クレオ*̣̩エシス







「私は…。次の春を迎える頃には、もう、いないの」




病室の時が止まる。羽月の言葉を理解することが出来ない、否、したくないのだ。認めてしまえば、羽月の死が現実のものとなってしまう気がして。


「それは…もう、決まった未来…なのか…」


震える声で問い掛ける。脳は既に理解することを放棄してしまって、殆ど感覚で喋っている状態だった。まだ、細く涙を流す羽月は、くっと眉を寄せて絞り出すように返答した。


「そう、みたい」


「くすり…薬は…!ワクチンはまだ出来ないのか…!?」


ぎゅっと肩を掴む手に力が入る。羽月のリミットが来るまでにワクチンが出来上がっていれば。
しかし、羽月はゆっくりと首を横振る。


「ワクチンを完璧な状態にさせるには、もう少し結果が必要なんだって。だから、ダメなの」


何も出来ない悔しさに、深夜は唇を噛み締める。大切な人の生死がかかっているのに、自分はただその時を待つことしか出来ないのか。


「いつから…わかってたんだ」


羽月の顔を見ていられなくなり、深夜は俯いてしまった。


「正式に時間を言われたのは今日だけど、段々症状が悪化してるっていうのは、随分前から言われてた」


ふっと羽月は時計を見る。正確に時を刻むそれは、自分のリミットをも刻々と刻み続けている。


「モリンシの感染者は、約3年で90%の人が死んじゃうんだって。私は、今年で3年目になる。実はいつ死んでもおかしくないの」


そう、奇跡なのだ。
それは生きていたことだけではない。深夜や花姫に出会えたこと。ピアノに触れたこと。誰かと一緒に勉強したこと。他にも、沢山。


「それに…病院に来て初めの方は、まともに生きようとしてなかったから。悪化するのは当たり前だよね」


全部、私の自業自得────っ。

呟く声は、平常を装っても隠しきれない震えがあった。


「どうして…教えて、くれなかったんだ…」


本当はわかっている。自分の為に黙っていてくれたのだということも。話したとして、何かが変わるわけではないことも。だけど、そう言うしかなった。
この複雑な気持ちを表すためには、その言葉しか。


「深夜はきっと、自分が犠牲になろうとするでしょ」


羽月の言葉に、深夜は勢いよく顔を上げる。
《犠牲》というワードがやけに耳に残った。


「だって…私が同じ立場だったら、きっとそうするから」


「そ、れは…」


わかってしまうのだ。
だって、気持ちは同じだから。

自分が犠牲になってでも、貴方だけは幸せに。

だからこそ、残されたがわの痛みもよく分かる。



「だけど、羽月が死んだら、俺は…っ」



歪んだ顔に涙が伝う。
その表情を目にした羽月の中で、何かが途切れた。


「だって、わかっちゃったんだもん…」


羽月の肩が小刻みに震える。
深夜は肩から手を下ろすと、羽月を自分の方へ引き寄せ抱きしめた。


「深夜と一緒に過ごして…“生きる”って、楽しいんだ、って。…っ、もっと、一緒にいたいって…っ」




っ──────。




「──────死にたくないって………っ!!」


深夜は息を飲む。
羽月が、死を望んでいた羽月が発した『死にたくない』という言葉。それがどんなに重く、またどんなに辛いか。恐らく1番わかっているのは深夜だ。


「やっと…深夜と仲直りして…っ、同じ気持ちだって、わかって。…なのに」


深夜はギリッと歯を食いしばる。
彼もまた、彼女と同じ気持ちだった。

やっと、やっとなのだ。
自分の気持ちも、羽月の気持ちもわかった。
もう、彼らを隔てるものは何も無くなった筈なのに。
どうして、ただ恋をすることがこんなにも難しい。

どうして、

どうして、

どうして──────────。







「死なせてなんて…やるもんか…っ」




羽月を抱く手に力が入る。
目線は遠くを睨みつけ、宣戦布告だ。


「羽月は絶対に、死なせない…っ」


死なせない。
やっと、やっと手に入れたんだ。
そうそうに手放してなんものか。

そう。


例え────自分が、どうなろうとも。





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ドアの前でノックをしようと挙げた手を、静かに下ろす。この人物もまた、何も出来ない自分を不甲斐なく思っていた。


「どうしてアタシはいつも…誰も、助けられないんだろう」


幽見はドアに背を向けると、中の2人に気づかれないよう立ち去った。

彼女は2人の看護師として、彼らの病気の進行状態を勿論把握している。だから、前から羽月の『モリンシ』が進行していることはわかっていた。
何もしなかったわけじゃない。けれど、幽見達の努力とは裏腹に、羽月の生命力がほとんどなかった為、その効果を発揮しなかったのだ。
それでも、自分に非がないとは言いきれず、じわじわと罪悪感に苛まれていた。

