最近、嬉しいことがあった。

それは俺の可愛い姪っ子、山本つぐみと、俺の大切な親友、鹿内弘毅がようやく付き合い始めたことだ。

弘毅はつぐみの暮らす家に約2年ほど居候していた。

俺は弘毅のつぐみへの恋心に気付いていたので、早々に二人はそういう関係になるのだと思っていたのだが、想像以上に弘毅はつぐみの心を手に入れるのに手こずったらしく、両想いになったのは弘毅がつぐみの家を出た後のことだという。

でも俺はつぐみと弘毅が結ばれるのは、遅かれ早かれ時間の問題だと確信していた。

つぐみにとって弘毅ほどいい男は、どこを探したって見つかるわけがない。

そしてあれほどまでにつぐみを愛してる男は、弘毅以外にいないのだから。





弘毅がつぐみに恋しているのではないかと思うようになったのは、弘毅がつぐみの家の居候になってすぐのことだ。

「つぐみちゃん、俺の彼女役を引き受けてくれたよ。」

弘毅は大したことではない風に無表情でそう俺に告げたが、それが嬉しくて仕方がないと思っていることは、その緩んだ口元を見れば一目瞭然だった。

「え?あのつぐみがか?弘毅、お前どんな魔法を使ったんだ?」

「俺が女に付きまとわれて困っていると話したら、つぐみちゃんが『私が彼女のフリしてあげましょうか?』って言ってくれたんだ。つぐみちゃん、優しい子だな。」

・・・つぐみが自らそんなことを提案するわけがない。

きっと弘毅がなにか策を講じたのだろう。

しかし、俺はそれを問い詰めることはしなかった。

そして俺が弘毅のつぐみへの恋心を確信したのは、弘毅が珍しく俺に頼み事をしてきた時だ。

弘毅は俺の前にディズニーリゾートのチケットを4枚差し出した。

「信二。バイト先でこのチケット、貰ったんだ。お前、シーとランド、どっちに行きたい?・・・まあどっちでもいいんだけどさ。」

そう言って弘毅は俺の目を悪戯っぽく覗き込んだ。

「うーん。ランドは行ったことあるから、シーかな。」

「じゃあこれやるよ。彼女と行ってくれば?」

弘毅はディズニーリゾートのチケットを2枚、俺に手渡した。

「え?いいのか?」

「その代わりと言っちゃあ、なんだけど・・・」

弘毅は手元のディズニーリゾートのチケット2枚も、俺の手に押し付けた。

「ディズニーランドに俺とつぐみちゃんが一緒に行けるように、信二がお膳立てしてくれねーかな?」

「普通に自分で誘えばいいじゃん。」

「誘って断られたら、俺、立ち直れないよ。な、頼む!」

照れ臭そうに笑いながら、弘毅は俺に手を合わせてみせた。

ははあ。こいつ、本気でつぐみに惚れてるな?

さすが俺の姪っ子。この女嫌いの弘毅をこんな短期間でメロメロにしてしまうなんてな。

俺はそんな謎の優越感を抱きながら、弘毅の肩を叩いた。

「おう!俺に任せとけ!!」







俺は山本信二。

早慶大学を卒業したばかりの新米サラリーマンだ。

大手出版社の児童書を取り扱う部署へ配属され、子供達の心を温かくしてくれるような絵本を出版するべく、日々奮闘している。

俺と絵本との出会いは小学校低学年の時だ。

俺自身は絵本なんてまったく興味がなかったけれど、兄貴の娘で俺の姪っ子になるつぐみが幼稚園生になったとき、絵本を抱えて俺の肩をつんつんと突き、「しんじおにいたん。絵本読んで!」とせがまれたのがきっかけだった。

つぐみは赤ちゃんのときから俺によく懐いて、いないいないばーをしてやると声を出して笑った。

そんなつぐみを俺は妹のように可愛がった。

絵本を読んであげたり、かくれんぼやボール遊びにも付き合った。

つぐみは親鳥についていくヒナのように、俺のあとをどこへでもちょこちょこと付いてきた。

本当に可愛らしくて、文字通り目に入れても痛くないほどだった。

つぐみの容姿が他の女の子より段違いに可愛らしいと気づいたのは、つぐみが幼稚園に入園してからのことだ。

幼稚園の出し物である学芸会で、つぐみの所属する花組では「白雪姫」を演目としていた。

つぐみの役は白雪姫の継母が化けたお婆さん役だった。

「なんでつぐみが婆さん役なんだ!悪役じゃないか!」

つぐみの父で俺の兄貴である健太郎兄さんが憤慨していると、その妻真理子さんが「まあまあ。継母が化けたお婆さんだって立派な役よ?毒林檎を渡す役を任せられるなんて演技力があるって証拠じゃない?」となだめすかす。

