その声の主、それは歳の頃は十五、六ほどの人間の少女であった。

身に付けた服は汚れてボロボロになり、目は泣き尽くしたかの様に赤く腫れ、身体をがくがくと震わせ、怯えていた。
「お…何だおめえ…」
拍子抜けしたドヴェルグ達は皆武器を下ろし唖然と少女を見ていた。
「どうして人間がこんな所にいるんだ、どうやって入ってきた」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
少女の顔はますますこわばっていった。
「大丈夫だよお嬢さん。ワシらはお前さんを取って食ったりはせん、それよりどうしてこんな森のこんな家まで迷いこんだんだね…?お前さんの名前は?」
「…私の名前はサリュー、地方領主ヴァルデュークの娘です」
少女は恐る恐るそう言った。
「地方領主の娘、お姫様じゃねえか」
「お姫様がまたどうしてこんな所に…?」
「それは…」
サリューは涙を堪えながらも事の成り行きを少しづつ、声を震わせながら事の次第を語った。



地方領主ヴァルデューク家、神聖帝国全体で見ればその領地は僅かで領主も凡庸であった。
しかしそんな平凡な土地には一つ奇妙な噂があった。
それは領主の妻は魔女である、というものである。
しかし、根拠もなくどこから降って沸いたか分からない噂話に過ぎなかったので領民はあまり気にせず暮らしていた。
そんな領主とその妻はその間に一人の娘を儲ける。
それがサリューである。
サリューは幼少の頃から母親に似、美人で評判で、成長するにつれさらに美しさに磨きがかかり、その肌はまるで雪の様に白い事から彼女を白雪姫と呼ぶものもあった。
領主の妻はそんなサリューを溺愛し、誰よりも大切に想った。

「サリュー、おかえり」
領主の妻は自らの胸に飛び込む我が娘を力いっぱい抱きしめた。

その日、サリューが生まれて十五年の月日がたった誕生日の日である。
十五となったサリューのお披露目は朝から父に連れられ領民に自らの顔を見せて周る事から始まった。
そして街中を歩き回りクタクタになりながらも我が家に帰宅したサリューはまず一番に母の胸に甘えた。
サリューは母の温もりに底知れない愛を感じていた。
そしてサリュー達親子は領主の館の中でささやかな誕生祝いをあげ、ささやかな幸せを噛み締める時間を過ごしていた。

その最中である。
一人の客人が館に訪れた。
髪は肩まで伸ばした長い金髪、体付きはやや細身で身長は百九十センチほど、端正な顔立ちに浮かぶ青色のその瞳はどこか鋭かった。
その男、神聖帝国皇位継承第一の皇子、フリードリヒ=ドラウプニルである。

皇子の登場に領主の館は騒然とした。
「殿下、この様な僻地にお出でくださるとは何事にございますか…?」
と、領主はフリードリヒ皇子を出迎えた。
「邪魔であったか」
「そんな、滅相もござません」
「まあ良い、今日はそなたではなく、そなたの娘に用があるのだ」
「娘でございますか…?」
「大層美人と国中で評判ではないか。それに今日が十五の誕生日だと…祝いついでに一目見て参ろうと思うてな」
「それはそれは…殿下直々にかたじけのうございます」
領主は皇子を祝宴の最中の大広間に案内した。

扉を開けフリードリヒが大広間に入ると一瞬、何とも言えない空気がその場を包み、人々に緊張が走った。
そしてサリューの姿を見たフリードリヒは、
「ほう…なんと美しい、なんと麗しい女か」
とそう言った。
サリューとフリードリヒは暫く見つめ合っていた。
サリューは何が起きたのか理解出来なかったが、それでも心が奪われたかの様に皇子から目が離せなかった。
「良し、決めた。わしはこのおなごを我が妻とする」
「なんと仰せられますか…!」
「いやもう決めたのだ、結婚式も早い方が良いかろう。明日だ、明日我が帝都城内にて結婚式を執り行う。皆の者も今夜中に支度し、明朝この館を発てる様にいたせ」
皇子のその言葉に皆呆気に取られていた。
「おっと、その前に一つ忘れていた事があるな」
フリードリヒはそう言うとサリューの前まで歩き、
「姫、我が妻になって頂けますかな?」
そう言って跪き、サリューの手を取った。
一呼吸置いた後、
「…はい」
とサリューはそう言った。
サリューの頭の中は真っ白で何と答えるべきか分からなかった。
しかし何故か気持ちよりも先にその言葉が口から出た。
そうしてフリードリヒとサリューの婚姻が決まり、領主の家来達は嫁入りの支度に追われた。

