の中へとまた入る。あれだけ昨日降っていた雪は、まるで嘘のように止んでいた。

「わあ……!」

御社殿には二つのお膳が向かい合って並んでいた。お茶碗には湯気を立てた白米が盛り付けられており、大根と豆腐とネギの味噌汁、そして川で取れた魚が焼かれ、たくあんもある。