そんな兄夫婦やつぐみの祖父母である俺の親父やお袋と一緒に、俺もつぐみの晴れ舞台をカメラを片手に観に行った。

つぐみは黒いマントを被り、段ボールで作られた杖を片手に台詞を大きな声で叫んだ。

「しらゆきひめ!このりんごはとてもあまくておいしいよ!どうぞひとつもっておいき!」

その鈴の音のような声もさることながら、黒いマントを被っているのにも関わらず、白雪姫役の女の子より、何倍も光り輝いていた。

兄貴の顔はやくざか悪役俳優かというくらい強面なので、完全に真理子さんのDNAを受け継いだのだろう。

俺はそれがとても自慢で、つぐみの写真をことあるごとに撮っては、パソコンの家族フォルダの中にその写真達を収めていった。

つぐみは兄貴夫婦が7年間不妊治療した末にやっと生まれた一粒種だから、それはもう甘やかされて育った。

でも一番つぐみを甘やかしていたのは俺かもしれない。

虫歯になるからと禁止されていたチョコレートをこっそりつぐみに食べさせたり、急降下で危険だからと真理子さんが難色を示すアスレチック公園の滑り台を俺の足の間につぐみをはさみ、一緒にすべったりもした。

そんなつぐみに事件がおきた。

あれはつぐみが小学校2年生の時だった。

つぐみと真理子さんがショッピングモールで買い物をしていたとき、つぐみが知らない男に連れ去られそうになったのだ。

間一髪で助けられたつぐみだったが、そのことがトラウマになり、男が大嫌いになってしまった。

そのことで真理子さんは罪悪感からか、しばらくその花のような笑顔が消えてしまったほどだ。

もちろん俺や兄貴は特別だったが、それ以外の男が近くにいるだけでしばらくは大泣きして大変だった。

学校でもつぐみの可愛さに惹きつけられた男子達に、つぐみの気を引こうと色々と悪戯をしかけられ、つぐみの男嫌いはますますひどくなっていった。

俺はなんとかしてあげたいとは思うものの、その解決策を与えてやることが出来ずに月日だけが流れていった。






俺は高校に入学すると、小学校から続けていた野球部に迷わず入部した。

俺のポジションはイチローと同じ外野手だ。

リトルリーグのときから鍛えてきた肩の強さには自信があった。

打者としても持ち前の負けん気で、ここぞというときは必ずどんな手を使ってもチームが点を取れるように技を磨いた。

それがバントでも犠牲フライでもチームの為になるのなら、なんでも良かった。

俺は1年でレギュラー入りを果たした。

そんな俺にも敵わないと思うチームメイトがいた。

そいつの名は鹿内弘毅。

俺と同じく1年からレギュラー入りを果たした、エースピッチャー。

無口だが野球への情熱は、その瞳や行動を見れば一目瞭然だった。

誰よりも早く練習を始め、普段の無口さとは一転グラウンドでは的確な言葉でチームメイトを励まし、グラウンド整備や道具の手入れを誰が見ていなくても黙々と行っていた。

さらに弘毅は校内一のイケメンだった。

女子の間では弘毅のファンクラブがあるとまことしやかな噂があるくらいヤツはモテていた。

しかし弘毅は極度の女嫌いでも有名だった。

一時期なんの気の迷いか何人かの女子と付き合っていたらしいが、どの相手とも一か月ももたなかったらしい。

それでもそんなミステリアスな魅力の虜になる女子は後を絶たなかった。

誰に何を言われても決して動ぜず、孤高の道を進む、俺とは正反対な性格だが、なんとなく俺と同じスピリッツを感じていた。

俺は鹿内弘毅という男に一目惚れし、ことあるごとに声を掛けた。

しかし弘毅の反応は薄く、「ああ」や「そう」など短い言葉で会話が終わってしまう。

友達が多くコミュ力には自信がある俺でも、この鹿内弘毅の懐に入り込むことがなかなか出来なかった。

2年になりクラス替えで弘毅と同じクラスになった。

俺は以前にもまして、弘毅に声を掛け続けた。

しかし弘毅は変わらず、俺に塩対応を続けた。

