虜にさせてみて?


――チェックアウトを済ませ、ラウンジに集まってきた響の御両親と百合子さんとマスター。

響に会わないで帰るって言っているけれど。

本当にそれでいいの?

響の事だから、よっぽどの事がなければ実家に帰らないだろうし、またしばらく会わずに居るつもりじゃないだろうか。

「何暗い顔してるの?お客さん来ないから?」

「あっ、いえ、そんな事は……」

響の出勤時間まで後三時間あるなぁ……と、時計とにらめっこしていた私に百合子さんが不思議そうに覗いて来た。

「はい、コレ。私と店の番号とお義母さんの番号。何かあったら、かけて来てね」

手渡された小さなメモ。

「有難うございます。あの、響、呼びましょうか?」

「ううん、いいの。また来るから。東京に来たら、店にも来てね」

そう言うと荷物を持ち、「そろそろ送迎バスの時間だから」と言って、一斉に席を立った。

その時、パントリーの扉が開いた。

「今度、会う事になりました、あの人と……」

私服姿の響が顔を出した。

「あぁ、会っておいで。優子さんも楽しみにしてるから。またな、響」

お義父さんがにこやかに笑うと、響はただ頷いただけだった。

他のお客様が居なかったので送迎バスの前まで行き、お見送りをして別れを告げた。

「お、おはよ、響」

「お前は何回、おはようって言うんだよ?」

響はその事を伝える為に来たんだね。

伝えようとしただけでも、響にとっては大きな進歩かもしれない。

そんな響を前にして、何となく気まずいような気がして、ついさっきまで一緒に居たのに、再び挨拶をしてしまった。

コツンと、拳で軽く頭を叩かれた。

「秋になったら、連休取れる?」

グラスに氷を入れながら、目を合わさずに聞く響。

「それなりに忙しいけど、忙しかった夏の分、二日位の連休ならくれるんじゃない?」

「そう。何時がいい?お前も休め」

「旅行?」

「そんな感覚でついて来て?」

クスッと笑った響は、自分で勝手にグラスに注いだアイスコーヒーを飲み干してから寮に戻った。

「んふふ〜、ひより、朝から響君とラブラブだね」

「ラブラブじゃないってば!」

私服姿の響を見かけて、ラウンジのすぐ後ろにあるレストランのさっちゃんが、ひかやして来た。

さっちゃんも同期だけれど、まだ響の事は言ってない。

同じ管轄だから言いにくいな、と思っている。

「今日辺り、台風が通過するみたいだよ。花火は無理だねぇ」

「美奈は張り切ってたけどね、後は誰が行くの?」

「総務の子達とぉ、うーん、総勢、10人位かな?」

いつの間にか、そんなに話が膨らんでいたんだね。

さっちゃんはしばらく、お喋りをして、レストランの開店時間になり戻って行った。今度こそ私は一人ぼっち。

そういえば、まだ響には言ってなかった。

行かないって言うかもしれないけれど、声をかけてみようか?

……響、さっきの旅行?は、きっと優子さんのとこに行くつもりだろうな。

お母さんにも「私は一緒に行けないから、ひよりさんが大丈夫なら、ついて行ってあげて」って言われたし。

当然、二人の様子も報告しなくちゃいけないだろうし、大役を引き受けてしまった気がする。

一人の時間も考える事だらけで、すぐに過ぎてしまった。