その夜。
サリューはベッドの中で眠れずにいた。
何故あの返答をしてしまったのか。
これからどうなるのか。
あの皇子はどんな人なのか。
そんな思いがサリューの心を巡った。
すると、ギギ…と部屋の扉が開く音がする。
何かと思い目を向けると、そこには母の姿があった。
「お母様、こんな夜更けにどうなさったの?」
「サリュー、今すぐ外出する準備をおし」
いつもは明るく優しいサリューの母親であったが、そのときはどこか顔はやつれ、瞳には深い悲壮感が漂っていた。
「まだ夜よ…?こんなに早くから出発するのですか?」
母親はサリューの手を取り、そして強く握りしめ、
「いいかい、これは大事な事なのよ。これが私の最後の願いだと思い、黙ってついておいで」
そう言い、サリューを半ば強引に連れ出した。
母親とサリューは館の外へ出ると一頭の馬に二人で乗り、静かに夜道を駆け出した。
「お母様、どうなさったの?どこへ行くの?」
母親はただ黙り、ひたすら馬を走らせた。
サリューはそんな母親の背中を必死に抱きしめた。
母親の豹変ぶりに戸惑い、優しかった母親の思い出をよぎらせながら必死その背中を抱いた。

夜通し走り続け、朝日が登る頃にはとある森までたどり着いた。
木々が生い茂り陽の光さえ届かなさそうな広大な森である。
そこで二人は馬を降りると母親はサリューに一つの首飾りをかけた。
青い宝石が付いた簡素な首飾りであった。
「お母様、なにこれ…?綺麗…」
母親はサリューの頬に両手を当て、そして暫く見つめた。
サリューにはその母親の瞳がどこか、底知れないほどの悲しみが溢れている様に見えた。
母親は両手を離すといきなりサリューを森の方へと突き離した。
「…⁉︎」
サリューは言葉を失った。
「いいかいサリュー、今日からお前は私の娘でもなんでもないよ。そしてこの森で一生生きていくのさ」
「…何を言っているのお母様?」
「お黙り!この森をずっと歩いて行くとやがて小人達の小屋に辿り着くだろうよ。そこで小人の世話にでもなるんだね」
「嫌、そんな所行きたくない!」
「分からない子だね、早く行くんだよ、早く!」
すると母親は強引にサリューを森へと押し込めた。
「二度とこの森から出て来るんじゃないよ、もし出たらタダじゃ置かないからね!」
サリューは仕方なく森の奥深くへ足を踏み入れていった。
「早くお行き!早く!」
そう叫ぶ母親は自分の見知った母親ではなく、まるで別人の様に思えた。
魔女の様にも思えた。
サリューの瞳からは大粒の涙があふれ、ときには嗚咽しながらも歩いた。

薄暗い森を中を歩いているとサリューはやがてカラスの様な烏の鳴き声を耳にする。
その鳴き声はどんどん集まり、心なしかサリューを狙っている様にも聴こえた。
日は登っている筈なのに辺りは一向に明るくならない。
今にもあの鳥か、茂みに潜む狼か、或いは悪魔か何かが襲いかかって来るかとも思える不気味な雰囲気が続いていた。
そう思うとサリューは足取りを早めた。
そして走った。
服が枝に裂かれようとも、泥や土埃で汚れようとも気にせず走り、日が暮れかかる頃には一軒の小屋を見つけたのである。



「なんて酷え話だ!」

小屋の中、サリューを取り囲むドヴェルグの一人が言った。

「でもどうしてこんなかわいい娘を一人森へ追い出したのかね」
「それも晴れの結婚式の日にだ」
「そりゃ嫉妬だろよ、自分よりも美しい娘が自分の旦那よりも位の高い男に見染められて嫉妬に狂ったのさ」
「そんな、実の母親の癖になんと醜い」
ドヴェルグ達は口々にサリューの母親を罵った。
「お嬢さん、事情は分かった。一晩と言わずいつまでもここに居てくれて良い。ワシらはお前さんの味方じゃわい」
白髭のドヴェルグがそう言い、頭を撫でようとするとサリューはビクッと身体を固め、怯えた目でドヴェルグを見た。
外の世界も碌に知らない人間の少女が初めて見る小人族、怯えるのも無理はなかった。
人間の娘からみればさぞ奇妙に、さぞ恐ろしく見えるのだろう。
恐怖と不安を抱え、暗く広い森を歩いてきたのなら尚更…と、ドヴェルグ達はそう思った。

「あの、お姫様」
何をどうして良いやら分からないドヴェルグ達の中で一人、ドルヴィーがサリューに声をかけ、一歩踏み出した。
「あの、あの…良かったらこれ、どうぞ」
ドルヴィーが差し出したのは帰り道で見つけ、摘んだ一輪の花だった。
それは淡い紫色の、どこか儚げな花だった。
サリューはドルヴィーの手から花を受け取り、こう言った。
「ありがとう」
悲しみに暮れるサリューのその顔の中に一筋の安堵が映った。
そして緊張から解放されたのか、堪えていた涙を漏らした。