俺は高坂由宇と『子犬物語』で意気投合し、サシで飲みに行くことにした。

焼き鳥をメインにしているチェーン店の居酒屋へ俺と高坂由宇は連れ立って入った。

日曜の夜だと言うのに店内は背広を着たサラリーマンや若い学生風のグループなどで込み合っていた。

店員にさっき空いたばかりのテーブルを案内され、俺と高坂由宇は向かい合って座り、焼き鳥を数本づつと、冷やしトマト、カマンベールコロッケを注文した。

・・・高坂由宇、男嫌いだったつぐみに難なく接近してきたこの男。

一体、どんな男なのだろうか?

サラサラの金髪の髪に大きな二重瞼、小動物のような可愛いらしいマスクをしている。

高坂由宇は熱いお手拭きを弄びながら言った。

「鹿内さんと一緒に飲めるなんて光栄です。」

「俺の方こそ。」

「しかし百聞は一見に如かずですね!男の僕から見ても、鹿内さんって恰好いいな。」

「君の方が綺麗な顔立ちをしている。」

注文した酒がいち早くテーブルに運ばれ、俺と高坂由宇はグラスを合わせた。

「高坂君は、普段、何をしている人?」

俺は生ビールの入ったグラスに口を付けたあと、そう口火を切った。

「由宇でいいですよ。」

高坂由宇はコークハイをごくりと飲んだあと、アイドル歌手のような笑顔を見せた。

「僕はダンススクールに通っています。そっち方面の仕事が出来たらいいなと思ってまして。」

「ふーん。学費はどうしてるの?」

「姉貴に出してもらうわけにもいかないので、自分でバイトしてなんとか。」

時間が経つにつれ、酒に弱いのか、高坂由宇は顔を真っ赤にさせ、自らのヒストリーを延々と語りだした。

「そんで~、僕の方がダンス上手なのに~、オーディションに落ちちゃって~納得いかないンすよ~。」

「・・・それは残念だったな。」

ふん。どんな男かと思っていたけれど、まだまだガキじゃねーか。

俺はそう思いながら、冷やしトマトを口に入れた。

すると高坂由宇は、ふと俺の顔をまじまじと見て言った。

「鹿内さんて彼女がいるって本当ですか?」

「は?いねーよ。そんな女。」

「あれ?姉貴はつぐみちゃんが、『鹿内さんは彼女がいるみたい』って言ってたって・・・。」

「つぐみが?」

「はい。」

つぐみのヤツ、なに勘違いしてんだか・・・。

「俺には心に決めた女がいるから。」

俺は由宇にキッパリとそう言い切った。

「ふーん。そうなんですか・・・それって僕も知ってる子かな~?」

「君に教える義務はないと思うけど。」

「そんなことないと思うけどな~。」

由宇は思わせぶりにそううそぶいた。

「・・・鹿内さんはいいですよね。つぐみちゃんと一緒に住んでいるんでしょ?いいな~いいな~」

そう叫びながら、俺の右腕を掴み、揺さぶる。

コイツは絡み酒だな、と思いつつ、ひとつマウントを取ってやろうと、ビールを一口飲んでからフッと微笑んでみせた。

「期間限定だけどな。家でのつぐみは、外でよりよっぽど甘えっ子だぜ?

ディズニーランドに一緒に行って下さい・・・って可愛くおねだりしてきたりしてさ。

なにかと言えば、すぐ俺を頼ってくるし。」

「へえ。そうなんですか。」

「そっ。」

俺は得意げにそう頷いた。

「つぐみちゃんの笑顔ってすごく可愛いですよね。」

「ああ。まあな。」

当たり前のことを言うな。

「人の話を一生懸命素直に聞いてくれるし。」

「そうだな。」

そんなこと、俺だって知っている。

「それに、つぐみの手料理はすごく美味いんだぜ?」

「・・・・・・。」

俺の一撃に由宇は顔をしかめ、黙り込む。

俺と由宇の視線が絡み合い、見えない火花が散った。

由宇は座った目で俺を睨んだあと、そっぽを向いて俺以上にマウントをとってきた。

「でも僕だってつぐみちゃんとデートしましたからね!いいでしょ~。」

・・・つぐみがこの男とデート?

俺は震える手でおしぼりを握りしめた。

「デートって・・・どこへ行ったんだ?」

どうせいつもの、犬を散歩させる公園だろ?

しかし由宇は鼻高々な様子で小首を傾げてみせた。

「駅前のレストランでオムライスとビーフシチューを半分こして食べて~。

大きな公園をふたりで散歩しました!

なんかつぐみちゃん、悩みがあるみたいで、僕、その相談に乗ってあげたんです。」

「つぐみの悩み?つぐみ、なんて言っていた?」

「教えるわけないでしょ~!これは僕とつぐみちゃんの秘密なんだから。気になります?

