彼女には6つ年の離れた妹がいる。
その子は奇妙な白い髪を持って産まれてきた。
名前は───羽月。
羽月が生まれてきた時のことは、朧気だけど覚えている。彼女は当時6歳。今年小学生になる、そんな歳だった。その時はまだ父がいて、母がいて。生活も厳しくなく、幸せだった。彼女も妹ができるのが嬉しくて、毎日母にお腹の様子を聞いていた。どんな子なのか、お姉さんらしく出来るのか、産まれたら何をしてあげようか。幼心に期待と不安が渦巻いていた。
だから、羽月を見た時、初めはとても驚いた。
薄くてもわかる、白銀の髪。
驚いたけれど、初めて触れた手はとても小さくて。彼女は、自分がこの子を守っていかなきゃいけないんだと、何があってもこの子の味方でいなくてはならないと。
そう、思っていたのに。
「なんてこと…!!突然変異だなんて…そんな不気味な子供、我が一族とは認めないわ!それでも育てると言うのならば、あなた達は縁を切りなさい…!!」
祖母の言葉に、彼女の決意は打ち砕かれてしまったようだった。
羽月か、父か。
その時の母の苦しみを、彼女は分かってあげることは出来なかった。ただ、母は泣きながら羽月を抱き締めていた。そして、彼女のことも。2人に謝り続けた母の声を、彼女が忘れることは無いだろう。それだけ母の悲痛な謝罪は、彼女の心に深い傷を残した。
羽月が成長するにつれて、あの忌々しい白髪は目立っていった。羽月は幼稚園や保育園には行かず、家で過ごしていた。その頃には本家からのお金は無くなり、母は夜通し働くことを余儀なくされていた。彼女は当時5年生。何も分からない羽月に文字などを教えていた。羽月は医者から言われていたこともあり、ほとんど外に出たことはなく、恐らく羽月にとっては彼女と母が全てだったのだろう。羽月は素直で、よく笑って。それでいて、時々ふと寂しそうな顔になる時があった。それが何に対する寂しさなのか、心当たりが多すぎて、彼女には分からなかった。彼女は学校に行って、帰ると自分の宿題と羽月の勉強を見る。それが当たり前になっていた。それが終わると家事をする。夜ご飯の準備やお風呂洗い。まだ5歳になる羽月は何も出来ない。彼女がやらなきゃいけなかった。
そんなある日、母から羽月に、その出生に関わる父との過去が伝えられた。羽月に父がいないのは、産まれた時羽月が白髪だったからだ、と。
彼女は耳を塞ぎたくなった。
今まで朧気だった父の姿が、はっきり浮かんでしまいそうで。そうしたらきっと、寂しくなってしまうから。
でも、その時羽月は。たった5歳の羽月は、何を思ったのだろうか。
暫く羽月は呆然としていたけど、やがてフラフラと洗面所に行くと突然ハサミを取り出した。何をするのかと止めに入ろうとする前に、羽月は自分の髪をわしづかむと、乱暴に切り落とした。羽月の細い髪は、いとも簡単に刃の餌食となっていった。
彼女と母は驚愕のあまり固まっていたが、ふと我に返ると慌てて羽月を止めた。それでも羽月はやめようとせず、ぶれる刃は顔に細かい傷をつけていった。何度もやめなさいと声をかけるうちに、段々と羽月の体から力が抜けていき、ペタンと床にへたり込んだ。安堵に息をついて、彼女は羽月が細かく肩を揺らしているのに気が付いた。不思議に思って声を掛けると、床に雫が落ちた。
「ごめんなさい…ごめなさい…っ!うまれてきて…ごめなさい…っ…!!」
小さく紡がれた悲鳴に、咄嗟に慰めることが出来なかった。その時ふと思ってしまったから。
羽月がいなければ、こんなに大変な生活にはならなかったのに。
そんな考えがよぎった自分自身に驚いて、彼女は声を失った。いつから自分は、こんなに汚れてしまったんだろう。どうしてたった1人の妹の生を認めてあげることも出来ないんだろう。この出来事は家族に、暗い影を落とした。
