帰国して二年半。忘れようとしても忘れられなかった人が目の前に現れ、驚きに逃げるのも忘れて呆然と立ち尽くした。
「沙綾。なぜ黙って消えた」
彼の声で自分の名前を呼ばれただけで、キュッと胸の奥が軋んだ。
甘く切ない痛みに気を取られたが、すぐに我に返る。
(どうして日本に? まだドイツにいるはずじゃ……。ううん、それより、どうしてここがわかったの?)
少なくとも三年はドイツに赴任すると聞いていた。あと三ヶ月はある。一時帰国しているのか、それとも……。
「質問を変える。子供の父親はどうしている」
拓海の視線が湊人を捉え、沙綾は咄嗟に息子を庇うように後ろ手に引くと、目の前の彼が不機嫌そうに目をすがめた。
心臓が早鐘のように打ち、呼吸がしにくい。緊張でじわりと全身に汗が滲んだ。
(拓海さん、自分がこの子の父親だとは気付いてない?)
湊人はまだ幼く、拓海に似ているかと言われれば、よくわからない。
赤ちゃんの頃から整った顔立ちをしていると思っていたが、母親の贔屓目かもしれないし、綺麗な顔の男の子はごまんといる。
ただ、黒目が大きく印象的な目元をしているのは拓海譲りだと思う。
黒く輝く瞳を見るたびに、沙綾は拓海を思わずにはいられなかった。