まあ、鹿内さんには関係のないことですよ。」

「・・・・・・。」

俺は頭が真っ白になった。

一番近くにいると思っていた俺より、この男に悩みを打ち明けるなんて・・・ショックだった。

さらに由宇は俺に勝負を挑むようにこう囁いた。

「今はまだ友達ですけど、きっとつぐみちゃんを振り向かせてみせますよ、僕。」

「・・・・・・。」

悔しいけれど、そのジャニーズばりの外面も、甘え上手な弟キャラも、つぐみの恋の相手としてピッタリに思えた。

ふいに由宇は俺にこう尋ねた。

「鹿内さんって・・・何かスポーツやってます?」

「・・・ああ。野球を」

「そうですか。試合は順調ですか?」

「は・・・?」

なんの試合のことを言っているのかさっぱり分からなかった。

「いや、こっちの話です。」

由宇はただそれだけを聞くと、黙りこんでしまった。

俺は焦る思いを薄めるために、酒を何杯も飲んだが、まったくといっていいほど酔えなかった。

つぐみのヤツ・・・可愛さ余って憎さ百倍とはこのことだろう。

そのときの俺は嫉妬の塊という巨大モンスターに成り下がっていた。







家に帰り、コップ一杯の水を飲み、ベランダの定位置で煙草をふかす。

煙がユラユラと湯気のように俺の顔の前を通り過ぎてゆく。

きっとその煙の成分を分析してみたら、嫉妬という元素が見えるに違いない。

「・・・さて。これからどうするかな。」

俺はひとり呟く。

先ほどまで一緒に飲んでいた高坂由宇とつぐみの、仲良く街を歩く姿が、頭の中にこびりついて離れない。

今頃になってアルコールが身体に回ってきたのか、波のような眠気が襲ってきた。

今夜はもう何も考えずに眠ってしまおう。

そう思い、煙草を持ったまま振り向くと、そこにはパジャマ姿のつぐみが立っていた。

俺はビクッと驚き、煙草の灰を落としてしまった。

つぐみのパジャマの襟元から見える鎖骨がほんのり赤く染まっている。

きっと風呂上がりだ。

頼むから、俺の前でそんな無防備な姿を晒さないで欲しい。

「えっと・・・今日はお疲れ様でした。」

「おう。お疲れ。」

「帰ってくるの、随分遅かったですね。そんなに由宇さんと盛り上がったんですか?」

「ああ。まあな。」

「由宇さんとどんな話したんです?・・・」

つぐみは俺と高坂由宇が何を話したのかが、気になっているようだった。

そんなに由宇のことが気になるのか?

「教えない。男同士の話だから。」

俺はおどけた様子で、ついつぐみに八つ当たりのようにこう告げた。

「アイツ、つぐみに気があるらしいぜ。」

「え・・・?」

つぐみは一瞬固まって、俺の次の言葉をじっと待っていた。

そうなると、もう俺の嫉妬の炎は火に油を注いだかのように心を埋め尽くし、その火の粉はつぐみの方へ飛んで行った。

「由宇とデートしたんだろ?小洒落たレストランで食事を分け合って、その後公園でくつろいだって、由宇のヤツ、嬉しそうに話していたよ。どう?楽しかった?」

俺がそう突っかかると、つぐみは平然として言った。

「あれは由宇さんから街を案内して欲しいと頼まれたから。でも楽しかったですよ?」

・・・楽しかったのかよ。

俺の口からは次々と大人気ない言葉が飛び出していった。

「由宇のヤツが言っていた。今は友達だけど、絶対振り向かせて見せるって。

だからせいぜい頑張れよって言っておいた。」

つぐみはまだ、わけがわからないというように小首をかしげている。

その仕草がまたムカついたから、つい思ってもいないことを口走ってしまった。

「・・・由宇はいい男だぜ。つぐみとお似合いだと思うし、付き合ってみれば?」

「・・・え?」

つぐみの顔が強張った。

「そうすればつぐみがいう「愛」ってヤツを知ることが出来るかもよ?」

ほんの軽い冗談のつもりだった。

俺の言葉のなにがつぐみをそうさせたのかわからない。

気が付くと、つぐみの瞳から、大粒の涙があふれていた。

「・・・つぐみ?」

俺は何を言ったのだろう。

女の涙なんか飽きるほど見てきた俺だが、つぐみの涙は鋭く俺の胸を切り裂いた。

こんなことは初めてだった。

俺はつぐみの肩を掴んだ。

「ゴメン・・・つぐみ、泣かないでくれ。」

しかし俺の謝罪の言葉はつぐみの耳には届かなかったようで、つぐみは冷たい声で、俺の手を振り払い、なにかを叫び、ベランダから出て行ってしまった。

つぐみが・・・泣いた?

どういうことだ?

まさか高坂由宇に、すでに何かされたのか?

それとも・・・俺の言葉に傷ついたのか?

ほら、女はすぐに泣く。だから面倒くさいんだ。

いつもの俺なら、そううそぶいているはずだ。

しかし、つぐみの涙だけは別格だった。

なにかを真っ直ぐに想って流れる真珠のような涙。

・・・それにしても、何故つぐみはいきなり泣き出したんだ?

やっぱり俺のことが好きなのか?

「・・・女って生き物は、いつまで経っても判らねーもんだな・・・こっちが泣きてーわ。」

俺はそうつぶやき、煙草の吸殻を再び咥えた。