クレオ*̣̩エシス





「羽月ちゃん!やっと見つけた…っ」


突如響いた声に、深夜は立ち上がる。振り返ると、声の主は先程深夜をここまで連れてきた看護師だった。


「こんなところにいたなんて」


「…ごめん、なさい」


目を伏せ、控えめに呟かれた言葉に、看護師は首を振った。


「いいのよ。羽月ちゃんのせいじゃないから。じゃあ2人共、着いてきて」


何故か共に呼ばれた羽月の名に疑問を抱いた深夜だったが、思い至った結論に首を振った。
先の案内と同様、看護師は何か説明してくれているが、深夜はそんなことよりも、この隣を歩く少女が気になり、その横顔をひっそりと盗み見た。

名前を教えてくれた時に見せた微笑みは、幻だったのだろうか。ピクリとも動かない表情に、深夜は困惑する。羽月は、深夜が今まで出会った中でも特に表情が読めない。そこそこ洞察力には自信があったが、その自信を失ってしまいそうなほど、彼女の表情は変わらなかった。

それでも深夜なりに、彼女の経緯について推測を立ててみることにした。あの作り物のような白髪。染めているのかとも思えるが、病院にいるのにそれは不可能だろう。つまりは生まれつき彼女は白髪だったと推理できる。そんな彼女を同年代の子供が見て、どんな反応をするだろうか。
と、なると。

───いじめ、か。


「……最っ低」


それはほんの小さな呟きで、すぐ空気に溶けてしまうようなものだったが、羽月は不思議そうに深夜の顔を見た。


「いや、なんでもないよ!」


あまりいい言葉ではなかったので、慌てて誤魔化すと、羽月はフッと目線を前へと戻した。
危なかったと、深夜は内心そっと胸を撫で下ろす。
この少女、思いの外鋭いところがあるかもしれない。深夜は羽月への警戒レベルを上げた。


「ここよ。さ、2人共入って」


そう案内されたのは、中庭を出てすぐ目の前の、普通の病室。看板には、S105号室の文字と。


「は、」


そこに並んでいた文字を読み、深夜は絶句する。正確には、自分の推理が当たってしまったことに対して。


「あの…まさかと思うんですけど」


何も気にせず部屋に入った羽月を横目に、深夜はドアの前にスタンドとして立っている看護師を見上げ、言った。


「俺達、同室…なんですか…?」


そう、S105号室と書いてある下。

紅 深夜 / 美冷 羽月

と、紛うことなき2人の名前が書いてあったのだ。


「えぇ。そうだけど…」


「お、おかしくないですか?俺、一応11歳なんですけど…!」


「ま、まぁ、そうかもしれないわね。上にかけ合えば変えてもらえるかもしれないけど…」


深夜の迫力に、半ば押されるようにして看護師は羽月を見た。


「羽月ちゃんはどう?相手、変えたい?」


「私は…別に」


てっきり、男となんて嫌だと言われると思っていた深夜は、驚きに目を見開く。普通は知らない男と同じ部屋なんて嫌だと否定するだろう。それとも自分は男と認識されていないのか。深夜はつくづく変わったヤツだ、と呆れるようにため息をついた。


「彼女がいいなら、大丈夫です」


別にそう長い付き合いではないと自分に言い聞かせて、深夜は病室へと足を踏み入れた。

そこは所謂普通の病室だった。
正面には大きな窓。両脇にベッドが2つ。その脇にサイドテーブルにもなる3段の引き出しがあり、真ん中には大きな丸い折りたたみ式テーブルが置いてあった。その横にはいくつかのクッションがある。