塩対応というよりは、避けられていた。

俺の顔を見ると、まるで毛虫を見つけたような表情を浮かべる。

アイツは俺を嫌っている・・・鈍い俺でもそう理解するのに時間はかからなかった。






そんなある日のこと。

俺はひとり、窓際の席で昼食をとっていた。

何を食っていたかはもう忘れてしまったし、いつもは仲の良い友人と一緒に昼食をとるのに、どうしてその日に限ってひとりだったのかも遠い記憶で定かではない。

とにかく俺はひとりで昼食をとっていた。

そのとき、あんなに俺を嫌っていた弘毅が、俺のそばへ歩み寄り、話しかけてきたのだ。

え?

えええ???

その第一声は今でも覚えている。

「山本。今度の試合の対戦相手聞いたか?赤城高校らしいぜ?」

あのときは本当に驚いたものだ。

天と地がひっくり返ったのか、もしかして雪が降るんじゃなかろうか、と思った。

しかしその驚愕よりも、喜びのほうが勝っていた。

(鹿内のヤツ、そんなに赤城高校との試合に勝ちたいのか。俺なんかに話しかけるほどに。)

と、その時はそう思った。

俺に話しかけたのも、そんな弘毅の気まぐれな行動のひとつなのだと。

何にせよそれは俺にとって天からの恵みのような出来事だった。

この会話をきっかけに俺は弘毅との距離を縮められたら・・・そう思っていた。

そんな俺の思いが通じたのか、はたまたどういう心境の変化なのか、その日を境に弘毅の方から積極的に俺に話しかけてくるようになったのだ。

弘毅から「おはよ。山本。」と言われたときは、心臓が止まるかと思ったものだ。

クラス一騒がしい俺と、クラス一無口な弘毅。

そんな俺達が仲良くなっていくのを、クラスメートが興味深く眺めているのを知っていた。

弘毅の親友となった俺に、弘毅を好きな女子から鹿内君に渡してほしいと、ラブレターを請け負うことも多々あった。

(さすが弘毅、相変わらずモテているなー)と、俺は若干の羨望を持って弘毅にそれを渡した。

すると弘毅は俺の目の前で、そのラブレターを破り、なんのてらいもなくゴミ箱へ投げ捨てた。

「おい!一生懸命書いたラブレターだぞ?せめて読んでやれよ。」

俺はそう弘毅をたしなめた。

すると弘毅は怒りをあらわにした表情で、こう吐き捨てた。

「は?お前を利用してこんなものを渡す女なんかに、気を使う必要なんてあるか?」

俺が鹿内弘毅という男を惚れ直した瞬間だった。






それにしても一体どうして弘毅は突然俺に近づいてきたのだろう?

それは俺の長年の疑問だった。

しかし弘毅に直接聞いたことはなかった。

はて、何がきっかけだったのだろうか?

俺は遠い記憶を呼び覚ましてみた。

弘毅が俺に話しかけてきたのは、学園祭の翌日のこと。

それはハッキリと覚えている。

俺達は高校2年生で、あのときクラスの出し物は、たしかお化け屋敷だった。

俺は戸板で作った墓石の陰から紐でぶら下げたこんにゃくを、客の顔に触れさせて脅かす役目だった。

そして弘毅はドラキュラ伯爵に扮していた。

女子が格好いいと騒いでいたから、それも確かな記憶だ。

弘毅が初めて俺に話しかけてきた時、ちょっとした違和感があった。

どうしてだろう?

なにかが引っかかった筈だ。

弘毅と赤城高校野球部の話をして、それから学園祭の話題になって・・・そうだ!

あの学園祭にたしかつぐみも真理子さんと一緒に来ていたんだった。

お化け屋敷につぐみが迷い込んで、震えるつぐみを俺が抱きとめてあげたんだっけ。

あのときの事を弘毅はえらく気にしていた。

そう。女に興味がない弘毅が、あの日のつぐみの行動に強い関心を持っていた。

・・・え?

・・・もしかして・・・そういう事なのか?

弘毅・・・お前はあの頃から、つぐみを??

「はははっ!」

なんだ!そういうことだったのか?!

それでお前は俺に近づいてきたんだな?