そう、それはまるで。


「あの時と、同じね」


一体自分はいつになったら

大切な人を、守ることが出来るのだろうか。





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「ごめんね、落ち着いた」


涙を拭いながら、羽月は困ったように眉を寄せる。不意に深夜を覗き込み、不安そうな顔をしてから静かに問い掛けた。


「大丈夫…?」


その優しい話し方に、深夜は唇を噛み締める。違う。心配されていてはダメだ。本当に辛いのは、怖いのは、他でもない羽月自身なのだから。


「あぁ。…ごめんな」


謝るしかできない自分に苛つく。自分はこんなにも無力だったか。
いや、そうだった。父親の時も、母親の時も。自分は何も出来なかったではないか。


「謝らないでよ。私は深夜に謝って欲しいわけじゃない。それなら、何も言わなかった私が悪いんだから」


「それは違う…っ!」


彼女が悪いわけなんかない。
羽月は深夜のことを思い、事実を告げることを躊躇していたのだ。その思いが悪だなんて、誰も思わない。


「私の寿命はあと少し。だから、あんまり後悔はしたくないんだ」


深夜を見つめる眼差しは強く、そしてどこか優しさが混ざっているように感じた。
夕日が沈んでいく最後の輝きが白髪に反射し、細く散る。散った光は、小さく虹を作っていた。
彼女の言う後悔とは、どのことを言っているのか。


「桃音ちゃんのこと、私に任せて欲しい」


唐突に告げられた“お願い”に、深夜は瞬く。告白のショックで記憶が飛んでいたが、自分は今、桃音のことも考えなくてはいけなかったのだった。
忘れていた事実に、思わず嘲笑する。桃音には悪いと思いつつも、ここまで羽月のことしか考えられなくなっていることに、少しの誇らしさすら感じていた。


「どうにか、できるのか」


「分からない…。でも、伝えたいことがあるの」


あぁ。彼女はどこまで強いのだろう。
自分の死が刻々と近づいているのに、他人の幸せを望むのだ。


「そう、か。羽月1人に任せるのは、正直気が引けるが…」


それでもきっと、彼女は深夜の気持ちなど無視して突き進むのだろうから、止められない。


「わかった。よろしく頼む」


「うん。あ、後でちゃんと深夜とも話してもらうけどね」


「あぁ。それは俺のしなくちゃいけないことだからな」


力強く頷く深夜。
羽月が前を向いて、歩き出しているんだ。自分がこんなところで立ち止まっていては、格好がつかないだろう。


「ともかく、それは明日にしよう。今日はもう疲れたから」


同意を求めるように深夜は苦笑する。
お互い泣き腫らしたせいで、目と周りが赤くなってしまっていた。何も知らない人が見たら驚いてしまうだろう。


「そうだね。そろそろ幽見さんが来てくれるかもだし───」


羽月が言い終わらないうちに、病室のドアが開き幽見が顔を覗かせた。


「ごめんね、どっちかドア抑えててもらえる?」


ドアに近かった深夜は、慌ててドアを抑えた。


「ありがとう深夜くん。丁度両手が塞がっちゃって」


夕飯の荷台を部屋に入れると、幽見はタオルを深夜に手渡した。


「冷た…っ!」


不思議に思いつつ受け取った深夜はそのひんやりとした感覚に思わず声を上げた。


「はい、羽月ちゃんも。2人とも、ちゃんと目元を冷やしとかないと、明日の朝、目が開かなくなっちゃうわよ」


幽見の忠告に、2人は目を合わせる。
幽見にはどうやら泣いたことがバレているらしい。
それも、だいぶ酷く泣いたことが。

なんであの人には全部筒抜けなんだ…!

恥ずかしくなり、深夜は乱暴にタオルを当てながら項垂れる。少し位置をずらして羽月の様子を伺うと、彼女も俯いているため、同じ心境なのかもしれない。
そんな2人の心境を知ってか知らずか、幽見は持ってきた夕飯を並べると、部屋を出ようと扉を開けた。


「「ちょっと待って!」」


思わぬ行動に、羽月と深夜は揃って声を上げる。
一方幽見は何故呼び止められたのかわからず、首を傾げた。


「今日はここで食べないんですか…?」


深夜も思っていることは同じだろうと、代表して羽月が問い掛ける。いつも幽見は自分の分の食事も用意して、初めの頃などはなかなか会話の続かない彼らの食卓を盛り上げてくれていた。それが今日は、2人分の食事しか用意されていないのだ。


「え、だって2人とも上手くいったんでしょう?なら私がいたら邪魔しちゃうわ」


そんなこと想像もしていなかった2人は、お互い顔を見合わせる。そして幽見の気遣いを理解すると笑みを零した。


「何言ってるんですか。俺たちが上手くいったのは他でもない幽見さんのおかげです」


「それに、幽見さんがいないと…寂しいですよ」


言葉にするのは恥ずかしいのか、少し照れたようにはにかむ2人を見て、幽見は不覚にも瞳が潤んだ。
2人にとって、自分はいち看護師だと思っていた。
自分がいくら気にかけていても、この立場は変わらないものだと。だけど彼等は、自分のことをただの看護師以上に慕ってくれている。その事実が、どうしようもなく嬉しかった。


「そう…うん、わかった。じゃあお言葉に甘えて、これからもお邪魔させて貰うわね」


気づかれないように涙を呑んだ幽見は、彼等が大好きな暖かい笑みを浮かべたのだった。