深夜は手直にあった緑色のクッションに腰を下ろした。その横で羽月は青の、幽見は余った紅色のクッションに、それぞれ腰を下ろす。


「よし。ならまずは自己紹介をしましょうか。羽月ちゃんとは長い付き合いだけど、深夜くんとははじめましてだものね」


ふっと微笑んだ看護師の言葉に、深夜は引っかかるものがあった。
『長い付き合いだけど』
その言葉の意味を考え、深夜はひとり眉をひそめた。


「まずは、私。私は幽見李逢と言います。歳は…ナイショ。なにか分からないことや不安なことがあったら、遠慮なく相談してね」


幽見と名乗った看護師は、にっこりと2人に笑みを向けた。その明るい印象から、彼女がどういう人物なのか、朧気にだが分かる気がした。


「基本的にあなた達の身の回りの世話や健康状態のチェック。あとは診察を呼びに来たりとか、そういうことをするわ。───とまあ、私の説明はこれくらいかしら。じゃあ、次。羽月ちゃんお願いね」


幽見は説明を終え、羽月へと目を向ける。視線を受けた羽月は、小さく話し始めた。


「私は、美冷羽月と言います。歳は…11歳。大体2年前くらいから、この病院にいます。…あんまり私と一緒にいない方が、いいと思います」


最後の方は、目を伏せて発せられた言葉だった。


「はい。羽月ちゃんは、もうちょっと私の事も信じてくれるといいなー。じゃ、次。深夜くん」


パンっ!と、空気を変えるように手を打ち、幽見は深夜へと目線を移した。
この少し重くなった空気を変えなければならないと、深夜の中で、スイッチが切り替わった。


「はい。俺は紅深夜と言います。俺も11歳です。実は《モリンシ》は今日わかったので、結構ドタバタで来ました。なのでこの病院の事、色々教えて貰えると助かります。これからよろしくお願いしますね」


今までの気怠げな雰囲気とは一転、爽やかな笑顔と共に発せられた言葉は、目に見えて空気を明るい方向へと変えていく。


「2人共、同い年だったのね!深夜くんは、これから少しずつでいいから、この病院に慣れていってね。私もサポートするから、安心して」


2人を安心させるように握りこぶしを作る幽見。
しかしすぐ仕事の顔に戻ると、2人を順に見た。


「それじゃあ、大まかな説明をするわね。この部屋には各ベッドとこのドアの横、計3つのボタンがあるわ。緊急のことがあったら押してね。それと、そのドアのボタンの上にある四角いボタン。これは直接私の端末に繋がるから、私を呼びたい時に使ってね。診察は大体、1日1回から2回。私が呼びに行くわ。ご飯も私が運んでくるから。あと、なにか飲みたい時は自販機が色んなところにあるから、そのネームカードをかざすと買えるわ。────と、そろそろ荷物が来るかしら」


丁度そのタイミングを見計らってか、ドアがノックされた。


「どうぞ!」


と、幽見のよく通る声が響く。横開きのドアが、ガラガラど音を立てて開くと、そこにはいくつかの箱が乗った台車を引く男性の姿があった。


「えぇっと、紅深夜さんと美冷羽月さんですよね。荷物はこれで全部だと思います。何か足りなかったら言ってくださいね。箱は後日回収に来ます。それじゃあ」


言いたいことだけ言って帰った男性の姿を見送ってから、幽見は立ち上がった。


「それじゃあ、私もそろそろ行くわね。夕飯取ってこなきゃ。荷物は開けてていいわよ。置く場所は2人で相談してね」


仲良くね。と付け加え、幽見は部屋を出ていった。
部屋に静寂が生まれ、なんとも言えない息苦しさが深夜を襲った。このまま相手の様子を伺っているのでは埒が明かないので、深夜は思い切って話しかけてみることにした。


「あーっと…。荷物、開けるか」


「…うん」


小さく返ってきた短い返事。しかし無視されなかったことにほっと胸をなでおろした深夜は、少しずつ話を膨らませていく。


「えっと…俺の事は、深夜って呼んでくれ。名字は…嫌い、だから。それで、お前のことはなんて呼べばいい?」


「…なんでも、いい」


隣で箱を開けながら、深夜には目もくれない羽月に困惑しながら、深夜は負けまいと話を続ける。


「じゃあ、俺も羽月って呼んでもいいか?」


「うん」


「は、羽月って、青好きなのか?さっきのクッションも青選んだし」


「…別に、特別好きなわけじゃない、けど」


「そ、そうなんだ…」


思った以上に続かない会話に、深夜は心の中で頭を抱えた。ただ口下手なのかと思っていたが、どうやら深夜と話す意思が無いようだった。いつまでも探っているだけではこちらもつまらないので、少し踏み込んだ話をしようと、深夜は息を吸い込んだ。
それと同時。


