ただ、過去になるために、日記をつけていた。書いたら、きっと夢みたいに思えて忘れるから。きっともう、これで居なくなって、こわい夢にならないで済むって。
これで、見たくないものを遠ざけることが出来る、って思う。
「……どうして、そんなに、辛そうなんじゃ?」
終われると、思ってた。勝手に、思ってた。
「え、笑っているんだよ。すごく、笑顔でしょう?」
「そんなに、笑うやつじゃ、無かった」
「そんなことは無いよ」
でもね。
本当だよ。
誰も解かない謎があって。
誰かが苦しんでいて、それは、推理とかトリックなんかじゃなくてね。
日常、だよ。
ひとことひとことが。ひとつひとつの行動が。
全部が、謎だよ。
誰かがいつも苦しんでる。
「ユキ」
「ん?」
ユキは不思議そうに首を傾げてこちらを見てくる。
「ぼくたちは、普通、でしょ?」
不安や、どこか悪意や好奇が周囲を包み込んでいるような漠然とした恐怖に、胸がキリキリと痛むのを押さえて、ぼくは言う。
「なんじゃ、昔のことでも、思い出したのか」
脳裏では、誰かが怒鳴りつける様子が、何度もフラッシュバックしている。
異常者だとか、おかしいとか、何様なのかとか、偉くなったつもりかとか、わざと気を遣いやがってとか、いろいろ言ってるけど、どれも不正解。あまりにも正常なだけだし、何もおかしくないし、偉くなったつもりなのはぼくじゃないし、気を遣っているわけではない。当たり前のことしか言ってない。不自然なんかどこにも無い。なんて言って、また怒鳴りつけられる。やだなぁ。今日はぼくが生贄か。
あの場所じゃ、誰かしら、サンドバッグというか、廊下ですれ違う大人が怒号を撒き散らしてく。目に付いた子どもに向けて、散々に撒き散らして、それで元気に仕事に戻っていく。大人ってどうしてこうもちょっとのことで怒るんだろうねと、ぼくらはその儀式が済むと、話題にした。
誰かが、機嫌の悪いナースさんやら先生のことを調べてきて「どうやら恋人にふられたらしいよ」と言えば、ぼくたちはそれぞれ相談して、励ましの言葉をかけたり、お勧めの著書を差し出したりした。「お腹がすいているみたい」と聞けば、こっそりチョコレートとかお握りとか、今日の病院食のメニューとかを差し出したりした。
そういうのを半分面白がってみんなでやったんだけど、何年か経つと、それに気をよくした人が増えて、当り散らす人が減ってしまって、ぼくたちはまた暇つぶしを探したっけ。
そう、悲しみや苦痛は、落ち込むものじゃなく『ミッション』で、暇つぶしだったのだ。
その『悲しみ』を、みんなで『面白がろう』って、あの頃は試行錯誤した。



