クララはとても生きた心地がしなかった。

 熊は目を爛爛と光らせ、クララたちを真っ直ぐに見つめている。閉じているはずの口からは涎が流れ落ち、生臭い獣の臭いが漂う。グルルルと凶悪な音を立てて鳴る喉。チラリと見え隠れする黒々とした尖った爪。


(無理、無理、無理!)


 熊との距離はほんの数十メートル。
 声を上げることもできず、かといって逃げ出すこともできない。腰が抜けていて、立ち上がることすらできないのだ。


(熊に出会ったらどうするのが正解なんだっけ?)


 都会暮らしのクララには、正直言ってそんな知識、必要なかった。だから、過去に目を通した書物の内容を思い返したところで、全く意味をなさない。

 頭の中は虚無。身体中の血がざわざわと駆け巡るのを感じることしかできない。

 その時、クララの隣でイゾーレが静かに立ち上がった。慌てるでもなく、恐怖におののくでもない。凛とした強い眼差しだ。


「クララ様」


 熊から目を逸らさぬまま、イゾーレがクララに呼びかける。


「ここは私が引き受けます。クララ様は何とかして私たち以外の皆に危険を知らせてください」


 剣を手にイゾーレは熊へとにじり寄る。