それを決定づけたのは、翌日の拓海から聞かされたひと言だった。
「沙綾。急な話だが、一時帰国してほしい」
眠れぬ夜を過ごし、これが夢なら醒めてほしいと何度も願った。
しかし現実は残酷で、沙綾を容赦なく追い詰めてくる。
「住むところはこちらで準備してある。生活に必要なものはすべて用意するから心配しなくていい」
拓海は沙綾の両肩に手を添え、矢継ぎ早に要点だけを口にした。
それがどれだけ沙綾を悲しませ絶望に追い込むのか、彼は微塵も考えていないのだろうかと心の中で問いかけるが、当然ながら返事はない。
住む場所や生活なんて心配はしていない。戸惑っているのはそこじゃない。
「詳しい事情は落ち着いたら必ず説明する。今は急いで日本へ戻るんだ。俺が連絡するまで、悪いが沙綾からは連絡しないでほしい」
結局、反論どころか質問すら許されないまま、沙綾はひとり日本へ帰国することとなった。
その迅速な手腕はいかにも交渉の得意な外交官だと、内心で皮肉ったところでなにも変わらない。
恋愛に興味はなく、外国語が出来る妻が欲しい拓海と、仕事を辞め、頼れる存在が欲しい沙綾の利害の一致した契約結婚。
契約の期限は三年。それを反故にして沙綾を帰国させようとしているのは、間違いなく昨夜のひと言だと思った。