自分がどうしたいのかを一番に考えればいいと言われ、沙綾はお腹に手を当て、拓海との日々を反芻すると、ほとんどが幸せな記憶ばかりだと気付く。

同じように愛情を返してはもらえなかったが、お腹に宿った命は、沙綾が確かに幸せだったという証だ。

『夕妃、私、生みたい……!』
『うん。大変だろうけど、沙綾が決めたなら私もできる限り協力する』

沙綾の決断を受け止め、頻繁にマンションに通い、時間があれば送迎を兼ねて検診にも付き添ってくれた。

そんな夕妃の助けもあり、無事に湊人を出産できた。彼女がいなければ今こうして幸せに暮らしてはいなかっただろう。

家族のいない沙綾にとって、夕妃は親友であり、姉のように頼りになる存在だ。

帰国した直後は、拓海のマンションに住むつもりはなかった。

手切れ金のように与えられた場所で暮らしていくのは、彼を忘れたくても忘れられずに辛い。

妊娠が発覚し、帰国後一ヶ月経っても連絡が来なかった時点で、当時使っていたスマホも解約した。

その後一度だけマンションのコンシェルジュに拓海からの伝言をもらったが、彼の連絡先を消してしまっていたため、こちらからは何も出来ないまま、二度と連絡はなかった。

辛い過去は振り返らずに、新たな気持ちでこれから先を考えたかったが、子供をひとりで育てていくと決意した以上、不自由な思いはさせたくない。

『妊娠中とか産後すぐはガッツリ働くなんて無理でしょ。辛いかもしれないけど、今はここに住んだほうがいいと思う』