ふと目に入ったのは、捨てられた空き缶だった。
有名な企業の黒い感が、草むらに投げ捨てられている。
次に、草を買っているお爺さんを見つけた。
自転車で走る私に気が付き、丁寧に避けてくれた。
私は反射的に会釈を二回、してしまった。

人は生きている時間が長いほど、当たり前を「当たり前」と捉える傾向にある。
それもそのはずだ。ご飯が食べられて、家族がいて、友達がいて、家があって。
生活する上で必要なものは、最初から全て手の中にあると思い込んでいる。
しかし、それは間違いある。
ご飯が食べられないくらい貧しい人もいれば、心のうちを明かせる親しい人間がいない人もいる。
自分だけが幸せでいれば、と思えば思うほど、他人の不幸が美味しく感じるのだ。