でも・・・きっかけがどうであれ、アイツと俺の絆が変わることなどない。

だってお前は俺を利用なんてしなかった。

もちろんつぐみとの縁を繋ぎたかったというのはあるだろう。

けれどお前は一度だって俺につぐみと会わせて欲しいなんて言わなかったし、いつだって俺と誠実に向き合ってくれた。

俺はあんないい男と、親友になれた。

それは全部、つぐみのお陰だったのか。

そして弘毅はつぐみとの出会いのチャンスを、自分の一途な想いと強運で掴み取ったのだ。






今日は俺の親父の退職祝いパーティ。

俺の家でちょっとしたご馳走とケーキでお祝いする。

親父とお袋、俺だけでささやかに祝う筈だったのだが、兄貴夫婦、そしてつぐみと弘毅も顔を出してくれるそうだ。

こんなことなら俺の彼女、ゆりちゃんも呼べばよかった。

テーブルには寿司や親父の好きな天ぷら盛り合わせ、そしてケーキが所狭しと並んでいる。

ケーキはつぐみが手作りしたと、午前中に持ってきてくれたモノだ。

「さあさ。つぐみと鹿内君はちょっと遅れるそうだから、始めちゃいましょ!」

お袋の一言で、俺達はそれぞれのコップにビールをつぎ、乾杯の準備を始めた。

「じゃあ、僭越ながら、私が乾杯の音頭を取ります!」

お袋がそう言ってビールの入ったコップを持ち、立ち上がった。

「お父さん。お勤めご苦労様でした!お父さんのお陰で私達家族は何不自由なく暮らしていくことが出来ました。退職したからって老け込まないで、これからは自分の好きなことを思う存分やって、楽しく暮らしていきましょうね。それでは、乾杯!!」

「乾杯!!」

俺達はそれぞれのビールの泡を口に付けた。

「クーッ!!美味い!!みんな、今日はありがとさん!」

親父が感極まって、そう叫んだ。

「お義父さんとお義母さんは、もちろん恋愛結婚なんでしょ?いまでもラブラブですものね!」

兄貴の奥さんである真理子さんが、そう口火を切った。

するとお袋は眼鏡をクイッと持ち上げて、とっておきの秘密を打ち明けるような声を出した。

「あら。真理子さん、違うわよ?私とお父さんはお見合い結婚だったの。お父さん、若い頃は精悍で格好良かったのよお。写真見て一目惚れしちゃったの。うふふ。」

「え?そうだったのか?!」

俺も健太郎兄さんも初耳だったので、ふたりで顔を見合わせてしまった。

「アナタ、息子なのに知らなかったの?」

真理子さんが健太郎兄さんの肘を突く。

「だって親の恋バナなんて恥ずかしくって聞けるかっての!」

「だから結婚してから恋愛したって感じかしらね?ねえお父さん!」

お袋が親父に向かって、首を横にしてみせた。

「そうだったっけ?そんな昔のことは忘れちゃったよ。」

「まあ、とぼけちゃって!」

しばらくは親父とお袋の馴れ初め話で盛り上がった。

そしてふと話題を変えたのは、やっぱりお袋だった。

「・・・それにしても、鹿内君、やるわねえ。あの男嫌いのつぐみをその気にさせちゃうんだもの。

どんな魔法を使ったのかしら。」

お袋はそう言うと、マグロの握りをパクリと口に入れた。

「私は鹿内君が我が家に来た時から、ああ、この子はつぐみのことが好きなんだなあってすぐに気づいちゃいましたわ。だって鹿内君のつぐみを見る目が蕩けそうなほど優しいんですもの。

つぐみはすぐにロックオンされちゃったんだなって。」

真理子さんがうっとりと言った。

「僕だってすぐに気づいたさ。初めて一緒に晩酌したとき、僕は鹿内君に聞いたんだよ。彼女はいるのかい?って。そしたらそんな子がいたらここにはいませんって言って、そのあとすぐにチラリとつぐみを熱く見たんだぜ。それってつぐみ以外は眼中にないってことだろ?僕はすぐにこの家にいる間はつぐみに手を出さないでくれってお願いしたよ。」