「ねぇ」


なんと、羽月の方から話しかけたのだ。予想外のことに、深夜は思わず吸い込んだ息でむせ返った。


「え、大丈夫…?」


「だ、大丈夫だ。続けてくれ…」


まだ痛む肺に、若干の涙目になりながら、深夜は先を促した。せっかく羽月が自分から話し始めたのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
しかし、そんな深夜の心意気とは裏腹に、羽月から発せられた言葉は、冷たいものだった。


「無理に私に、話しかけなくていい」


え、と乾いた声が、深夜の口から零れ落ちた。


「無理にって…そんなこと」


へらっと笑みと共に紡がれた言葉に、羽月が初めて深夜と目を合わせた。


「私は、人とは違う。だから、私と一緒にいると貴方が不幸になる。…私に、関わらないで」


その冷たい言葉とは裏腹に、羽月の瞳は悲しい、そして寂しいと叫んでいるようだった。
今までこの少女は、どんな道を歩んできたのだろう。
2年前から病院にいる。それは何があったからなのか。まだ深夜には分からない。

しかし、


「これ以上、不幸になんてなってたまるか」


「え…」


「俺はな、羽月。そこそこ辛い人生生きてる自信がある。だから、これ以上悪くなんかならねぇんだよ」


「…っ、今までみんな不幸になっていった…っ。貴方だけならないなんて、そんなこと───」


「その髪が、人と違う原因か」


深夜の言葉に、羽月は肩を震わせる。
まるで、何かに怯えるように。


「やめて…。口にしないで…っ」


「なにを」


「貴方もこの髪、おかしいって思ってるでしょ。皆そうだもの。この髪のせいでみんなは…私は…っ」


髪を握りしめ俯いた羽月に、深夜は強めに声をかける。


「俺は、その髪をおかしいとは思わない」


「…っ!嘘…!!」


今までの羽月からは想像もつかない大声。
半ば悲鳴のようなその声は、病室に広がり、木霊した。


「嘘じゃない」


「嘘!そんなはずない!だって、みんな…っ!」


否定してもそれでも尚食い下がる羽月に、深夜はキッと目を釣り上げ、羽月の頬を両手で挟んだ。


「“みんな”って一括りにすんな!俺の話を聞け!」


キンッ───と病室に深夜の声が木霊する。
その怒声に、羽月はビクリと肩を揺らした。


「みんなそう言ったから俺もそうだって、なんで決めつけてんだよ!今お前が話してんのは俺だろ!だったらちゃんと俺を見ろ!今までお前のこと悪く言った奴がいんなら、そんなの忘れちまえ!俺はな───」


スっと息を吸って、自然な笑顔で言葉を紡ぐ。
これが本心であると、嘘なんかじゃないと、どうしても伝えたかった。


「俺は、さっきお前を初めて見た時、すげー綺麗だと思った。風になびくお前の髪が、まるで天使の羽みたいだって。だから…おかしいとは思わないし、それでお前を他の人と違う目で見たりはしないよ」


そう言い切ると、深夜は頬に当てていた手を下ろす。勢いとはいえ、いきなり今日会ったばかりの女の子に触れてしまったことに若干の罪悪感が湧き、思わず目を逸らす。考えてみれば、自分の意見を否定されたから逆ギレするなど幼い子供のすることではないか。
あとから襲ってきた羞恥に頭を抱えていると、羽月がか細い声を発した。


