「いってらっしゃい。忙しいでしょうけど、拓海さんこそあまり無理しないでくださいね」
「ありがとう、いってくる」

そのまま背を向けて玄関を出ていくかと思いきや、拓海は沙綾を見つめたまま動かない。

「拓海さん?」
「そろそろ、沙綾もいってらっしゃいのハグをしてくれないかと思って」
「なっ」

口の端を上げて沙綾を見下ろす拓海の表情は、朝から噎せてしまいそうな程の色気を湛えている。

湊人の前でこの手の冗談はやめてほしいと、拓海を上目遣いに睨んだ。

「なに言ってるんですか。もう、朝からからかわないでください」
「からかってなんかない。大事な奥さんからもハグがあれば、もっと仕事が頑張れると思っただけだ」
「……そんなこと言う人でしたっけ」

照れ隠しで訝しげに眉を寄せた沙綾に、拓海はふてくされたような顔をした。

「君は公衆の面前だろうと愛を叫べる男が好みなんだろう? さすがに俺は外でというわけにはいかないが……」

彼には珍しくボソボソとした話し方が聞き取れず、首をかしげた沙綾の頭をぽんと撫でると、拓海は今度こそ「いや、なんでもない。いってくる」と出ていった。

(恋愛感情を向けられるのを嫌がるくせに、あんなセリフ言うなんてずるい)

拓海が沙綾を急に遠ざけたのは、『好き』だと言ってしまったから。