健太郎兄さんはつぐみに彼氏が出来たショックを今でも少し引きずっているらしい。

拗ねた顔をしながら、大きくため息をついた。

「も~アナタったら、ほんとに野暮なことをするんだから。ほんと情けないわ~。」

「どうせ鹿内君につぐみを奪われてしまうのは時間の問題だったんだ。少しでもその時間を後にしたいっていう男親の気持ちも分かってくれよ。」

「はいはい。」

真理子さんは優しく健太郎兄さんの背中を撫でた。

「私だってわかっていましたよ?鹿内君の気持ちは。」

お袋がマウントを取りに参戦してきた。

「だって鹿内君が家に来ると、必ずつぐみの写真が入ったフォトフレームをチラッと見ていくの。たまにつぐみの話題が出ると、ひとつでも聞き逃さないとでもいうように、じっと耳を傾けていたしね。私は少しでも早く鹿内君とつぐみを巡りあわせたかったんだけど、つぐみは男嫌いだったしどうしようかと考えあぐねていたのよ?」

「それで母さんはウチに鹿内君を居候させようと躍起になっていたのか。」

健太郎兄さんが、やられたというように、自分の頭を叩いた。

「鹿内君は普段がクールだから、表情の変化が分かり易いのよ。あれで本人はバレてないと思っているのだから、可愛いわよね!」

「ほんとほんと!鹿内君のそのギャップ、たまらないですわ!ほほほっ。」

お袋と真理子さんが弘毅をほめそやすのを、親父と健太郎兄さんは苦笑しながら眺めていた。

とうとう俺がマウントを取る番が回ってきたようだ。

俺は大きくこほんと咳をしてみせた。

「みんなまだまだ甘いなあ。弘毅は、もうずっと前からつぐみのことが好きだったんだぜ?」

「ずっと前っていつよ?」

お袋が俺の話をせかした。

「俺達が高校2年生のときの話さ。弘毅はつぐみをそのときからずっと想っていたんだよ。」

「ええ??それほんと?」

「それが本当なら、もう5年越しの恋だったっていうの?あんなに格好良くてモテモテなのに、誰にもなびくことなく話すことも出来ない相手をずっと想い続けていたっていうわけ?」

「つぐみったら、そんなに愛されているのね?ねえ、健太郎さん?」

真理子さんが健太郎兄さんの顔をみつめる。

「ああ。そこまで愛されているなら、ま、つぐみを泣かすことはないだろう。」

健太郎兄さんもしぶしぶ頷く。

「愛、だわね。」

お袋が目を瞑り、唸った。

「それを愛というんだろうなあ。」

親父がのんびりとそういい、ビールを手酌した。

「そう!弘毅のつぐみへの愛は海よりも深く、山よりも高く、空よりも広いのだ!」

俺はそう言い切った。

そのとき玄関のドアがカラカラと開かれる音が聞こえた。

廊下から足音が鳴り、襖が開かれ、上気した顔のつぐみが顔を出す。

「こんばんは~。遅くなってごめんなさい!」

つぐみの肩越しに、弘毅が顔を覗かせた。

「こんばんは。お邪魔します。」

「おお。お二人さん。待っていたよ。」

親父が酒に酔って真っ赤になった顔で二人を手招きした。

つぐみはクマ模様のバックから長方形の箱を取り出すと、親父に差し出した。

「はい!これ、お祖父ちゃんにプレゼント。弘毅と一緒に買ったの。」

「おお。ありがとさん。中身はなにかな?」

「開けてみて?」

親父が包み紙を開き、箱のふたを取ると、濃いブラウンの万年筆が入っていた。

「弘毅が選んでくれたの。」

「康太郎さん、メモ魔だと前に伺っていたので。」

そういう弘毅の右手はそっとつぐみの腰に添えられている。

「さあさ。つぐみも鹿内君も、お腹空いたでしょ?どうぞ召し上がれ。」

「はーい。お祖母ちゃんのお料理、久しぶり。弘毅、食べよ?頂きます!」

「頂きます。」

つぐみはいそいそと、弘毅の皿に料理を取り分けている。

弘毅もそんなつぐみを優しい微笑みでみつめていた。

「つぐみ。愛されてるねえ。」

お袋がにやにやしながらつぐみにそう言うと、つぐみからとんでもない言葉が返ってきた。

「・・・あのね。弘毅は「愛」を知らないの。だから私が一生をかけて「愛」を教えてあげるの。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

俺達は長い沈黙のあと、同じ言葉を一斉に叫んだ。


「はああああ?!」


「鹿内君?君、愛を知らないの?」

健太郎兄さんの問いかけに、弘毅はしらっとこう言い切った。

「はい。俺は「愛」を知りません。つぐみは俺が「愛」を知るまで、一生そばにいてくれるそうですから。」






Fin