怜悧な外交官が溺甘パパになって、一生分の愛で包み込まれました


「そんな勝手な」
「それでも辞めるというのなら、退職じゃなくて懲戒解雇にしてやるから。知ってるだろう? 彼女は社長の姪だ。お前ひとりの処分、俺たちのひと声でどうにだって出来るんだ」

職場だということも忘れて怒鳴り散らす雅信に、沙綾は怒りと悲しみ、憐れみが混ざりあった複雑な気分になる。

すると、拓海は顔を顰めながら「本当に、思っていた以上だな」と呟くと、おもむろにポケットからスマホを取り出した。

「今までの会話を録音していた。退職を希望する社員を脅してそれを阻止するのは、明らかな違法行為だ」
「な……ろ、録音……?」
「ちなみに、カウンターにまで聞こえていた俺の婚約者を馬鹿にするような発言もすべてだ。この音源は厚労省の労働基準監督署にでも送っておこう。近々監査が入るだろう」

急な不遜な態度と、監査という穏やかではない単語に、雅信だけでなく周囲で様子を窺っていた社員たちにも動揺が走る。

「か、監査って、なにをオーバーな……」
「今の厚労省は、とにかくブラック企業の撲滅に力を入れている。仕事をしなくても優遇される社員、部下の話を聞かず、一方的に責めるしか出来ない上司、それを咎める人間がひとりもいない現場。どれだけ残業をしていたのかは知らないが、労基署の監査の結果次第ではまぁ、数日間の営業停止は免れないな」
「そ、そんな誰が話してるのかわからない音源ひとつで、厚労省が簡単に動くはずが……」
「言い忘れていたが、ブラック企業の撲滅を政策に掲げている厚労省の事務次官は、俺の父だ。身内贔屓で申し訳ないが、父は有能な男でね」

沙綾は目を見開いて拓海を見上げた。

今までの会話を録音していたのはもちろん、閉店間際に店内にいたというのにも驚いた。

その上、拓海自身もキャリア外交官で、父親は厚生労働省の事務次官だという。大臣の職務を近くで助ける、キャリア官僚の中でも最高位だ。

とんでもない優秀な家系だと、今はじめて知った事実に戸惑う。