「ただいま」


 その日の晩、旦那様はいつもと同じ時間に帰って来た。


「おかえりなさい、旦那様」


 いつも通りの穏やかで優しい笑み。そりゃぁ、旦那様は何も知らないんだから当然だけど。それでも安心してしまう自分がいる。


「どうかした?」


 旦那様はそう言って、わたしの頬をそっと撫でた。ただそれだけ――とても些細な触れ合いだけど、旦那様はきっと、信じられない程たくさんの愛情を込めてくれている。わたしは思わず旦那様のことを抱き締めた。


「アイリス?」


 旦那様はわたしを抱き返しながら、よしよしって頭を撫でてくれた。ささくれだった心が、一気に潤っていく。目頭がすごく熱くなって、わたしは旦那様の胸に顔を擦りつけた。


「――――旦那様が好きです。大好きです」


 言えば、旦那様は小さく息を呑む。つむじに旦那様の唇の感触を感じて、瞳から温かな涙が流れた。


「俺も、アイリスを愛してるよ」


 旦那様はそう言って、わたしの額や頬、唇に何度も何度も口づける。


(知ってます)


 悲しいほどに。
 わたしはあなたの気持ちを知っている。だから――――。


(わたしのために、生き抜いてほしい)


 心の底からそう願う。
 静かに涙を流しながら、わたしは旦那様に抱き締められていた。