「…ほんとに、私を変だって…気味悪いって、思わないの…っ」


俯いた羽月の表情は、深夜からは見えないので分からない。震える声が、どう言った感情を表しているのかも。


「何度も言わせるなよ。綺麗だとは思っても、気味悪いとは思わねぇよ」


笑顔と共に紡がれた言葉に、羽月が息を飲む。


「…私…あなたのそばに、いて、いいの…」


途切れ途切れなその言葉に、深夜はふわりと笑みを返す。この言葉は、他でもない《深夜》に向けての言葉だと、そう思ったから。


「あぁ。いていいんだよ」


穏やかにそう答えると、羽月はゆっくりと顔を上げた。その瞳に溢れんばかりの涙を浮かべて。


「この髪を褒めてくれたのは…っ。あなたが、初めて…!」


止められず溢れた涙が、とめどなく羽月の頬を流れ落ちていく。一体羽月の過去に何があったのか。この髪が原因で、どんな扱いを受けてきたのか。今の深夜には分からない。それでもこの瞬間、深夜はそのしがらみを断ち切ることに成功したのだろう。


「…悪い気はしないな」


ふっと笑みを零した深夜は、涙を流し続ける羽月の髪を優しく撫でた。


「お前が言って欲しいなら何度でも言ってやるよ。お前の髪は綺麗だ。…これは嘘なんかじゃなくて、俺の本心だからな」


間違えんなよ、と子供らしい笑みを見せた深夜に、羽月は「ありがとう」と、はにかんだ。

その笑みはとてもぎこちなくて、深夜の心を少し痛めた。今まで、笑うことさえなかったのか。笑うことを、忘れてしまっていたのか。

ぐっと唇を引き結び、眉を寄せた深夜だったが、これ以上彼女を不安にさせまいと、無理矢理笑顔を作った。


「ほら、あんま泣いてると干からびるぞ。それに、幽見さんが見たら驚くから───」


羽月の涙を拭おうと手を伸ばしたのと同時、病室のドアが開いた。


「全く。深夜くんったら、私が2年かけても開けられなかった心のドアを、こんなに簡単に開けちゃうなんて…。お姉さん悔しいわ」


夕飯の乗った台車を押しながら入ってきた幽見に、2人は慌てて立ち上がる。


「えっ、いつから…っ」


「そうねぇ。『“みんな”って一括りにすんな!俺の話を聞け!』…からかしら」


自分の言った言葉を再度口に出され、羞恥で桃色に染まった顔を隠すように、深夜は項垂れた。


「後半、ほぼ全部聞かれてたのかよ…」


「ふふっ!そう落ち込まないで、深夜くん。とってもかっこよかったわよ」


満面の笑みで言われ、深夜は渋々顔を上げた。まだ頬の熱は引かなかったが。


「それと、羽月ちゃん」


幽見が来てからずっと目を伏せていた羽月は、名前を呼ばれ、パッと顔を上げた。幽見の真っ直ぐな視線が、羽月の目を捕える。


「私もあなたを差別しないひとりだって、分かっておいてくれると嬉しいわ」


ふわっと微笑んだ幽見に、羽月は小さく息を飲んだ。


「な?ちゃんと話してみれば、こういう人もいるもんだぜ?」


ポンっと元気づけるように、深夜は羽月の背を叩いた。


「うん…っ」


それが伝わったのか、羽月は少し頬を緩めた。


「さぁ!ご飯にしましょ!今日の夕飯はカレーよ!」


明るい声と共に、机にカレーが並べられていく。
ホカホカと湯気を立てる様に、食欲がそそられる。
病人といえど、深夜も立派な成長期だ。それに。

暖かい食事が、酷く懐かしかった。

じわっと滲んだ涙に気づかれないように、深夜は明るく声を上げた。


「うれしいな。俺カレー好きなんですよ」


「あら、意外と子供らしい一面もあるじゃない。いいわよー」


「俺はまだ子供ですよ」


“意外と“という言葉に、笑い混じりで深夜は返答する。


「それじゃ、冷めないうちに頂きましょ。はい、手を合わせて」


パンっという音が、心地よく響き、


「いただきます」


「「いただきます」」


食事が始まったのだった。