そして羽月は小学校に入学した。彼女は中年生になった。家しか知らない羽月にとって、学校は未知の世界だったと思う。そして、自分が異端であると自覚するには、十分過ぎる環境だったはずだ。しかし、家でそんなことは言わなかった。
否、言えなかったのだ。
羽月は1度、彼女が通う中学校に来たことがある。今となっては、何か話したいことがあったからに決まっているのに。彼女は羽月を追い返してしまった。一瞬だけ、自分まで異端な目で見られたくないと思ってしまった。それから羽月は何かを察したのか、中学に来ることは無くなった。
あの頃からだった。彼女と羽月が、以前のように会話をしなくなったのは。
だから彼女は知らなかった。
羽月が学校でどんな扱いを受けていたか。
事件があったのは彼女が中学3年生になった時だった。中学に入学した彼女は順調だった。陸上部に入部して、沢山賞もとった。母はだいぶやつれていたけど、それでも喜んでくれていた。彼女はそれが嬉しくて、一生懸命部活に打ち込んだ。家に帰るのが遅くなることもあったが、そういう時は羽月が何も言わず、夕飯の準備をしてくれていた。その暗い表情に、気づいていないわけではなかったのに、彼女は気付かない振りをした。受験が目の前に差し迫って、焦っていたのも理由の1つだったが、そこまで深く考えていなかったのも事実だった。
それが、間違いだった。
後悔した時にはもう遅かった。
羽月は階段から突き落とされ、主犯も分からなかった。誰がやったのかと問い詰める彼女達に、羽月は分からないと首を振ったのだ。それが諦めに感じて、彼女はイラついていた。そんな羽月への感情が爆発する寸前、目の前で母が倒れた。一瞬頭が真っ白になって動けなかったが、すぐに我に返って彼女は悲鳴のような声を上げていた。
母が目覚めるかどうか分からないと言われた後、彼女の心は不安と絶望で埋め尽くされていた。それに加え、羽月の“モリンシ”感染も発覚し、とうとう彼女は追い詰められてしまった。
トドメは羽月の一言だった。
「おねえちゃん。私は死ぬから…もう大丈夫だよ」
彼女の中で、何かが切れた気がした。
それがなんなのかは、分からないけれど。
気が付いたら羽月に手をあげ、叫んでいた。
「あんたが産まれてから…私は不幸になった…っ!!」
自分でも驚く程、醜い言葉だった。
駆け寄ってくる看護師達に囲まれる羽月を見て、今更ながら自分がやってしまったことへと罪悪感が湧き、彼女は急いでその場を離れた。誰もいない場所まで来ると、不意に地面に雫が落ちた。それが自分の涙だということを認識するまで時間がかかったけれど、母が倒れて、羽月を傷つけた事実は消えなかった。
それから彼女は奇跡的に受かっていた高校へ入学し、国から支給されるお金を頼りに、本家から使えと言われた古いアパートで一人暮らしを始めることになった。
母と羽月の入院代。
それが自分が背負う罪のように感じて、少しでもその罪を軽くしたくてバイトに狂った。学校に行って、バイトをして、自分の生活は段々と疎かになっていった。だから、こうなったんだろう。
高校3年生。
進学という道がない彼女は、就活のために走り回っていた。食事も睡眠もままならない状態で。
不意に体から力が抜けた。力を入れようとしても入らない。横断歩道のど真ん中。ふらりと体を傾かせた彼女に、右折してきた車が突っ込む。
痛みはなかった。
これが今まで“私”が羽月にしてきた行いへの仕打ちなんだと考えると、すんなりと受け入れられた。
そして、その時。死を覚悟して。
ようやく解放されると、確かに安堵したのだった。

